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033


酒瓶を手にした一人の男が、ブツブツと恨み言を唱えながら甲板を歩いていた。覚束ない足取りは酷く酔っ払っている事を示す。

彼がふと海の上に灯りを見つけて視線を移すと、美しい馬が海面に立っていた。男はジッと見つめるその姿に苛立ちを覚え、手にした酒瓶に魔力を乗せて馬を狙って投げ放った。


馬が瞬くと同時に、キンと感高い小さな音と細く一筋の光が疾る。馬を避ける様に左右に割れた酒瓶。

突然男は白目を剥いて口から泡を吹き、崩れ落ちた体は縁を超えて海へ落下。暗闇の海に開いた虚口に吸い込まれていった。





夜の海上はとても寒い。エイガストとゼミリアスはケープを羽織って甲板を歩く。弓は背中から下ろして左手に握っている。


「寒くない?」

「大丈夫」


ゼミリアスは休憩室に一人残るのを心細く感じて、夜番に出るエイガストに着いてきた。

風の吹いている間、船の動力は帆になり、蒸気機関は停止している。聞こえるのは波の音と、船の軋む音と、己が立てる足の音。


風上から香る煙草の匂い。追うように船の舳先(へさき)へ出ると、パールとセイが会話していた。それ以外の人影はない。

こんなところで何を話しているのだろう。気にはなるが盗み聞きするのも気が引けて踵を返すが、カンテラの灯りに気づいたパールがエイガストの背中に声をかけた。


「あら、二人とも。こんな時間にどうしたの?」

「見回りです。すみません、会話の邪魔をしてしまった様で」

「気にしないで。貴方をつけ狙うこの人に、尋問してただけだから」

「助けてエイガスト君。この人物凄い威圧してくる」


とても脅されてる様には見えないセイが、エイガストとゼミリアスを手招く。

エイガストは引き返す事をやめて二人の元へ歩み寄る。

挨拶をするゼミリアスの隣で、少し気まずそうにエイガストはセイを見る。視線に気づいたセイはニコリと笑う。


「セイさん。昼間はありがとうございました」


あのまま止められなければ青属性最強の毒魔法を使っていただろう。ゼミリアスの魔力までも使用して強制的に加担させた殺人未遂。

自分を探る正体不明の彼ではあるが、エイガストの意思による殺人を止めたのは事実。好きでも嫌いでも礼は言うべきだと、エイガストはセイに頭を下げた。


「ああ、気にしていたのか。こっちは頼まれただけだから、別に良いよ」

「誰にですか?」

「この子」


そう言ってセイはコンコンと軽く床を叩く。

船の素材となった(セタス)が生きているとセイは言っていたが、セイはその意思を読み取ったと言う事だろうか。


「僕としては()の魔法が観れるかと思ったんだけど、自分の腹の中で毒を撒かれるのは嫌だってね。それに君、魔法あまり得意じゃなさそうだし」

(うん)。エイガスト、魔法は素人。危なかった」

「ゼミリアス……」


得意ではないという所に同調するゼミリアスに少し落ち込むエイガスト。けれど怒りで我を忘れて使用した魔法が他を巻き込んでいたらと思うと、反省せずにはいられない。


「その話、私聞いてないんだけど?」

「すみません。都合が付かなくて、明日報告しようと……」


パールの棘を含んだ問いかけに、エイガストは少々怯みながらも弁明する。

三人の掛け合いを見て、セイはクスクス笑った。


「二人が認めるほど魔法は上手く無い筈なのに、時々動作なく魔法を使う時があるよね。あと虚空を見つめたり、まるでもう一人そこに居るみたいな?」


エイガストの心臓が跳ねる。表情を探るようなセイの言葉と視線。動揺をちゃんと隠せているだろうか。


「お兄さんは、エイガストの目を、どうして、調べるの?」

「それはね。彼の目が有益なものだったら一枚噛ませて貰おうという下心からだよ」


揶揄(からか)うセイの言葉に頬を膨らますゼミリアスは、エイガストは渡さないと言いたげに、両手でしっかりと彼を捕まえる。

ゴメンと笑いながら屈んだセイは、ゼミリアスと目線を合わせると両手を出し対話を求める。

少し迷ってからゼミリアスは片手だけ置いた。これには思わずエイガストも吹き出した。


「昔ね、僕の友人が紫の目を持っていたんだ」


セイの話では、その友人は幼い頃から他人の胸辺りに大小様々な炎が見えていたらしい。

それが寿命だと気づき、どうにか延命できないかと医療を学び、当時では原因不明だった病を癒すほどの名医になった。しかし、不運な事故や新たな怪我を患い、どんなに治療を施しても見えた寿命の通りに人は亡くなり、延ばすことなどできなかった。

