023
夜が終わり陽が大地を照らす頃、街と全軍が見渡せる高台からゼミリアスが見下ろしていた。
身を包む衣は、兄から受け取った戦闘衣装。
着物、被衣、帯までも全てが白で統一。その中で一際目立つのは口元を覆い隠す、嘴型の黒い面。
帯にはエイガストから借りた短剣を挿し、金剛杵を首から下げ、羽団扇を手にした姿は立派な指揮官の出立だった。
全軍が所定の配置につき、準備完了の旗を立てる。
開戦の法螺貝が鳴く。
東門と南門から轟音と衝撃と煙が上がる。魔法と衝角にて破られた壁から、第一軍の兵士が中へ突入する。
刀という片刃の剣で駆けるエルフェンの兵士は、白い鳥が滑翔する姿にそっくりで、エイガストは彼等の国旗に白鴉が記されている理由を知った。
ゼカイナの育てたシルフィエイン兵の白と、ピーガルの指揮するスフィンウェル兵の赤が、街を二色に染めあげる。
「ボクたちも行こう」
二人の法使が潜むと思われる屋敷へ突入する。
振り返るゼミリアスの側に控えるのは、ゼカイナの直属である近衛兵ゼファイン、ゼアンバー、レスィールの三人と、エイガスト、アレック、パールの計六名。
アレックだけは個人で飛行し、残る三人は飛行できる近衛兵に抱かれて空を飛び、屋敷へ直接飛来する。
初めての浮遊に体を強張らせていたエイガストだったが、上空から見下ろした先に敵に囲まれた住人を見つけると矢を番える。
人の姿をした敵に一瞬の躊躇い。覚悟を決めた筈だと自らに言い聞かせて矢を撃つ。
無事に逃れた住人が兵士に保護されたところを見届け、屋敷の前に降り立った。
ゼファインとゼアンバーが両開きの玄関扉を魔法で吹き飛ばして先陣を切る。目の前に広がる三階まで続く吹き抜けのエントランスホールに、奴は居た。
二階の手摺に腰を掛け見下ろすのは、暗緑の髪のムルク。
ギヴの姿は見当たらない。
「や〜っと来たね。待ち侘びたよ!」
「ムルク! 姉さんを返せ!」
「いいよー。この家のどっかに居るから、好きにしなよ」
パチンとムルクが指を鳴らすと同時に、部屋の端に並べられていた全身甲冑が動き出す。
「ゼファイン、ゼアンバー、レスィールは姉さんを探して! こいつはボクたちが引き受ける!」
魔法で全身甲冑の動きを止めながらゼミリアスが言った。
三人がその場を離脱し階段を登る。それを二匹の小型の魔獣が立ち塞ぐ。
襲いくる全身甲冑を叩きつけ、頭を落とし、矢で膝の裏を射抜く。
全身甲冑は何度バラバラにしても元に戻り、再び襲ってくる。どこかにムルクの魔法を受ける紋様があるはずだが見つからない。
ムルクの魔法を妨害するには、紋様を取り除くかムルク以上の魔法をかける事。
「レイリス。こいつら停止させられる?」
「やってみます」
レイリスは両手を組んで目を閉じ、魔法に集中する。
ムルクから甲冑に激しく流れる魔力の中心を、レイリスは静かに停止させた。魔力が断ち切られた全身甲冑は、音を立てて床に崩れ落ちた。
「よくやった!」
ムルクに向かって飛翔するアレックが、息も絶え絶えに膝をつくエイガストに投げかけた。
「あ、止められちゃった。キミやるねェ〜」
楽しそうに笑うムルクは手摺の上に座ったまま、指先一つでアレックの槍を防ぐ防護壁を張る。
「んー、でも今ので精一杯って感じかな〜」
ムルクが音を立てて手摺を蹴ると、上の方でガシャンと音がした。
見上げるまでもない。天井に吊り下がっていたシャンデリアが次々と降り注ぐ。
息の整っていないエイガストはまだ立ち上がれずにいる。
「エイガスト!」
「ゼミリアス!」
制止の声よりも先に、魔法で増した瞬発力でエイガストの元へ逸早く駆けるゼミリアス。しかし大人一人を運ぶ余裕は無い。
エイガストに抱きつき、弓に触れてゼミリアスは叫ぶ。
「レイリス! 凍らせて!」
エイガストを中心に、氷の柱が身の丈を超えて突起する。
床から、壁から。幾つも伸びた氷の柱同士が絡まり、繋がり、シャンデリアを捉えては凍らせる。
その範囲は無駄に広いエントランスホール全てを、言葉通り凍り付かせた。
凍らせたのはシャンデリアだけではなかった。
