031
宿の受付に戻ったエイガストは店主に頼んで炊事場を借りて、パールに頼まれた薬の調剤を始める。
作り方としては簡単で、材料を粉末にして規定量で配合する事。そして今回は苦味を抑える為に、可食紙で包む。エイガストが幼い頃、苦い粉薬を飲む事を渋っていた時に父が作ってくれたもの。オブラートと呼んでいたか。
シルフィエインは小麦だけでなく米も豊富、可食紙を作りやすい。
米から抽出した成分を水と合わせて加熱した後、軽く熱していた鉄板に薄く伸ばし広げて乾燥させる。できる限り薄くし、尚且つ穴の無いように作るのが腕の見せ所。鉄板から剥がれて紙の様になったら焦げる前に取り上げ、適度な大きさに切り一回分の粉薬を包んで完成。
出来上がった薬を持ってパールの部屋へ向かおうと、炊事場を出て客室の階段を登ろうとした時、受付の人と会話をしていた背の高い男性がエイガストを引き止める。
「君が、エイガスト君?」
「え、あ、はい。そうですけど……貴方は?」
波打つ海色の長髪と鋭い深翠色の目、身長は高くエイガストの頭一つ分抜けている。濃い肌の色と服装でサディアル国出身である事が伺える。
知らない人物に呼び止められて、エイガストは身構える。
「僕はセイ。シルフィエインの救済者の顔を見にきたんだ」
「止めを刺したのは確かに俺ですけど、それは両国の軍と共に戦う仲間がいてくれたこそです。そんな言葉で揶揄するのはやめて下さい」
「おや、機嫌を損ねてしまったかな」
「用事はそれだけですか?」
話を切り上げて階段を登ろうとするエイガストの腕を、セイが捕まえる。
「せっかちだなァ。僕にも勧誘させてよ」
「私兵の勧誘ならお断りします」
「兵? 違うね、僕が欲しいのは君の目だ」
「目……?」
「あれ、君には見えていないのかい?」
「何をですか」
「紫の目はね、見えざるを見る特別なものなんだ。でも君のその態度からみると、相手の死期を見たり心の中を覗いたりする訳じゃなさそうだ」
見えないものを見ると聞いたエイガストが、真っ先に浮かんだのはレイリスの顔。思わずセイが掴んでいた腕を強く振り払う。
「そんな恐ろしいもの、見える訳ないでしょう」
「そっか、だから彼女は君に付いてるんだね」
セイの口にする彼女とはパールの事か。今この場で出会ったばかりのセイが、エイガストの同行者まで把握している。そしてパールがエイガストと同行する理由が紫の目にあると言いたいらしい。
エイガストの訝る様子にセイは小さく肩を竦める。
「今回は出直すとするよ。僕も君が何を見るのか興味があるしね」
そう言ってセイはエイガストに背を向けて宿を出て行った。
釈然としない気持ちだけ残されて、エイガストは溜息を吐きつつ階段を登って部屋に向かう。薬を渡そうとパールの部屋を叩こうと思ったが、先ほどのセイの言葉が脳裏を過ぎり、一旦自室に戻って落ち着く事にした。
見えないものを見ると言った紫の目。エイガストが自覚している事はレイリスの存在だけ。
パールが語ろうとしなかったエイガストについてくる理由が、紫の目で見える何かなのだとしたら。エイガストが「青が見える」と明かしたら、パールはどうするのだろう。
そこで、エイガストに疑問が浮かぶ。
今まで紫の目を誰かに忌避されたり、好奇に見られる事がなかった。そんな謂れがあるならもっと前に知る機会はあった筈だ。
エイガストも自分以外に紫の目の人物に会った事はなく、珍しい色なのだとは思うが、一人旅を始めて二年以上経って初めて聞く話に、セイの欺騙なのではと思い始める。
エイガストは、初めて会ったセイより数ヶ月共にしたパールを信用する事にした。
口振りからしてまた接触をしてくるだろう。セイの事をパールに報告する為にエイガストは薬を手に彼女の部屋へ向かった。
夕飯を終えた夜。椅子にゼミリアスを座らせたエイガストは、昼間にゼミリアスが購入した薬草を机に広げて答え合わせをする。
三つに分けられた薬草のうち、殆どが紙に書かれた品であったが、二つだけ違うものが混じっていた。
「束ねられた薬草に紛れていたのがコレ。買う時はバラして確認して良いからね。狡い人は解ってて中に雑草を紛れ込ませるから」
束のまま購入した薬草に紛れていたものは、紙片にも書かれた類似する間違いやすいもの。並べてみると葉の形が違う事が良くわかる。
「こっちも判り難いけど違うものだね。探してみて?」
エイガストから渡された薬草手帳の頁を捲り、該当する薬草だと思われる絵をエイガストに見せる。
「どうしてそれだと思った?」
「萼の、かたち?」
「うん、正解」
エイガストの言葉にゼミリアスは安堵の溜息を吐く。
改めて間違っていた薬草の見分ける方法の解説と、それぞれの効能や用途の説明をした後、エイガストはゼミリアスが購入した薬草を粉末にする。更に三種類の粉末と混ぜ合わせ、蜂蜜を垂らして一塊にし、一粒分を天秤で量りとる。
ゼミリアスはエイガストが量った一粒を掌で丸めて平皿に並べる。全てを丸め終わり、ゼミリアスが赤と黄の魔晶石を使用し乾燥させる。
「ありがとう。やっぱり便利で良いなァ、乾燥させる魔法」
乾燥を終えた丸薬を小瓶に詰め、蓋に製造日を書いて鞄に仕舞いながら、エイガストはゼミリアスの魔法を褒める。自力では水一粒作るのに精一杯の今では、魔晶石を持っていても乾燥させる事は至難の業だった。
「エイガストも、魔法の勉強、だね」
「だね。頑張る」