彼は己の目を潰して自らの命も絶ったと言う。


「文献を漁ってやっと、紫の目にそういった特殊な力がある事を知った。友人はそんな事はなかったが、中には奇異の目に晒される事を恐れて、隠したまま誰にも言えずにいた者だって居た筈なんだ」

「エイガストは、大丈夫。ボクが、居る」

「うーん、残念、同情で気をひく作戦も駄目か」

「嘘の話だったんですか!?」

「話は嘘じゃない。フアンって名前の医学者くらい知ってるだろ?」

「知ってる。古傷病の、治療方法、確立した人」


セイの問いにゼミリアスが答えた。勿論、エイガストとパールも知っている。

ほんの十数年前まで原因不明の奇病と呼ばれていた海の上での病。傷が治らないどころか古傷が開く事から、古傷病と呼ばれていた。

フアンはその治療と予防薬として、乾燥させた薔薇(しょうび)の実から抽出した生薬湯を考案した人物。

若くして死んだ彼の死因が自決というのは当事者しか知らない事。


「セイさん。フアンさんの知り合いのカールって人、ご存知ですか?」

「勿論知ってるさ。古傷病の解決には彼も貢献してくれたから。よく知ってるね?」


何故エイガストの口から、記録にはされていないカールの名前が出るのかとセイは首を傾げる。

セイは気づいていないのか。エイガストとカールの接点を。


「俺の家名はヴィーディフ。カールは、俺の養父(ちち)です」


エイガストは父から古傷病の解決に協力した話を聞いていた。セイがフアンと友人であるなら、父であるカールとも面識があるだろうと推測し、それは当たっていた。

エイガストの事を何かと気にかけてくれる父の背景には、フアンの事があったからだろうか。


「ヴィーディフ。そうか。……本当に、僕の出る幕はなさそうだ」


セイは感慨深そうに目を伏せてから、ゼミリアスの手を離して立ち上がる。そしてエイガストに右手を出して握手を求めた。


「もし、君の目に映るものが君を苦しめる物だった場合、頼ってくれると嬉しい」

「……そうですね。その時は、お願いします。イェン陛下」

「あれ? 気づいてた?」

「当時、王太子の侍医はフアンさんで、父はサディアルの王子様と知り合いだと言ってましたし。それに海獣の意思を聞けるのは王族の特徴ですよね」

「そっか。ヒントを与えすぎたね」


してやられたと言う顔で笑うセイ改めイェン。

別にいつ気づかれても良かったが、もう少し揶揄(からか)いたかったと残念そうなイェンだった。


「あ、呼び方はセイのままで。王ってバレたら面倒くさいから」


シルフィエイン国での即位戴冠式のあと、こっそり影武者と入れ替わり抜け出してきたと言う。サディアル国出身でない限り意外とバレないんだそう。

イェンと言いゼミリアスと言い、王族は頻繁に城を抜け出すものなのだろうか。


「さて僕は彼に目的を明かしたよ。そろそろ君も教えてあげたら?」


セイに言われパールは少し困った様に笑う。

エイガストの監視に、他の誰でも無いパール自身が同行する理由。セイもパールに問い、そして未回答のようだ。


「そうね……」

「君の母親の事だろう?」

「……」


パールの母親であるスフィンウェル国の王妃は、既に亡くなっている。その事とパールが監視する理由が、セイには予想が付いているのだろうか。


沈黙が続く中、船尾の方で水の跳ねる音がした。魚でも跳ねたのだろうとエイガストは思ったが、先程までの和やかだったセイの表情が険しい。

異変を感じてエイガストは海へと目をやるが、暗闇が広がるばかりだ。


「エイガスト様、どうぞそのままでお聞き下さい」


唐突にレイリスがエイガストに声をかける。普段誰かといる時に割って入る様な事はしない彼女がである。

セイがいる為、目線を合わせられず視界の端でしか確認できないが、声が緊張している事から察するに緊急を要する事なのだろう。


「強い私怨を抱く者が近づいております。ご注意下さい」

「俺は見回りに戻ります、二人は」

「エイガスト、あれ!」


