026
「俺は中央本部に上がる」
別れ際にアレックが言った。
国都の本部に所属するという事は、元帥の直接の部下となり、そして婿争いに参加する権利を得たという事。
「帰ってきたら席が無くなってるかもな」
「それはどうかしら」
過去に何度か拳を交わし、パールの強さに惚れ込んだアレックに対して「国軍最強の男になったら考えてあげる」とパールは答えた。
その三節後にあった入軍試験に本当に合格していたのだから、この時ばかりはパールも少しだけ意識した。
あれからニ年。会うたびに彼は昇進し、また小さな傷跡も増やしていた。パールには傷を作るなと小言をいう癖に。
「私も、負けてられないわね」
物思いにふけるのはここまでだと、晴れやかな朝日に背伸びして気持ちを切り替える。
西の街を取り返して数日、復興の支援として多くの者たちが訪れている。それに便乗して悪巧みを企てる者も訪れる。
窃盗、密売、詐欺、誘拐、等々。
パールは国から派兵された者たちと共に、警備に当たっていた。
とは言え、そこまでの悪人と言える者はほんの僅か。
パールたちが対処する相手は、大抵が街や畑に侵入してきた野生動物。次いで喧嘩の仲裁。
パールは警邏の間は出来るだけ沢山の人に声をかけ話を聞いた。会話の中に紛れる小さな不満や不安、これらが大きな喧嘩になる前に摘み取れる様に。
喧嘩といえば呆れるものもあった。
西側の崩壊した屋敷から壁を貫いて伸びた、矢の通り道。
そこを大通りとして残そうと企画され、その名称についての揉め事。エイガスト通りなんて候補がある事を知った時、本人は全力で却下していた。
結局はいくつかの候補名から投票で選んでもらい「一閃通り」という名前で落ち着いたらしい。
シルフィエインはエルフェン族を中心とした国家。
海を隔てた歴史のせいか、種族による習慣の違いか、寿命の違いによる時間の差か。エルフェン族は排他的とまでは行かないが因習深いところがある。
ゼガラント国王は十二年前までは外国と交流を行っていたが、次期国王と言われていた第一王位はそれを嫌い、八十年前までの前国王と同じ封鎖政策の方針を掲げ、その時代を生きた者たちからの支持も多かった。
変わって第二王位のゼカイナは外派と言われ、革新的な考えを持つ。この十二年間、外国と交流を積極的に行っていたのも彼だ。
スフィンウェル国軍の協力の下に解放された街。他国の支援によって復興していく街。今はぎこちないが新しい王の下、この街も人も変わっていくのだろう。
もっとも、その変化が明確に現れるのはパールの孫の代まで先の事になるだろうが。
朝礼を終えたパールは今日の配置場所に向かい、交代予定の兵士が付近に居ない事に気づく。
近くの畑で作業する人を見つけて行方を尋ねた。
「あっちの小屋で家禽が逃げたって、応援に行ったよ」
「ありがとう!」
お礼を言って指された方へ向かえば、獣に壊されて大きな穴を開けた小屋と散乱する羽根と、三歳児並みの大きさのある大雉を抱えた数人の男たち。
近隣の養鶏場から追い込み籠を借りてきて、小屋が直るまでは大雉はそこに入れておく。力が強いので重石を忘れずに。
「大雉を捕まえる注意点ってあるかしら? 足が折れやすいとか、大声に弱いとか」
小屋についた爪痕と足跡から、兵士は熊だと推測した。パールが交代を告げると、戻る序でに役人に報告すると言って彼は現場を離れた。
歩幅の間隔でおおよその体格を予測しながら、パールは大雉の捕まえ方を尋ねる。
「そうだな、捕まえる時に雄の爪で蹴られる奴が多いからそれくらいか。拘束魔法が使えるならそれで良いぞ」
追い込み籠に押し込まれた大雉の足を見る。後側に生える蹴爪と呼ばれる太くて鋭い爪を見てパールは納得する。
「小屋を襲ったのは熊みたいね。この国ではどう処分してるの?」
「普通に食うけど。……あー、そっちでは食わないんだっけ」
「ええ、内臓に毒があるらしくて。こっちの熊は食べられるの?」
「おう、美味いぞ。ぜひ狩猟人に頑張って貰いてェな」
増援が訪れ大雉の捕獲と小屋の修理は、昼前に終わった。
家畜小屋まで熊が下りてきたと連絡を受けた仮設の役人が、派兵の一部と狩猟人の合同班を組んだその中に、パールも参加させて貰う。
