038
「君は戦う術を持たないだろう?」
「それでも、船守として最後まで見届ける責任があります」
安全な船内で待つ様に言われたコゥメイは、それを拒んだ。
確かにコゥメイは子供ではないし、自分の身を守る事もできるだろう。それでも心配なセイは、コゥメイの変わらない意志に条件をつけて許可を出した。
二階の甲板から降りない事。誰かが傷ついても手を出さない事。危険を感じたら直ぐに船内に避難する事。他にも細かく色々条件を出すが、共通する事柄はコゥメイの身を守る事を優先するものだった。
甲板に打ち上げられた海馬と戦う戦士たちの無事と勝利を願いながら、見守っていたコゥメイの背後で悍しい気配がした。
船内から近づいてくるその気配に見つからない様に姿隠しの魔法を自分にかけた。どこに身を置くべきか辺りを見回すコゥメイが目を引かれたのは、鯨のポールだった。
二本のポールの間に身を屈めると、薄い霧がコゥメイを纏う。船の防護だけでも大変だろうに、鯨がコゥメイの姿をより隠してくれた。
姿隠しの間は声を出せない。コゥメイはそっとポールに手を触れて感謝の念を送る。
コゥメイが緊張する中、扉が開き顔を出したのはハオ。何故ここに、そう思ったが悍しい気配が近いため様子を伺っていた所、ハオの後に続いて現れた男性を見た途端にコゥメイの背筋が凍った。
男性の後頭部が割れ、そこから腕が生えていた。違う。
後頭部にある大きな口に腕が飲み込まれていった。飲み終えた後は口は閉じられ髪に隠れた。男性は軽く周囲を見回し何かを探していたが、直ぐに眼下で繰り広げられている戦闘が見える縁に近づいて行った。
デュークと同じ顔をしたあの男性は何なのか、食べられたのは誰の腕なのか、そしてハオはそれに気づいていないのか。コゥメイは恐怖と混乱で叫びそうになる声を、両手で必死に押さえて飲み込む。
一階の甲板から伸びる斑色の触手がハオを攫い、セイが駆け上がって男性と対峙し、腕を負傷し、一階へ落ちていった。
逃げ出したい衝動と、見届けなくてはという責任感の葛藤で動けず、ただポールの側で怯えていた。鯨が隠していなければ、とっくに姿隠しの魔法は効力を無くしていただろう。
どれくらい震えていただろうか。下の甲板ではまだ戦闘が続いているが、屈んだ状態ではよく見えない。
漸く落ち着いた頃を見計らったかの様に、カツンと飛んできた何かが甲板の床を叩き、その音にコゥメイは息を呑む。
少し離れた先に落ちた物は小さな笛。それは先程、男性がセイの服を引き裂いて奪った物。
辺りを見回したが、誰も二階の甲板に見向きもしていない。斑色の触手も、探しにくる様子もない。
拾うべきか。
敵であるあの男性にとって態々奪う程に重要な物なら、渡すわけにはいかない。
そう考えたコゥメイはもう一度周囲を見回し誰も来ていない事を確認して、腰が抜けて上手く立てなかったので四つん這いで笛に近づいた。
笛を拾い間近で眺め様と顔を近づけた時、笛が眼を開けた。
即座にコゥメイは笛を投げ捨てたが、笛から生え伸びた何本もの細い触手がコゥメイに絡みついた。
――ィヒッ! やっぱり隠れてた!
コゥメイの頭に響く笑い声は笛からだろうか。
まんまと誘き出された上に乗っ取られてはなるものかと、コゥメイは必死で抵抗するが触手の触れた部分から徐々に感覚が無くなっていく。
――しつこいな。サッサと寄越せよ!