エイガストの言葉を遮ってゼミリアスは海を指す。その先には光を(まと)った美しい馬が立っていた。ジッとこちらを見つめるその視線にエイガストは背筋に悪寒が走る。

ゼミリアスに側に寄るように口を開きかけた時、レイリスがエイガストの前に躍り出て叫んだ。


「伏せろ!」「伏せて!」


セイとレイリスが同時に叫ぶ。

エイガストがゼミリアスに覆いかぶさると同時に、レイリスが防護壁(シールド)を張る。

キンと高い音を立てて防護壁(シールド)が斬り裂かれ、レイリスを擦り抜けた後ろの壁に、剣で切った様な跡が引かれていた。

エイガストはレイリスが不可視の存在だった事に、これ程安堵した事はなかった。

追撃の無い間にパールは上体を屈めたまま素早く船の縁に寄り覗き穴を伺う。


「大丈夫ですか!?」


上階の甲板から声が落ちてくる。

見上げた先のカンテラの灯りで浮かび上がる顔は、船守のコゥメイ。


「コゥメイさん! 海に馬が!」

「大丈夫。もう居ないわ」


パールは立ち上がり、さっきまで馬が佇んでいた海の上を見る。伏せていた全員が体を起こしている間に、酷く慌てたコゥメイが梯子を滑り降りてきた。

コゥメイはセイと目が合うと深々と頭を下げる。


「コゥメイ、何があった?」

「海獣海馬(ヒポシー)の接近がありましたので、お側を通る事を願ったのですが、とてもお怒りの様で……突然魔法を……申し訳ございません」

「いや、奴は最初から厭悪を抱いていた。君のせいじゃない」


身に宿りし海の色は、海に愛されし者の証。いかに海獣といえど証を持つ水棲人(マナティ)には友好を示すと言う。だからこそ船守として最低でも一人は乗船するのだが。

この船には海色の瞳を持つコゥメイと海色の髪を持つセイがいると言うのに、攻撃してきた海馬(ヒポシー)は一体どれほどの深い憎しみを抱いていたと言うのだろうか。


私怨はもう感じられないとレイリスの報告を聞きエイガストは船内の見回りに戻る事にする。

コゥメイとセイはもう少し甲板で様子を見るという。海獣の扱いに関しては二人の方がよく知っているだろうと、任せる事にした。

パールも部屋まで戻ると言うので、見回りのついでに部屋まで送り届けた。


「エイガスト」


去り際にパールが呼び止める。

振り返ってエイガストが見たパールは、珍しく沈んだ表情をしていた。


「黙っていてごめんなさい。いつかは伝えなければいけなかったのだけど、今は日常の生活に支障をきたす程、深刻なものを見ていない様だったから、余計な不安を増やしたくなかったの」

「パールさんが俺を心配して黙っていたんだって事はわかります。でも俺、パールさんの思うほど弱くないと思うんですけど」

「うん。……船を降りたら私の話、聞いてくれる?」

「勿論です。では、おやすみなさい」


部屋の扉が閉まると、エイガストはゼミリアスを連れて船内を歩く。夜も随分遅いので外を歩いている客はいない。

船外に出て船尾側の甲板を見回った時、床に転がる蝶の硬貨を拾って嫌な気持ちを思い出す。ゼミリアスはエイガストの手から硬貨を奪うと、エイガストのポケットに押し込んでしまった。

あまりの早業にエイガストは何も対処が出来ず、何も見なかった事にするゼミリアスに苦笑するしかなかった。


船内を一巡して舳先の甲板に戻った時には、もうセイとコゥメイの姿はなかった。代わりに数名の船員が帆を畳む作業をしている。

先程まで吹いていた風は止まり、うっすらと霧が発生していた。


走行方法を蒸気機関に切り替えるだろうからと、ゼミリアスを連れてエイガストは機関室に向かう。二人は近くで見れると楽しみにしていたのだが、現場では機関士と整備士の複数名が話し込んでいる。


「どうしたんですか?」

「見回りか。調子が悪いみたいでな、点検中だ」

「そうでしたか、お疲れ様です」


しばらく動きそうに無いと判断し、エイガストとゼミリアスは見回りに戻った。

その日は夜が明けても蒸気機関が稼働する事はなかった。



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