036
咆哮と共に逆戟は跳躍した。否、遊泳。
逆戟はまず正面のジェイクへ牙を剥いて突進した。
「ふん!」
膝がつきそうな程に腰を落とし僅かに上体を左へ傾けて、紙一重の位置で牙を避ける。その踏ん張った体勢のまま握った両手剣が、すれ違っていく逆戟の腹を裂くかと思いきや、逆戟の硬い皮膚は刃を通さない。
ジェイクは弾かれた両手剣を落としはせず、左足を軸に回転し腕の衝撃を受け流した。
大きく弧を描いて空中を泳ぎ方向を反転させた逆戟は、次はディリアとオウンへ突進。
ディリアの刺突剣に纏わせた炎が、突きの動作と合わせて大きく開かれた逆戟の口内へ。炎を飲み込んだ逆戟の体内で破裂し、口から若干の煙を吐くも突進の勢いは止まらない。
逆戟に向かって跳躍したオウンは双刀槍を薙ぎ逆戟の片目を裂いたが、すれ違いざまに回転した逆戟の背鰭に打たれて甲板に叩きつけられる。咄嗟の受け身で致命傷には至っていない。
裂かれた逆戟の傷口から流れる体液が、牙の様に鋭く硬質化した事に気づいたレイリスが、周囲に飛散する動きを停止させる。数はあるが小さなもの、エイガストが疲弊する程ではない。すかさず停止させた硬質化した体液を逆戟へと返すゼミリアス。だが逆戟の皮膚を傷つける程に硬いものではなかった。
「ふっ」
傷つき死角となった方向から、浮遊する逆戟の腹の下へ潜り込んだパールは、拳を五回連続で叩き込み逆戟を文字通り打ち上げる。
エイガストが青い矢を放つ。狙いは、傷ついていないもう片方の目。
一撃目は凍らせ、ニ撃目は亀裂を入れ、三撃目に眼球を砕いた。同じ箇所への射撃に誰かが口笛を吹いた。
「ゼミリアス!」
パールに呼ばれたゼミリアスは駆け、パールの肩を踏み台に跳んで逆戟の背中に乗る。振り落とされない様にしがみつき、逆戟の表皮に乾燥の魔法をかける。
水分を失った逆戟の厚く硬い皮膚がポロポロと剥がれ落ち、陶器の様な音を立てて割れた。
ガンガンと鎧を叩き大きな音を出すジェイクが、視界を失った逆戟を誘い出す。
ゼミリアスを背に乗せたまま、乾燥した皮膚を撒き散らして音のする方へ逆戟が向かう。
「動くなよ小童!!」
正面で待ち受けるジェイクが、両手剣を大きく横に振るう。
その向かいで双刀槍を同じ様に振るうオウン。
目の見えない逆戟は自ら、二人の振るう刃に飛び込んだ。
逆戟の両側の口端に刃が食い込む。硬い皮膚を削いでも尚、逆戟の肉を裂くにはもう少し足りない。
「強化を!」
エイガストが同時に番た二本の注射型の矢に、レイリスの魔法が乗って青く輝き、二人の武器へ放たれる。
硬質化の魔法を受けた武器は逆戟の肉を裂いた。
ジェイクとオウンの間を通り過ぎた逆戟は綺麗に二枚に卸された。
決着。
そう判断されたのか逆戟の姿がかき消え、上に乗っていたゼミリアスが宙に放り出され、駆けつけたディリアの腕にすっぽり収まる。
「オゥ……ありがとう」
「どういたしまして」
逆戟を無事に討伐し終え、皆互いに声を掛け合う。
オウンの怪我は打撲程度で湿布を巻くだけで済んだ。
そんな一階の様子を見ながら、セイは改めて鯨に問う。
「鯨、まだ認められない?」
セイがポールを見上げたまま、沈黙が続く。コゥメイはセイと鯨のポールを交互に見ていたが、やがてセイと目が合った。ニッと笑う表情に、鯨の説得に成功したのだと理解する。
「船長、鯨の協力を得られました。皆には休息を取ってもらい、明朝、海馬と対決します」
「わ、わかった」
逆戟に圧倒されて腰を抜かしたまま観戦していた船長は、コゥメイの言葉を伝えに立ち上がろうとするも、まだ足に力が入らないのかヨロヨロと縁に手をつきながら一階に降りて行った。
決戦の前に食堂にて食事を兼ねた作戦会議。
既に死んでいる筈の海馬が何者かに操られている事、血い石や刻印を消せば止まると言う対処方法の共有。
そして海馬と戦った経験のある者はいない為、セイの知る伝聞を基に戦法を決めた。
その後、各自で休息を取る。
霧の為に太陽は見えないが、暗い空が徐々に白んでいるのがわかる頃、装備を整えた戦士が再び甲板に全員が揃う。
