035
エイガストはレイリスからの話をパールとゼミリアスに伝え、三人でセイとコゥメイが居るという二階の甲板に向かった。
一階の甲板は一般開放しているが、二階は船員しか入れない。この場所に聳え立つ二本のポールは、鯨の角から削り出されたもの。
セイはこのポールに手を当てて、鯨と会話する。鯨が素材となってる箇所は他にもいくつかあるが、コゥメイと二人きりで会話するには、この場所が丁度いい。
万全ではないコゥメイは、すぐ側に用意された椅子に座り見守っている。
近づいてくる三人の足音に気づいたセイとコゥメイは、そちらに視線を向けた。
「お揃いでどうしたのかな?」
「すみません、少し気になる事がありまして」
「では場所を移動するかい?」
「いいえ。鯨にも聞いてほしいので」
「へぇ?」
「セイ。恐らくこの件、魔人が関わってる」
「物騒な話だね」
死んだ者が動き出す偽物の血い石と刻印の事。
シルフィエイン国で血い石を持ったムルクが魔獣へと変貌した事。
魔人だと思われる首謀者のギヴを倒し切れていない事。
シルフィエイン国での事件を掻い摘んで伝え、今回の件と似通っている点をあげる。
「魔人とはまた厄介な……」
血い石を持つ人型の魔獣の事を“魔人”と称しているが、瘴気を纏う事もなく外観が赤黒く変色するわけでもない。見た目はただの人と変わらない。
知能を持つ彼等は人の言葉を理解し語り、人の群れに紛れて潜むため見つけるのは難しく、たった一人の魔人を倒す為に多くの無関係の者を巻き込んだ虐殺劇が過去に引き起こされている。首を切り落として死ねば人、蘇れば魔人、そんな恐ろしい言葉を残して歴史に記されている。
「あの海馬は、恐らくまだ魔獣になっていません。変わってしまう前に止めたいんです。協力して貰えませんか?」
鯨に向けてエイガストは懇願する。
何かを答えたのだろうか、ポールに手を当てていたセイが肩をすくめて「そうか」と呟いた。
「ところで、今来たばかりの君たちが、どうして僕と鯨の会話を知ってるのかな?」
海馬が既に死んでいる事を、セイはまだ口外していない。どこかで盗み聞きをしたのは明らかだった。
セイの質問にパールは返事の代わりに笑みを浮かべているだけ。セイの視線はゼミリアスに移り、そしてエイガストに移る。エイガストが目を逸らした事でセイは発信源を知る。
「どうやったのかは後で聞くとして、鯨は霧を解く事を拒んでいてね。僕たちを海馬と戦わせたくないらしい」
「それは何故?」
「今度こそ海馬によって船が沈められる恐れがあるからさ。僕たちでは対処できないと思われているよ」
海馬と会った夜は確かに何もできなかったが、急襲にも近かったアレで無事だった事を評価してほしいと思うのは我儘なのだろうかと、エイガストの心境は複雑だ。
「海馬は鯨の事を覚えてはいないんですか?」
「……みたいだよ。友の形をした、強い怨みの念と憎悪の塊。霧の外でずっと機会を伺ってるらしい」
やはりシルフィエイン国の時と同じで、意識など無い生者を襲うだけの死体なのだろう。海馬の近くを運行する船は今のところ無いらしいが、標的を変える恐れがある。
体のどこかにある石か刻印を無くす事ができれば、止められる可能性が高い。
セイの話を一通り聞いたパールは「なるほど」と呟いたあと鯨に提案を一つ出す。
「なら、鯨が納得する程の強さを見せる事ができたら良いわけね」
「……そうだね」
ポールに触れて目を伏せ、鯨の声を聞いているセイが、鯨の言葉を代弁した。
「鯨、私たち人族の強さを見せてあげる。貴方のやり方で良いわ、私たちと勝負しなさい。ただし、海馬との戦闘も控えてるから、そこを考慮してくれると助かるわ。そして、私たち人は鯨みたいに悠長な時間は無いの、早めにお願いね」
随分と身勝手な要求をするパール。鯨も黙しているのか、ポールに手を当てたセイも黙ったままだ。
長く感じた僅かな沈黙の後、舳先の方から水飛沫が立ち昇り、大きな黒い影が一階の甲板に飛び乗った。
水の中から現れたのは、大人でも丸呑み出来そうな程に巨大な逆戟。大きく口を開けて上げた咆哮は衝撃波の様に空気を震わせた。
船内で休憩していた戦士や法使が各々の武器を手に甲板に現れたが、眼前で牙を剥く逆戟に臆し後退る。
「なんで逆戟が!?」
