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039


カルトイネスが消滅した後、羅針盤や蒸気機関は問題なく動作する様になり、目的地の港に向けて航行を再開。遅れた日数を取り返すため、蒸気機関は昼夜稼働を続けた。


客人船員を問わず、乗船する全ての人数を確認した結果、ドーガン以外の行方不明者も複数いる事がわかった。その中にはカルトイネスに飲み込まれていったデュークも。

遺された持ち物は船の管理者が引き取り、遺族に返していくそうだ。


担架で運ばれたエイガストはゼミリアスの治癒魔法が功を奏し、命に別状もなく数日もすれば傷も残らず完治すると診断された。

港への到着を目前に控えた前夜にエイガストは目を覚ました。


部屋を目だけで見回し、薬品棚や医療器具の存在と酒精の匂いに衛生室だとすぐにわかった。

小さな窓から茜色の斜陽が差す室内に、医師も魔療使(ヒーラー)も他の患者の姿も今は無い。


戦いの後、見知らぬ天井の下で目を覚ますのは三度目になる。今度は何日眠っていたのか。溜息と共に自嘲する。

ふと、左手を掴む感覚に視線を向けると、エイガストの手を握ったまま転寝をするゼミリアスがいた。

自由に動かせる右手で貫かれたであろう腹部を(さす)る。当て布がされてはいるが痛みは殆ど無い。

カルトイネスと戦って倒れた後、朦朧とする意識の中でゼミリアスが何度も呼ぶ声が聞こえた事を思い返す。


「心配かけてごめんね」


小さく語りかけた言葉でゼミリアスが起きる事はなく、瞼は閉じられたままに規則正しい寝息が小さく聞こえる。

エイガストの右手は腹の傷口から、右耳のピアスへ。青い魔晶石を指でなぞり、魔力を通せば名を呼ぶ前にレイリスがエイガストを覗き込んでいた。

驚いて固まってしまったエイガストと目が合ったレイリスは、淡く微笑むと体勢を起こして一歩下がった。


「ご無事で何よりです」


三回目のやりとり。いつもの様に微笑むレイリスの表情だが、エイガストには以前よりも陰が差している様に見えた。


「今回も、ありがとうございました。俺の意図も汲んでくれて。お陰で魔人を倒せました」

「エイガスト様が弓を構えた時に、残りの魔力は攻撃に使うと言う合図だと判断しました。ご意向に添えて良かったと思います」

「でも、レイリスさんの考えとは違ったんですよね」


エイガストの指摘に、レイリスは少しだけ目を丸くして驚いた。けれどすぐにいつもの微笑みに戻る。


「エイガスト様の魔力ですから、エイガスト様の思う通りに使って良いんです……」


レイリスの言葉はきっと嘘ではないんだろうとエイガストは感じたが、聞きたい言葉は胸中に隠された本心の方で。


「俺はまだ魔法をちゃんと使えません。レイリスがいなければ、ただの持ち腐れです」


エイガストは見下ろすレイリスに手を伸ばす。

レイリスはエイガストの手を両手で握ろうとしたが、擦り抜けてしまう。わかっていた事の筈なのに、微笑んでいるレイリスの目は落胆を隠せずにいる。


(わたくし)は見守る事しかできません」


それはレイリスの独白だった。


顔も知れない誰かの苦しみを見ても、名前も知らない誰かの悲しみを聞いても、なにも出来ずに“青”として世界に存在するだけの自分だった。

数えきれない季節を繰り返して、数人目の“青”の声を聞くエイガストに出会った。

レイリスの存在を拒絶するどころか、一日に一度は会話をする事がいつの間にか当然になっていた。

天然や人工を問わず青の魔晶石から魔法を発現させようとしても何も起こらないレイリスの行動が、エイガストの魔力と魔装具を介する事で世界に及ぶ事を得た。


その日からレイリスにとってエイガストが特別なものに変わっていった。

朝日が昇る時間が待ち遠しくて。

人が居なくなった頃合いを見つけては、エイガストから名前を呼ばれる事に喜んで。

エイガストが困った時に自分の力で役に立てる事が嬉しくて。

けれど。


「本当に助けたいと思った時に、(わたくし)は何もできませんでした」