両者が体の主導権を争って揉み合う内に、甲板の縁にある柵に背が当たり、押し倒される様にコゥメイの体は柵を乗り上げ一階へと投げ出された。
ゆっくりと落下していく途中にエイガストの姿を見た。
受け身の取れない体は一階に叩きつけられる。コゥメイが痛みで動けずにいる間に、触手はコゥメイの意識だけを残して体を支配していった。
紫の矢が再生を妨げる原因だと気づけば、カルトイネスは当然元凶であるエイガストを狙う。僅かな魔力で触手を防ぎながら逃げ回り、限界を感じつつあった頃にパールが本体に打撃を与えた事で追撃が止んだ。
お陰で隅に隠れる事ができたエイガストは膝を突き、咳き込むほどに呼吸する。ゼミリアスに借りたとは言え、大量の魔力を使用した後の全力疾走はなかなかキツい。
魔力補給剤は既に使い切り、あったとしても息が整うまでは飲めそうにもなかった。
ドサッとエイガストの背後で何かが落ちる音がする。
振り返ると苦しそうに伏せるコゥメイの姿。
「コゥメイさん!」
「来ないで!」
コゥメイの声に駆け寄ろうとしたエイガストの足が止まる。
ぎこちない動きで立ち上がったコゥメイの襟首から、細い触手に絡まった不気味な眼が覗く。鮮血色のその眼は、血い石と呼ばれる魔獣の核。
「やってくれたね。ここまで大きくなったのに、またやり直しじゃないか」
コゥメイの口を借りて語られる台詞はカルトイネスのものだった。
パールたちが戦っている胴体が朽ちても、核が生きている限りカルトイネスは消えはしない。
エイガストの魔力は殆ど残っていない。氷の矢を一発撃てるかどうか。エイガストは弓を構えるが、カルトイネスは当然コゥメイを盾にする。
この距離で外す事はないが、卑劣なカルトイネスに対して確実とは言えない。
コゥメイは唇を噛み締め、真っ直ぐにエイガストを見た後、全てを委ねると言うように眼を閉じた。
暫しの間睨み合った後、エイガストは弓を下ろして駆け出し、魔法を使う様に右手をカルトイネスに向けた。
「ヒヒッ」
下品に嗤い、カルトイネスはコゥメイの体を操り、向かい来るエイガストの懐に滑り込むと、触手でエイガストの腹を貫いた。
「ひグッ」
刺突の衝撃。遅れて激痛と出血。
痛くて熱くて苦しくて、息をするのも辛いが、カルトイネスを捕まえる事ができたと、エイガストは笑った。
エイガストの手がカルトイネスの触手を掴む。瞬間、凍気が触手を伝って血い石へと疾る。
カルトイネスが慌てて触手を引き抜いて退こうとするが、掴んだエイガストの手は離れない。まだ凍っていないコゥメイを操るために使っていた触手で、カルトイネスはエイガストの心臓を狙う。
既の所で逸らし急所は免れたが、肩や鎖骨に突き刺さる。そして凍ったカルトイネスは、その姿のまま動きを止めた。
エイガストは渾身の力を込めてカルトイネスを床に叩きつけた。血い石は綺麗に割れて黒く変色する。
これでもう蘇ることは無い。
残りの魔力はエイガストを守る為でなく、カルトイネスを倒す為にレイリスが使ってくれた。後で必ず礼を言おうと、エイガストは心に誓う。
「コゥメイ……さん、怪我…は?」
エイガストの呼びかけにカルトイネスの束縛から解放されて膝をついていたコゥメイが眼を開け、その惨状に蒼白となる。
「わ、私は平気です。エイガストさんの方が……ッ!」
コゥメイの無事を確認し安堵したのか、コゥメイが支える間もなくエイガストはその場に崩れ落ちた。
コゥメイは自分の腰に巻いていた布帯を解き、エイガストの腹に強く縛る。傷口を必死に押さえるが、じわりじわりと帯は血の色で赤く染まっていく。
「エイガスト!!」
悲痛な叫び声を上げたのはゼミリアス。
血で汚れる事も構わずにエイガストのそばへ駆けた。正しい治癒方法を知らないゼミリアスは、必死に自分の魔力を分けてエイガストを生かそうとする。
「魔療使と医師を!」
ゼミリアスの背後で茫然とするディリアに、遅れて現れたセイが指示を出す。頷いたディリアはセイと共に船内の船長の元へ急いだ。
入れ違いでパール、オウン、ジェイクがエイガストの現状を目にする。
「ゼミリアス、やめなさい」
「ニェ!」
パールはゼミリアスの腕を掴み、無理矢理エイガストから引き剥がす。
細い腕のどこから引き出されるのか、抵抗するゼミリアスの強さにパールでさえ手を焼いた。
「無闇に魔力を与えても傷は癒えないわ」
「でも、でも。エイガストが!」
「そうよ。貴方しかエイガストを助けられない。だから一度、落ち着いて」
死なせない。
強く宣言するパールの言葉に、抵抗を弱めたゼミリアスは目で真偽を問う。涙でぐしゃぐしゃになったゼミリアスに、パールはもう一度、大丈夫だと言った。
「貴方に治癒魔法の詠唱を教えるわ。ただし、これはとても身体に負担をかけるの。だから出血が止まったら直ぐに手を離す事。エイガストに十分な魔力を供給できる人は貴方以外にいない事を忘れないで」
血でエイガストの体に纏わりつく服を裂く。コゥメイの腰帯も切る事になったが、構わないとコゥメイは了承した。
ゼミリアスは清潔な布越しに一番深いエイガストの腹の傷口を右手で押さえ、左手にパールの短剣を握る。
パールの発する詠唱の言葉を、ゼミリアスが正しく復唱する。
唱え終わった瞬間から、息もできないほどに強く、急速に魔力がエイガストに流れる。少しでも油断すればエイガストの傷が癒える前に、自分の魔力が枯渇する事をゼミリアスは実感した。
「そこまで!」
パールの制止に応じようとしても、流れを御する事で精一杯のゼミリアスは止める事ができない。できなかったが、突然何かに弾かれた様な痛みが右手に疾り、魔力の流れが遮断された。
深い湖から顔を出した時の様に激しく呼吸を繰り返し、脱力したゼミリアスをパールが後ろから抱く。
「よく頑張ったわ。もう大丈夫よ」
ゼミリアスの汗を拭いながらパールが労う。
船内で待機していた船員が担架を持ってディリアに先導されて駆けつけた。唐突な睡魔に襲われたゼミリアスは重くなる瞼に抗いながら、弓を握ったまま運ばれていくエイガストを見送る。
弾かれた時に一瞬だけ見えた青い光に、レイリスが守ってくれた様な気がして、右手の痛みも不快ではなかった。
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