班は熊の足跡と羽根を辿って山へ入る。
熊避けとして熊の嫌う臭い袋を木に吊り下げ、定期的に交換する事で街から遠ざけていたが、しばらく山に入れなかったため効果が薄れていた。復興が始まり順次対応していたが、今回熊の下りてきた場所は未だ手付かずにいた場所だった。
「では、熊を見つけたらゼニッシュさんとゼムジルさんが拘束して、ゼオンさんとゼクソンさんが仕留める。仕損じた場合は私が出る、と言う事で」
「姐さん一人で十分だと思いますが」
「あら駄目よ。次も私が居るとは限らないんだから」
輪番の休み時間に兵士たちが模擬戦と称して訓練をしていたところにパールが飛び入り参加した事があり、一部から「姐さん」と呼ばれて親しまれている。
狩猟人のゼオンは兵士でもない異国の少女に指示されて少々不満顔を見せるが、兵士の二人が信頼している手前、文句が言えないらしい。そんな彼にパールは笑顔を向けるのだった。
山腹に差し掛かる頃、苔の生えた大きな岩の上で眠る熊を見つけた。パールと比較すると三倍を超える巨体を持つ雄の熊。
「呑気なものね」
緊張している兵士と狩猟人たちとは裏腹に、穏やかに笑っているパール。そんな彼女を見て「呑気なのはどっちだよ」と言う悪態を吐くのはゼオン。
「今なら拘束も容易いわ。それじゃ……」
「指図されなくても、ここからは狩猟人の分野だ。部外者は黙ってろ」
「そうね。命に関わると判断した時だけ、手を出す事にしましょう」
若く見えてもゼオンはこの班の中で一番の歳上。パールが産まれるよりずっと以前から、狩猟人として仕事をこなしている。その矜持もあるのだろう、指示を出そうとするパールの言葉を遮った。
敵意に触れないようパールは素直に退がり、熊と彼等を一望できる位置で見守る事にする。
パールを追い出したゼオンは残りの三人と相談し、熊を拘束する人物を狩猟人のゼムジル一人に減らした。
ゼムジルは魔法の杭で熊の両手を、寝そべる岩に打ち込む。
痛みに目を覚ました熊は、絶叫をあげ体を大きく揺さぶり両手の杭を引き抜こうと踠く。
ゼニッシュが弓矢で熊の目を射ち、左目に突き刺さる。
素早く駆け寄るゼオンが踠く熊の首に大振りのナイフを突き立てる。浅い。ゼオンの想像より毛と皮が硬い。
間髪入れずにゼクソンが熊の背に直刀を深く突き立てた。
熊が一際大きな咆哮を上げると、両手を拘束する杭が掻き消えた。
咆哮による魔力の放出。魔法に至る以前の、原始的な使い方。それでも魔法の杭を消すには十分な強さだった。
自由になった腕を熊は大きく振るった。即座に武器から手を離し後退した二人だったが、ゼクソンは腕に浅い掻き傷を負う。
ゼムジルが魔法の鎖を放ち拘束する。熊は再び吼えた。
鎖を断ち切るほどの魔力の衝撃波を受けて、全員の動きが一瞬止まる。その隙を突いて熊が走る。目標は眼前にいるゼオン。
ゼオンはフッと息を吹き、熊に目掛けて魔法の刃を放つ。
けれど刃を受けて表皮が傷つこうが怯む事なく、熊はゼオンに向かって牙を剥く。
パールがゼオンの襟首を掴んで後ろに引っ張ると同時に、大きく開かれた口へ大石を喰らわせた。
亀裂音と飛び散る赤い血飛沫。無理矢理押し込まれた人の頭部程の大石が熊の牙を折った。
「口は塞いだ、もう魔法は使えないわ。左右から拘束した後、奥の木に掛け回して引っ張って」
ゼムジルとゼニッシュに指示を出しながら、よろける熊の懐へ入り首に刺さったままのナイフを横に引く。深く裂けた首の傷から大量の血が流れ出る。
それでも興奮状態の熊の勢いは衰えない。
ナイフを振って血を切りつつ、跳ねながら後退しゼオンの側に戻る。
ナイフの刃を持ったパールは、ゼオンに握りを向けて差し出す。目を丸くして呆気にとられたまま、ゼオンはナイフとパールを交互に見る。
「止めをお願いしても?」
「あ、ああ……」
立ち上がった熊の両腕をゼムジルとゼニッシュが紡ぐ魔法の鎖で、一気に後ろに引き倒す。
仰向けに倒された熊の、背中に刺さったままの直刀がより深くなり、腹側に鋒が顔を出す。
大石で塞がれた熊の口から漏れ出る、呻き声と赤い血。
ナイフを握ったゼオンは熊の腹に飛び乗り、首を落とした。