小さな傷一つで死んでいく者を数え切れないほどに見てきた事実が、忘れていた恐怖を呼び起こした。

何もできない自分が悲しくて悔しくて辛くて不安で。

これ程に心を乱されるのならばいっそ出会わなければ、そう思える程に強くもなく。

だからと言ってこれまでの関係をやめる勇気も持てなくて。

医師たちの話から無事だとわかっていても、目覚めるまでの数日がとてもとても長かった。


「申し訳ございません……八つ当たりです……」


こぼれ落ちた涙がレイリスの頬を濡らした。

エイガストはもう一度手を伸ばし、レイリスの手を擦り抜けた先の、触れられない彼女の目尻をなぞる。

そこで自分が泣いている事に気づいたのか、レイリスは慌てて服の袖で涙を拭った。


「無茶をした自覚はありますから、叱られて当然です」


この後にはゼミリアスとパールに叱られる予定だと冗談めかしてエイガストが言えば、目を腫らしたレイリスも少しだけ笑った。


「レイリスさん、俺、強くなります」


エイガストの本職は弓兵ではない。けれど魔獣と関わっていく事を辞めない以上、戦闘技術はもう少し磨かなければならない。少なくとも、同行する仲間に心配をかけない程度には。

時折、エイガストはパールから手解きを受けている。強くなるには申し分ない指導者だった。


「だから、お願いです。どこにも行かないで下さい」





レイリスと話した後に少しだけ眠り、再びエイガストが目を覚ました時はもうすっかり日が暮れていた。

医師からは激しく動かなければ出歩く事を許可されたので、船長に残りの短い期間だけでも仕事に復帰をしたいと申し出たが却下された。

今はゼミリアスと繋いだ手から魔力を注がれていて、ベッドから出られないでいる。


「ゼミリアス、もう大丈夫だよ」

(うん)、もう少し」


エイガストの魔力はもう十分に満たされているのだが、心配をかけさせた手前、ゼミリアスの気の済むようにさせている状態だ。

部屋の扉が叩かれ、入ってきたのはパール。険しい表情の彼女はベイゲルフォードを彷彿とさせた。

エイガストが目覚めたと聞いて様子を見にきたらしいが、彼女の視線が痛くてエイガストが恐縮する。


「私の言いたい事はわかっていますね」

「それは、もう。……すみません」

「言葉は要りません。次からは行動で示しなさい」

「……はい」


パールは目を閉じて深く溜息を吐く。再び目を開けると、いつものパールに戻った。


「無事で良かったわ」

「ご心配を、お掛けしました」

「私はいいのよ。それより、お腹空いてるでしょ。食事に行きましょう」


船内の混乱も落ち着き、食堂では大規模な祝勝会が行われていた。

食事はテーブルに置いてある料理や飲み物を自分で取って食べ歩く立食式。夕方は多くの人で混雑もしていたが、日の沈んだ今は落ち着いていて、休憩中の船員も少数の客人に混ざって食事をしている。

料理とその匂いを前にすれば、静かだったエイガストの腹の虫も鳴き始める。

パールとゼミリアスに笑われながら、エイガストは部屋の隅に用意されている休憩用の長椅子に座らされ、料理は二人が取ってきてくれた。まさに上げ膳据え膳。


「エイガスト、次、何欲しい?」

「今は皿にいっぱいあるから大丈夫。ほら、ゼミリアスも座って。ゆっくり食べよう」


三人で長椅子に座り食事と談笑を楽しんでいると、ジェイクとディリアが声をかけた。


「おう、起きたか」

「顔色も良さそうね」


二人は既に食事を終えていたが、エイガストが目覚めたと聞いて態々(わざわざ)戻ってきたそう。

ジェイクがエイガストの半分空いた皿の上に「もっと食え」と肉を盛っていくのはご愛嬌。


「弓で魔法を付与するのは、わからなくもないけど、注射器はどうにかならなかったの?」


ディリアがエイガストの矢について言及した。

本来は自分の持つ武器や防具に付与する使い方をする。魔力を矢という形で飛ばし、他人の武具に一時的に能力を付与する。そこまではディリアも発想に至るが、飛んでくる矢の形が注射器の形をしているのは別の意味で恐怖だった。