逆戟相手に余裕のあったジェイクやディリアも、海馬には若干の緊張がある。
「鯨が霧を解きます」
二階の甲板からコゥメイが告げる。
法使の三人は配置に着くと、海馬に狙われない様に物陰に身を隠し、呪文を唱えて船に防護壁をかける。鯨ひとりでは防げなかった閃光の攻撃も、これで傷つかずに済むだろう。
薄らいでいく霧の向こう。
水平線と昇る太陽と、海上に佇む海馬。
先に動いたのはどちらか。
船に向かって駆ける海馬を目掛け、エイガストの矢とディリアの炎が飛ぶ。駆ける速度は落とさず軽い足取りで左右に飛び躱し、海馬は船に体当たりした。
体勢を低くとり、大きな揺れと衝撃に耐える。船の損傷はない。
海馬は再び遠ざかり船へ突進する。
「くそっ、どうにかできんのか!?」
「私が行くわ」
離れていては剣や槍は届かず、ジェイクとオウンは立場がない。武器を握りしめて息巻く二人の上をパールが飛び越える。
「パール!」
船を飛び出したパールが海面に叩きつけられると思った矢先、海馬に向かって海上を駆けた。
パールの大きく振りかぶった右拳は、駆ける勢いのまま海馬の頭部を打つ。振り抜いた右手は海馬が吹き飛ぶ前に鬣を掴んで引き寄せ、左腕を海馬の顎の下に入れて背負い投げる。
宙を舞う海馬が、海に落ちる事も体勢を整える事も許さないパールの追撃で跳ね続け、やがて船の甲板に打ち上げられた。
「拘束を!」
海上から跳躍するパールの手を、船の縁から手を伸ばすセイが掴んで引き上げる。
パールの号令にゼミリアスが羽団扇を振るう。
本来、外から敵が入らない様に張る壁を、内側に向けて囲う。これで、海馬はおろか乗船する人間も、ゼミリアスが魔法を解くまで船の外へは出られない。
仰向けに倒れ込んだセイの上で、パールは大量の汗をかき荒い呼吸を繰り返す。水上歩行と全力の身体強化、急激な魔力の消費による疲労だと見てとれる。
「無茶しすぎだ」
セイはポケットから出した魔力補給剤をパールに握らせる。呼吸が落ち着いたら勝手に飲むだろう。
戦闘の邪魔にならない様、隅の方で休ませる。
抉れた肉、折れた足、腐敗した傷口。甲板に曝された海馬の姿は酷かった。
死体が動いている。そう話には聞いていても、実際の海馬を目の当たりにした誰もが、その惨状に息を呑んだ。
「……ぁ…」
額に触れる冷たいものでハオは目を覚ます。
ぼやけた視線を巡らせて、それがデュークの手だと気づくのに少しの時間を要した。
「ごめん。起こした」
「いいえ、大丈夫…です」
小さな窓から見える空は薄暗い。
ぼんやりするハオに、デュークはテーブルに置いてある水を注いだカップを差し出す。ハオが口をつけた水は氷を入れた時の様によく冷えていて覚醒を促した。
その直後、盛大な衝突音と振動で船が大きく揺れ、ハオは手にしたカップを取り落とす。
「な、なにッ!?」
「甲板で海馬退治してるから、それじゃないかな。みんな度胸あるよね」
尻餅をついたデュークはぶつけた箇所を摩りながら立ち上がる。
「それ、本当!?」
「さっき船長が誰も外に出さないようにって言っててさ。あと、はい。これって君が王様とエイガストに話してた鯨の牙だよね」
「え……?」
「昨日、様子を見に来た時に偶然聞いちゃって。立ち聞きするつもりはなかったんだけど、ごめん」
落ちていたとデュークが出したのは鯨の大きな牙。
ハオが驚いたのは服のポケットに仕舞っていた牙がなぜ落ちているのかだったのだが、デュークは牙の正体を知っている事の驚きだと思い謝罪を述べた。ハオは首を横に振り、さっきの衝撃で落としたのだろうと思い直しデュークから牙を受け取る。
そして徐に起き上がりベッドから降りた。
「どこに?」
「私も。私が原因だから……行かなきゃ」
「オレも行くよ」
覚束ない足取りのハオに、デュークが肩を貸す。
ハオは謝罪と感謝を述べて皆が戦う甲板へ向かった。
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