仕事を終えた人たちが夕暮れの炊き出し場に集まる。
居住区域の共同窯が完成し、試運転も兼ねて振る舞われたパンには、本日狩った熊の肉を包んでいる。
挽肉になってもしっかりとした歯応えを感じつつ、パールは初めての熊の味を堪能する。
エイガストはまだ作業中らしく、パールが一人で簡易テーブルでパンを頬張っていると、向かいの席にパンと飲み物の入ったカップを持ったゼオンが立った。
「ここ、良いか?」
「ええ、どうぞ」
「昼間はすまなかった」
「謝るような事なんてあったかしら?」
席に座ったゼオンが開口一番に謝罪を口にする。
それに対してパールは首を傾げた。その表情は誤魔化そうとしている訳でもなく、本当に心当たりがない様子。
「俺はお前を、班から追い出そうとした」
「それは、民間の私が狩猟人の領分を侵したからでしょ。当然だわ」
「しかし、そのせいでゼクソンさんが怪我を」
「そんな事ないわ。私だって魔力を放つ熊だなんて、想定してなかったもの。私の方こそ出過ぎてしまって、ごめんなさい」
「いや、お前がいなかったら俺は」
ゼオンはパールの年齢よりも長い間、狩猟人をしてきた。それこそ熊を狩った経験だって数えきれない。今回もいつも通りやれると、ゼオンは狩猟に臨んだ。
しかし、結果は魔力を使う熊に即座に対応できずに負傷者を出し、己自身もパールに助けられてしまった。
すっかり消沈してしまったゼオンに、パールは困った様な表情を見せる。
「野生生物から民間人を守るのは狩猟人なのだから、あなたは自分の仕事を全うしただけ。何も間違ってないわ」
民間人を脅威から遠ざけたゼオンの行動に何の問題はない。偶々今回はパールが熊と渡り合える民間人だったから成立しただけの話だと。
ゼクソンも兵士だけあって掻き傷も浅く済んでおり、魔療使の手によって治療された今はもう傷はない。
「でも、そうね。またあんな熊みたいな動物が現れるかも知れないし、あなたも訓練に参加しない?」
自警団再結成に向けての募った有志たちと、兵士たちによる訓練が近々開始される。武器の扱い、体の動かし方、効率的な魔法の使用など新たに学べる事は多い。野生動物相手の生存率も上がるだろう。
ゼオンは静かに頷いた。
「そうだな。そうしよう」
「私も滞在する間は参加するから、よろしくね」
笑顔で手を出すパール。ゼオンはその手を取り、互いに握手を交わす。
そんな二人の元へ数人の男が近づく。大樽を抱える彼等の腕には兵士の腕章が付いている。
「姐さん。勝負しやしょ」
ドンとテーブル横に置かれた酒樽は既に蓋が開けられている。
全員顔が赤く既に酔いが回っている様子。
「やだゼウスさん、既に酔っ払ってるじゃない」
「こんなん酔っ払った内に入らねーっス」
「何言ってるのよこんなに真っ赤になって。ゼライアンさんも止めて下さいよ」
「無理っスね。でも酒は美味いんで飲んで欲しいのは俺も同意見。って事で姐さんもどうぞ」
ゼライアンは升と呼ばれる木製の四角い器に、並々と注いだ米酒をパールへ。受け取る間にも溢れる酒をテーブルに置く前に少し口をつける。
「あ、美味しい!」
向かいに座っていたゼオンにも酒を注いでいたゼライアンは、パールの言葉に「だろ?」と顔を綻ばせた。
「姐さん、あの話聞かせて下さいよ。海の魔獣討伐」
「パールさん! オレは連合国共同戦が聞きたいっス」
「じゃあ私はマージリナ峠の話を」
「ちょっとみんな、何でそんなに詳しいのよ」
「オレたち外派ですもん」
酔っ払いの兵士にパールを取られ、彼女の横顔を見ながら注がれた酒を黙って口にしていたゼオンがゼライアンに尋ねる。
「彼女は何者なんだ?」
「んー。みんなの憧れっスかね」
世界を渡る旅の傭兵に付けられたハヤブサの名は、今では憧憬の対象として若者の空を往く。
広いと思っていたシルフィエイン国が治める中大陸も、若い世代からしたら小さな鳥籠でしかない。ゼオンの中にも遠い昔の幼い日にそう思った時期があった事を思い出す。
近々行われる戴冠式。国の世代交代。
新しい風はもう来ているのかも知れない。
よろしければ下記の★にて評価をお願いします。
誤字脱字も気を付けておりますが、見つけましたらお知らせください。