004
洞窟の開けた空間。
以前に来た誰かが整地した場所での野営。
前後の通り道に石筆で刻まれた紋様は、何者かの侵入を防ぐ結界なのだとミンティが言った。
食事も終えて、随分と夜も更けてきた。
「寝てしまいましたね……」
ミランダの見張り番。寝てしまわない様に小声で会話をしていたが、剣を抱えたままダンフェにもたれて目を閉じていた。
「疲れたんだろ。こいつらにとっちゃ、初めて尽くしだったろうしな」
覚えがあるだろとダンフェが問えば、そうですねとエイガストは懐かしそうに、初めて夜番をした時の事を思い出しながら答えた。
「少ししたら起こすさ。お前も寝とけ」
「はい」
岩壁に背を預け、弓を抱えて目を閉じる。
洞窟の中はランタンの赤い灯と、静寂で満ちていた。
日が昇ってから洞窟を出発し、昼を過ぎるころ街に到着した。
役場に向かい今回得た結晶や素材の鑑定を行う。商会への売り方がわからないと言う三人の希望により、その場で換金できる物は全て交換した。
鑑定済みの翼手鼠の体液と毒茸に関しては、エイガストが買い取りたいと申し出て、その提示した金額にはダンフェも驚いていた。道端の草どころか洞窟の水まで金に換えちまうのかと、こぼしていた。
分配も終えて解散をする直前、三人が呼び止めた。
「ダンフェさん! エイガストさん! す、写実店に行きませんか?」
「初探索の記念に、一緒に撮りたいって、みんなで相談してて」
「料金は僕たち三人分合わせれば、ギリギリ足りますので、その、ぜひ、良かったら……」
口々に飛び出る三人の誘い言葉に、目を丸くするエイガストとダンフェだったが、互いに目を合わせて笑う。
ポカンと呆けた三人に詫びる言葉を発しながら、五人で写実店に向かった。
その夜、エイガストは宿のベッドに腰掛けて、昼間に撮った写実画を眺めていた。裏面には日付と名前を。
三人はもう少し冒険を続けるらしく、あの洞窟を制覇すると、特にミンティが息巻いていた。
ダンフェは国都方面には向かわず、反対の方向へ明日にでも発つらしい。行商を続けていれば、またいつか逢えるだろう。
写実画を手帳に大事に挟んで片付けると、弓の手入れを始める。クロスで汚れを拭き取りながら、能力変換機能が足された事による変化は無いかと、改めて確認するが、特に何もない。
ならばと魔力を少しだけ通してみる。矢を出さない程の、ほんの僅かに。すると、装飾の石の一つがうっすらと青味を帯びている事に気付いた。装飾はどれも透明だったはずだ。
「青色……」
「はい」
唐突の鈴の鳴る様な声に周囲を見回す。
宿の一人部屋、誰も居るはずがない。
「こちらです」
声は、弓から。
開いた口が塞がらないまま、エイガストは弓を見つめる。魔力の量をもう少し込めると、薄ぼんやりと青い髪の女性が浮かび上がって見えた。
「私は青のレイリスフェイド。先日、こちらの魔晶石に"青"を分け与えた者です。会話のできる方と出会えて嬉しく思います」
レイリスフェイドと名乗る女性を呆然と見つめるエイガスト。
いつまでも返事がないことにレイリスフェイドの表情は笑顔から不安へ。
「あ、あの。驚かせて、申し訳ございません」
「いえ。えっと、エイガスト、です」
ようやく出てきたエイガストの言葉は、名乗りだった。
少しの沈黙。
先に破ったのはレイリスフェイド。
「私の声を聞くことができる方は、稀にいらっしゃるのですが」
躊躇いと、少し悲しそうに彼女は言った。
「あなたも、私が恐ろしいですか?」
「そんなことないです」
エイガストは否定した。
言葉が出なかったのは恐怖からではない。けれど青く美しい髪に見惚れてしまっていたとも言いにくい。
伏せがちだったレイリスフェイドの目がエイガストを見る。目が合うとエイガストの心臓が高鳴る。
「少し驚きましたが、恐くはないです」
「ありがとうございます」
エイガストの言葉に、レイリスフェイドは嬉しそうに含羞んだ。
そこから気を持ち直したエイガストは、なぜあの場にレイリスフェイドが居たのかを尋ねる。
まだ神と呼ばれる、人類を統治する存在が地上に居たとされる遠い昔の話。
青の落とし子と称されたレイリスフェイドの青い髪を、神は所望した。
彼女を神に捧げた後の大地には、より一層の鮮やかさと恵みが齎された。
彼女が捧げられた台座の周りでは魔晶石が採れ、レイリスフェイドの祈りで石に"青"が宿り、"青"を必要とする多くの人が訪れていた。
けれど、研究が進んで人工魔晶石が製造され、能力変換を付与できる技術が開発され、もっと小型の簡略化された使い勝手の良い物が普及し始めれば、レイリスフェイドまで足を運ぶ者は少なくなり、いつしか動物の住処となっていた。
そこに辿り着く道筋すら忘れてしまう程に。
姿が見えなくなっても、忘れ去られても、大地を世界中の"青"を通して永い間見守ってきた事を。
「ずっと一人だったんですか」