出国の日の朝、三人は出国手続きの為に役場を訪れていた。
新品のゼミリアスの旅手帳に記された証明欄に姓はなく保護者はエイガストとなっているのを見て、エイガストは少し複雑な気持ちになるが、ゼミリアス本人はそうでもないらしい。出国日と乗船する船を確認し、承認のサインを貰って役場を後にする。
「では、また後ほど」
「行ってくる」
「ふふ、二人とも頑張ってね」
船員として働くエイガストとゼミリアスは腕章をつけて、パールとは別の乗り口から乗船。弓や薬など最低限の手荷物だけ残して、ゼミリアスと戸棚を共同で使用する。
簡易鍵が付いていたが、ゼミリアスは魔法で二重の鍵をかける事を提案し、レイリスに施錠して貰う。鍵はエイガストが管理する。
水の魔法は弓を介してレイリスに協力して貰う必要があるため仕方のない事だが、狭い船内ではやはり動きづらい。手に持たなくても良いように革ベルトで固定して背負った。
輪番でゼミリアスとエイガストは別々の仕事を与えられ、昼休憩以外は別行動。ゼミリアスと組む相手は恰幅の良い女性の船員。帽子と上着を羽織っているので正規雇用されている様だ。
「よろしく、お願い、します」
「ゼミリアス君だね、こちらこそよろしく」
数日は彼女の下で仕事を習う。行ってきますと無邪気に手を振るゼミリアスを見送り、エイガストも配置に就く。
炊事場の奥に集まったのは、雑用の腕章を着けるエイガストとサディアル人と、見習い船員の三人で今日使用する食材の皮をひたすら剥く作業。そして全員が水係でもあるので交代で炊事場に向かうため、皮剥きの作業は実質二人で行う。
輪番で見た名前ではサディアル人がハオ、見習いの船員がデュークと記されていた。
分担を決めて三人が食材を取りに倉庫に入っていた時、出港の合図である汽笛が鳴り大きく船が揺れた。
重い木箱を抱えたハオが体勢を崩して後ろに倒れそうになった所を、丁度後ろに居たエイガストが支える。
「大丈夫ですか?」
「は、はい、ごめんなさいッ」
動き始めた事で足下が揺れ、木箱の重さも相俟って多少よろめきながらもハオは無事に厨房まで運び終える。エイガストは少し遅れて歩き、いつ後ろに転んでも良いように構えていたが、要らぬ心配だった様だ。
「そうそう、この船の事聞きました?」
「どんな話ですか?」
「船の材料に鯨っていう海獣の骨が使われているそうですよ」
「海獣の中でも一番大きいのが鯨ですよね。よく捕まえられましたね」
「ですよね。オレも最初聞いた時スゲー驚いた……ハオさん、どうしました? 顔色が」
「い、いえ。大丈夫です、ちょっと驚いただけで……」
「サディアルの人も海獣は怖い存在なんですか?」
「む、難しい、かな。怖いのもいるし、怖くないのもいるから……」
船を造る時に海獣の骨や牙を素材に使う事で、弱い魔獣を除ける効果がある。大抵は小型の海獣である逆戟や鮫が使われるが、鯨は海獣の中でも一番大きい。その分捕らえるのも難しかっただろう。
船の話から始まり、シルフィエインでの即位戴冠式の話になり、旅の目的だとか目標だとか話題は移り変わる。
最初は楽しく会話をしながら作業していたが、剥き終えた食材の消費頻度が上がって喋る余裕も無くなり、昼に近くなる頃には炊事場は戦場と化していた。炊事場に水を補充に行っていたハオが疲弊したところでエイガストと交代し、水瓶に水を補充しつつ皿や調理器具を洗う。
慣れてくるとレイリスが率先して水を補充してくれる様になる。エイガストの都合で働かせる事になってしまって申し訳なかったが、レイリスが楽しいと微笑んでくれた事にエイガストは安堵し感謝していた。
夕方になり長期休憩に入ったエイガストはパールの部屋付きに話をつけ、食事を持って様子を見に訪れた。
扉を叩いて返事を待ってから部屋に入る。
「加減は如何ですか?」
「……多少はマシね」
パールの側にあるサイドテーブルの水差しは既に空になっていた。エイガストが渡しておいた薬は二回分服用したらしい。
昼食を摂らなかったと聞いていたが、薬の効果で眠っていたのだろう。寝起きの乱れた髪を手櫛で軽く整えている。
「軽いもので用意したんですが、食べられそうですか?」
「ありがとう。頂くわ」
細かく刻んだ野菜が柔らかくなるまで煮込んだ魚介のスープを、ゆっくりとパールが飲んでいる間に、小窓を開けて換気し水を補充する。
「今日はもう薬の服用を控えた方が良いですね。これ以上は逆に気分が悪くなるかと」
「わかった。そうする」
食事を終えたパールは器をエイガストに渡すと、再び布団に潜って丸くなる。
エイガストは換気していた窓を閉め部屋を後にする。部屋の外で待っていた部屋付きにパールが眠った事を伝え、そのまま外で待機する様に伝えているとゼミリアスが顔を出す。ゼミリアスも今日の仕事は済んだらしい。
「パール、大丈夫?」
「今眠ったところ。二、三日休めばまた元気になるよ」
「ワ」
二日後、調子を取り戻したパールはエイガストを呼び出し、魔法の訓練と称して、レイリスの手助け無しで湯舟に水を張らせる。
休憩室で待っていたゼミリアスが、疲労により萎れたエイガストを出迎える。
「パール、元気になって、良かったね」
「……そうだね」
ゼミリアスの満面の笑みに消え入りそうな声でエイガストは答えた。
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