「海馬以外にも居たのか!?」
「勘弁してくれ!」
少し遅れてやって来た船長も、今度は逆戟の登場に頭を抱えた。
「皆さん聞いてください」
一階の甲板で逆戟を遠巻きに囲む戦士たちへ、二階の甲板から船守のコゥメイが呼びかける。セイはコゥメイの隣に立ち、腰に手を回して支えている。
「この逆戟は鯨が生み出した幻影、本物ではありません。ですが、実体があり当たれば傷を負います」
「何故そんな事を!?」
「船となった鯨は、海馬の脅威から船を守る事を優先しました。例え私たちが飢え死んだとしても、脅威が去るまで鯨は霧を解くつもりはないでしょう」
海馬の仕業だと思われていた霧が、自分たちが乗る船の鯨の魔法だと知り、一同は愕然とする。
それと同時に海獣と人の考える基準が違う事を思い知る。鯨にとって“守る”べきは船が沈まない事であり、必ずしも乗員が生きている必要はないのだと。
「私たちが海馬と戦えるだけの力がある事を証明すれば、霧を解く事を約束しました。この逆戟ですら倒せない様では海馬など到底勝てません。無理だと思った者、怖気ついた者は退がり守られて下さい」
鯨に守られ飢えて死を待つか。
海馬と戦って死ぬか。
逆戟を倒して鯨に認めさせて海馬を倒して帰還するか。
答えなど最初から決まっている。
それでも立ち向かう勇気を持てるかは、また別の話で。
コゥメイの言葉と逆戟の威圧に戦意喪失した者などが、一人また一人と減り、十数いた戦士や船員の中で残ったのは船を防御する法使三人と戦士の三人だけだった。
「フン、腑抜けどもが」
逆戟を前に逃亡した者たちへ悪態を吐くのは、無骨な金属鎧を纏った金髪の男性の剣士、ジェイク。
逆戟を相手に怖気ない態度と腕に残る傷跡から、長く傭兵業をしているのだと伺える。担いでいる両手剣の刀身は彼の身長と同等の長さがある。
「良いじゃない。どうせ足手纏いにしか成らないんだから」
相槌を打つのは、結った三つ編みを揺らす金髪の女性の剣士、ディリア。
しなやかな体に纏う金属製の軽防具と腰に携える細身の刺突剣、腕輪には赤い魔晶石が着いている事から、多少の魔法も使えるらしい。
もう一人の戦士は紺色のマントとフードで全身を覆っているが、突き出る鼻と口は狼のもの。背の高さや足の大きさから男性の獣人らしい。オウンと名乗った。
三人の法使は呪文によって互いの魔法を均一にし、重ね合わせる事で船自体に防護壁を張るという。それにより多少の剣や魔法では船に傷がつかなくなる。船への被害を気にする事なく、思う存分戦う事が可能となった。
「戦力としては妥当かな」
人数と武器と立ち振る舞いから目算したセイは、逆戟には勝てると判断した。正直なところ、海馬と戦った事がないのでこの後がどうなるかわからないが、パールの存在と国都の射撃手と呼ばれるエイガストの存在に、それほど懸念に感じる事はなかった。
一階の甲板に降りたエイガスト、パール、ゼミリアスの三人を、二階の甲板に残ったセイとコゥメイが見守る。
「この船はどうなるのでしょう。私たちは本当に助かるのでしょうか……?」
戦う事は出来ないが結果を見届ける為に残った船長は、セイとコゥメイの居る二階の甲板に上がってきた。もう不安を隠す事もできない船長は、震える声のまま二人に聞いた。
「どの道、海馬を倒すしか生き残る事ができないからね。……君ひとりで戦おうとしなくて良いんだ」
後半の言葉は船長にもコゥメイにも聞こえない程に小さく、鯨にだけ届いた。
「次の咆哮が戦闘開始の合図だそうよ。私は左側を、エイガストとゼミリアスは背後に回って」
「なんだ、嬢ちゃんが指揮んのか?」
「必要ならね。貴方たちには要らないと思ったんだけど?」
「はっ、違いねェ」
両手剣を構え逆戟の正面を陣取るジェイク。
逆戟の右側で刺突剣を抜くディリアと、オウンは二本の片手剣を柄の裏同士を連結させ双刀槍にした。
パールは右手人差し指の輪と左手小指の輪を二度打ち合わせ、魔装具を装着して逆戟の左側に立つ。
逆戟の後方で深呼吸をするエイガストと、外した耳飾りの一つに息を吹きかけて魔法を解き、黒の嘴面と白の鴉装束に着替るゼミリアス。
船を揺さぶる咆哮と共に逆戟が動いた。
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