「ずっと、ではありません。現在は一人だけエイガスト様のようにお話ししてくださる方がいらっしゃいます。もう随分とお歳を召されていらっしゃいますが」
「そうですか」
エイガストは彼女が孤独ではないことに、少しホッとする。
そしてほんの僅かな羨ましさ。
「その方もレイリスフェイドさんが見えるんですか?」
「いいえ、声だけのはずです」
「それじゃ、どうして俺は君が見えるんだろう」
「申し訳ございません。姿まで見える方は初めての事で、私にもわからないのです」
「あ、いえ、追究するつもりはないんです。ちょっと気になっただけなので」
その後は互いのことを少し話す。
旅のこと。季節のこと。街のこと。人のこと。
気づけば夜は深まり、翌朝から商談を取り付けているエイガストは寝支度を始める。
「話は尽きませんが、そろそろ寝ますね。レイリスフェイドさん」
「レイリスで構いません」
「わかりました。おやすみなさい、レイリスさん」
弓から魔力を解けば、部屋に静寂が落ちる。
エイガストはランプの灯を消して布団に潜った。
早朝。
エイガストは風呂屋に行き全身を洗い流す。
洗髪人に心付を渡し髪と髭を整える。
鏡の前で襟のついた仕事着を纏い、全身を確認。
今日の商談について、道すがら内容を反復する。
役場から公証人を一人雇ってから、エイガストはボゾン商会の扉を潜った。
「本日はお時間を割いて頂き、ありがとうございます。サンディ副会長」
「いいえ、ヴィーディフ商会とは懇意にさせて頂いてますから。会長はお元気ですか?」
「ええ、変わりありません」
応接室に通され挨拶を交わす。
エイガストと公証人、テーブルの向かいにサンディと事務員が腰をかける。
麻糸を生産する小さな工場が、同じ原料から紙の量産化に成功し、今では写実店で使われている写実画の、描かれた絵の上に施された独特の光沢と撥水性のある透明の保護被覆の板。その生産と加工業務を一手に請け負っているボゾン商会。
数年前に保護被膜の板と定着剤を売りつけたのが、エイガストの父だという。その縁から撥水加工に使用する被膜板を液体化できないかと依頼されており、ようやくできた試作品と仕様書が「通り道だから」と父からエイガストの元に送られてきた為、今回エイガストは商会長代理として訪問していた。
「こちらがご依頼の被膜液です。耐久性を重視との事で若干の粘度がございます」
サンディが資料を手に取り内容を見る。耐久性の他に耐熱性や応用性、取り扱い易さ、保存と管理が見合ったものかを見定める。
現状の被膜は板状で平面の物にしか加工できないが、液体化できれば複雑な形状なものにも被膜を施す事ができる。
「問題ありません。すぐに量産に入って下さい」
「ありがとうございます」
睨む様に資料を見ていたサンディが事務員に書類を回して、そう言った。
どうやら希望に添えたらしく、エイガストはひと安心する。
「では納入の期限と生産量ですが……」
毎節の納入量と販売価格を定める他に、被膜液の独占は二年とする契約書。
被膜液自体は開発したヴィーディフ商会の物で、契約期間中はボゾン商会にのみ卸すというもの。
二年経てばボゾン商会は他商会が出すであろう廉価版に移っても良いし、ヴィーディフ商会は被膜液を他商会に売る事ができる様になる。
「今回も期間の延長は…」
「すみません」
独占期間の延長はしないという父のこだわりがあるらしく、このやりとりは毎回の事。
分かりきっていた答えに苦笑しながら。サンディは納品量と単価に希望を挟み、擦り合わせた後に契約書にサインした。
ボゾン商会の事務員とエイガストの公証人が書類の最終確認を行い、問題が無いことを確認。
あとは書類をヴィーディフ商会に送れば、エイガストの役目は終了する。
「一つ伺っても宜しいですか? 個人的な事なんですけど」
「なんでしょう?」
「魔装具を取り扱っている店ってこの街にありますか?」
「ございますよ。地図と紹介状をご用意しましょうか?」
「ありがとうございます。おねがいします」
「こちらこそ、今後ともご贔屓に」
商談を終えて、エイガストは外に出る。
日が高く昇っている。随分と話し込んでしまっていたらしい。その足で逓送組合に立ち寄る。
世界の各地に手紙や物品を輸送するために、各国の領主や大商会が協賛して立ち上げた組合。主に商人が加入して利用するが、もちろん一般人でも料金を払えば利用できる。
しかし組合に加入していないと少々値が張る。なので商人に心付を出して代行してもらったり、その土地に向かう傭兵に荷物を預けるのが一般的だ。
個室を借りて公証人に不備を確認してもらい、他にも色々溜まっていた書類を加えた封書を作成して受付へ。料金を支払って内容証明書を受け取った。
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