矢のままで撃つと攻撃と誤解されそうで、代わりの形を考えた結果、注射器になったとエイガストは弁解するが、ジェイクとパールにも不評を下された。


「もう少し考えてみます……」


船を降りてからどうするのかという話題になれば、ジェイクは同船する貴族から勧誘を受け、目的地まで護衛を行うと言う。金払いがとても良かったそうだ。

ディリアは元々貴族令嬢の護衛として一時的に雇われていただけだったが、これを機に専属の契約を提案され、その雇用料の誘惑に負けそうだとか。

魔人を倒した戦士となれば、彼方此方から引く手数多だろう。エイガストのところにそれが来ないのは、やはりパールの影響なのだろう。


ジェイクとディリアが去れば、入れ違いに乗客、船員、法使(メイジ)魔療使(ヒーラー)など。船上で出会った顔ぶれが次々と声をかけてきてはエイガストの皿に何かを盛る。


なんとか食べきったエイガストを、面白がって見ていた船員から感嘆の声と拍手が上がる。大きく膨れたエイガストの腹を、ゼミリアスも笑いながら撫でている。

人が途切れるのを待っていたのか、林檎のワインボトルを手にしたセイがエイガストに声をかける。


「やあ、人気者だね」

「……もう入りませんよ」

「そう言わずに、一口だけでも」


渋々出したエイガストのグラスにワインが注がれる。もういいと止めたにも関わらず並々と満ちたワイングラスを手に、(うら)みのこもった半眼でセイを睨む。


「おや、不満かい?」

「……いいえ。いただきます」


ワインを一口含む。程よい甘味が美味しい。

エイガストの記憶では林檎のワインはメニューには無い。態々(わざわざ)持ち歩くという事は余程お気に入りの銘柄なのだろう。

酒を嗜む程詳しくはないが、味と香りからそこそこの値がつく代物だろうと推測する。腹にもう少し余裕があるならもう一杯欲しいところだとエイガストは思った。

「私にも」と要求するパールのグラスにもセイは注いだ。美味しいと(ほころ)ばせるパールを見て、ゼミリアスもワインに興味を示す。


「飲んでみるかい?」


ゼミリアスの空のグラスに、セイがボトルの口を向ける。

大きく頷いたゼミリアスのグラスに半分注がれ、一口飲んだゼミリアスは眉根を寄せた。


「…美味しくない」

「ゼミリアス君には、まだ早かったみたいだね」


初めてのワインは口に合わなかったようだ。ゼミリアスはパールの助言に従って、水で割って飲む事にした。


「それで、何か用事ですか?」

「まるで用事が無きゃ話しかけちゃいけないみたいだなァ」

「別にそういう意味ではないんですが。ずっと待ってたでしょう?」


見られていたかとセイは笑うが、談笑するエイガストの視界の隅に入る位置で訴えていたのだから嫌でも気づく。


「戦闘で見せた()の魔法、あれはどんな毒を使ったんだい?」


先に来た法使(メイジ)たちにも質問された内容。

ただ法使(メイジ)は魔法についての操作や作用が主な質問で、エイガストは学院を出ておらず、尚且つレイリスの協力の下で使った()の魔法を詳しく述べられる筈もなく。

素人だと知るや学院への入学を勧められたり、魔法研究所に役立ててみないかと紹介札を渡されたが、使う機会はおそらく無いだろう。


「いくつか試してカルトイネスに効いたのは、体の再生を阻害するものでした」


毒と薬は表裏一体。エイガストが普段扱う薬も、使い方次第で毒にできる。

パールに協力してもらいながら何度か放った紫の矢。どういった効果の毒を、どれくらい打ち込むかの検証。

麻痺や炎症程度では毒が回る前に脅威の速度で再生し無力化してしまった。であれば、細胞自体が正常に機能しないようにしてしまえば、と。


「カルトイネスは常に体を驚異的な速度で再生していました。ですから体を構成するのに必要な栄養素を奪う毒を使いました。必要な栄養素が欠乏した場合に体に出る症状は、セイさんも知っての通りです」

「つまり、毒によって強制的に古傷病の様な症状を引き起こしたと?」

「まァ、そんな感じです」

「恐ろしいな」

「全くです」


セイの言葉にエイガストも同感を示す。

今後、こんな魔法を使う機会がなければ良いと願いながら、エイガストはワインを口にする。二口目は何故かほろ苦かった。



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