027
「兄さん、お願いがあります」
「なんだ」
ゼミリアスがゼカイナと面会ができたのはエイガストが発って三日が過ぎた夜の事。
日中だけでは終わらない仕事を、私室に持ち込んでまで処理しているゼカイナは手を止めずに言う。
「ボクはエイガストのハクチョウになりたい」
「意味をわかって言ってるのか」
「はい」
走らせていた筆を止め、顔を上げたゼカイナはゼミリアスを見る。
「我々王族が相棒を異種族と結ぶ場合、お前を王族から除名し、エルフェン族との婚姻も否認される事になる。国同士の友好とは訳が違う」
外に出た王族の血が、将来の王に仇を為さない為の追放。
ゼミリアスにその気が無くとも、子供等にその気がないとも限らない。ゼミリアスに流れるエルフェンの純血は断たねばならない。
「わかっています。それに、その二つは以前から父に言われておりました」
「……あの方は」
ゼミリアスの母が産後に死亡してからゼミリアスに対して無関心な事は分かっていたが、父親としての責務も処遇も放棄していたとは。
ゼカイナは僅かに顔を顰める。
「漠然と考えておりました。いつか追放されてしまうのなら、自分の想う相手が良いと」
「それがあの人間だと」
「はい」
「お前は大切な事を忘れている」
ゼカイナは手にしていた筆を置き、ゆっくりと溜息を吐く。
たっぷりと時間を置いてから言葉を続けた。
「我々と人間の寿命の差だ」
人間がおよそ六十年生きるのに対し、エルフェンは百を優に超える。
どんなにエイガストが長生きしても、人間の生は短い。
「彼が死んだ後、お前はどうするのだ」
追放されてしまえば帰る家も土地もなくなる。
親しい者が眠った後、ゼミリアスが孤独に耐えられるのかを心配している。
「死に別れでしたら寿命に限らず、病でも戦でも同じ。共に過ごせる期間が短いのであれば尚更、側に居たい」
「彼にはもう告白したのか」
「家族としっかり話し合って、ちゃんと許可を貰え、と」
「成程。私が許さなければどうする?」
「許して貰えるまで、何度でも」
正座した膝の上に置かれているゼミリアスの拳が、震えを隠す様に強く握られている事にゼカイナは気づいている。
レティーナの後ろに隠れて発言を遠慮していた五十の離れた末弟が、初めて強い意志を見せるのが別れの言葉とは。ゼカイナは心の中で自嘲した。
「そうか……お前の言い分はわかった」
「では」
「条件がある」
継承の問題はゼカイナが居れば問題ない。
国王が居なくなった今、ゼミリアスの処遇をどうするかはゼカイナが担う。
今から二十年ほど教育を施せば、小さな領地を任せる事も、どこかへ婿にやる事もできるだろう。
エイガストに国の弓兵となる事を断られた以上、彼との接点をゼミリアスが繋いでくれるこの提案はゼカイナにとっても悪くはない。
後はゼミリアスがどれくらい本気なのか見定める必要がある。
「彼は商人だったな」
「はい、セイクエット国の東の方に実家があると」
「で、お前の学問はどこまで進んでいる?」
ゼカイナの質問の意図が分からず、ゼミリアスは言葉を詰まらせて首を傾げる。
「語学、算学、商学、各地の歴史や文化の知識。それと無く事業を聞いたが、錬金学と薬学と生産の知識も必要だと踏んだが。どうだ、何か一つでも役に立てるものはあるか?」
「エルフェン語を教えてました。他は、少しずつ教えて貰うつもりで……」
「母国語は大陸の外では通用せん、人間語が出来て最低限だ。ふん。金の使い方も、物の価値も碌に知らない者が商人の片翼を担うだと? 笑えない冗談だ」
東の港町までの馬車賃を、装飾品で賄ったと聞いた時は眩暈がした。耳の飾り一つで何往復できる価値があると思っているのかと。
ゼカイナの目が鋭く細められる。その表情は、厳しい父の面影を彷彿とさせた。
ゼミリアスは僅かに体を震わせる。
「彼は戴冠式には戻ってくると言ったな。お前に課題を出す。本気だと言うならば、彼が戻るまでに、全てに合格してみせろ」
執務室にて次々と舞い込んでくる仕事に辟易しながら、ゼカイナは文書に目を通しては署名する。
魔法で処理できれば良いのだが、公的な物はそうもいかない。多くの人員が失われた今だけは、魔法の使用を許されても良いのではと思う。
「お兄様」
扉が開かれレティーナが顔を出す。
後ろには新たな書類を抱えた文官を引き連れている。
「入れ」
入室を許可すれば文官の書類はゼカイナの机に積まれた。減らしても減らしても無くなる気配がない。
無意識に大きなため息を吐く。
そんなゼカイナにレティーナが小休憩を提案し、庭へ出る事にする。
「遺品の整理は粗方終わりました。この後、お兄様の私物を王室に移動させます」
「手間をかける。それで人払いをしてまで誘い出した理由はなんだ?」
「こちらを。第一王妃の遺品を整理中に見つけました」
「これは……」
レティーナが差し出したのは古びた手製の人形。
かつてゼミリアスの母である第三王妃が、身重の頃に作成していた物だとゼカイナは覚えていた。
「当時の母は誰が見てもお分かりになる程に、レクァンテラ様に嫉妬なさっていました」
当時、国王の熱望により迎えられた三番目の王妃レクァンテラ。
愛する王の心を独占するレクァンテラに嫉妬した第一王妃レシェイルは、彼女を誹謗し中傷した。
私物を隠した壊した、そんな話も見聞きしていたゼカイナは、この人形もその時隠した物の一つなのだろうと思った。
緑の羊毛で髪を模し、取れてしまったと思われる黒い目の右側は、大きさの違う赤いボタンで縫い付けられている。
弱ったレクァンテラは双子を産んで程なく息を引き取った。生まれた子供も片割れは死に産まれ、ゼミリアスも乳母から危険だったと聞く。
レクァンテラが死んでから王は人に興味を示さなくなった。
レシェイルにも、ゼミリアスにも。
人形の目を縫い直したのは恐らくレシェイルだろうが、彼女がどんな想いで針を握ったのかは今ではわからない。
ゼカイナの母である第二王妃のレビアンカも出産の後から体調を崩し、ゼカイナが成人を迎えるまでに亡くなった。
二人の仲が悪かったという話は聞かないが、もしかしたら第二王妃もーー
ゼカイナは思考を止め深く息を吐く。答えを知る者は皆、既に居ない。これ以上は邪推でしかない。
人形を含め一部の遺品は王族の地に埋葬する様に指示する。
「ところで、ゼミリアスの様子はどうだ」
「真面目に学問に励んでいますよ。ゼナフが心配するくらいに」
「ふん。普段から真面目に取り組んでおらんからだ」
鼻で笑うゼカイナにレティーナは苦笑する。
ゼカイナの課題が、しっかり学べば達成できる事をレティーナは知っている。ゼカイナなりの、激励なのだと。
「引き止めはしなかったのですね」
「私とて父や兄と同じ。今までゼミリアスを見向きもせず、家族としても接していなかったんだ。居なくなっても大して変わらん。お前こそ、引き止めなくて良いのか?」
兄弟の中で一番深く接してきたレティーナこそ、その権利があると。
ゼカイナの言葉に、レティーナは微笑みを浮かべた。
「あんな表情されてしまったら、止められませんよ」
レティーナの見てきたゼミリアスは、寂しげで儚く、心配させない為の作り笑顔と空元気と、少し背伸びした姿。それなのに、道中での事を語る表情は本当に楽しそうで、そこにレティーナの知っている偽りの笑顔はなかった。
家族の中では一番接してきたかも知れないが、国王と第一王妃に遠慮していた部分もあり、権利があるならばそれは、ゼミリアスの伯父にあたるゼナフだけだとレティーナは思った。
「そうか」
遠くで二人を呼ぶ声がする。
短い休憩は終わりを告げられ、ゼカイナは溜息と共に肩を落とす。その様子にレティーナは小さく笑う。
「私もできる限り補助致します。参りましょう」
「ああ、頼んだ」
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