小型の魔獣はおろか、ムルクさえも動きを止めていた。
動いているのは味方側のみ。
「エイガスト様、ご無事ですか!」
ゼミリアスの魔力を借りたとは言え、強すぎた威力にエイガストを気絶させてしまったのではと、レイリスは焦った。
レイリスの呼びかけにエイガストは視線を合わせ、大丈夫だと僅かに笑みを浮かべる。呼吸はまだ荒くて言葉は出ないが、エイガストの表情を見てレイリスは少しだけ安堵する。
「はっ」
小型の魔獣を氷ごと砕いた近衛兵は、レティーナを探しに屋敷の奥へと消えた。
アレックが氷漬けのムルクを砕こうと、斧の刃先にした魔装具の槍を振り下ろす。
突然、アレックの正面に現れた手から炎が放たれる。
炎に巻かれたアレックは落下。
燃える服を脱ぎ捨て床を転がり、散らばった氷の破片によりすぐに消火はできたが、直撃の傷は深い。
ムルクの胸から生えた、赤黒い血が滴る見覚えのあるガントレットの魔装具。
背後からムルクの体を貫いて、ギヴはアレックに魔法を放った。
「ふっ!」
階段を駆け上がりパールがギヴに飛びかかる。
ギヴは腕をムルクから引き抜き、その腕を振るって血を払う。
目を狙って飛び散る血を、パールは左手で庇い右の拳を振るう。
パールの右拳を左手で外側へ払い、後ろ手に隠したギヴの右手の指先が空を滑る。
パールの足元が崩落。即座に後方転回し落下を免れる。
足場が崩れ、物理的な距離を空けて互いに向かい合う。
「人を魔獣に変えるそうね。一体何をするのかしら?」
パールの問いかけにギヴは答えない。
答える利が彼には無い。当然かとパールは小さく息を吐き、どうやって距離を詰めるか考えを巡らせる。
パールとギヴが見合ってる間に、動けるようになったエイガストとゼミリアスは蹲るアレックの元へ。
これ程の怪我を負っても魔装具を手放さない辺り、強い兵士なのだろうとエイガストは改めて感じる。
彼は自分の傷に治癒をかけているが、得意ではないのだろう。回復速度は遅い。
「沁みますよ」
エイガストが治癒増強液をアレックの傷口に垂らし、その上から痛み止めの軟膏を薄く塗る。
小さく呻き声を上げるが、痛みで魔法を中断する事はなかった。もう少ししたら動けるようになるだろう。
ゼミリアスには魔力補給剤を渡す。
「これ最後でしょ?」
「ええ、ですからゼミリアスさんに。先程の威力は金剛杵の効果だと思います。多分、また借りる事になりそうなので」
エイガストは先程から嫌な予感がしていた。
ギヴやムルクがを前にしても感じなかったのに、魔獣と相対した時の胸の痛みが、今になって軋む。
しきりに周囲を警戒するエイガストに、ゼミリアスも視線を巡らせる。
「こんな氷も砕けませんか」
ようやく口を開いたギヴの言葉は、パールの問いかけの答えでも相手への威嚇でもなく、独り言めいたムルクへの小言。氷漬けのムルクに左手を翳した所から亀裂が走る。
砕けた氷と共にムルクが落下する。
「いい加減、目を覚ましなさい」
その言葉に呼応する様に、落下するムルクの胸の穴から黒い瘴気が溢れた。
生きているかの様に畝る瘴気はムルクを飲み込み、やがて形を成す。
「魔獣が……」
人が魔獣に変貌する様を初めて目の当たりにした。
恐怖に震えるゼミリアスの手を、エイガストは強く握り返す。
そこへ階段から駆け降りてきたパールが合流する。
「エイガスト、あなたはアレックが動ける様になるまでここに居て。防護壁を張る余力くらいは、まだあるでしょう?」
パールの言葉にエイガストは頷く。
「ゼミリアス君は私と一緒にアイツを牽制。アレックが復活したら反撃に移るから、それまで出来るだけ力を温存すること。できる?」
「できる!」
「良い返事ね」
ゼミリアスは深呼吸をして気合いを入れる。エイガストと握りあっていた手を離すと、一緒に握っていた魔力補給剤をエイガストの口に突っ込んだ。
「エイガストだって必要でしょ。半分あげる」
嘴の仮面を着け直し、ゼミリアスはパールと並んで魔獣の前に立った。
蛇の姿に変貌した瘴気の塊は、人一人を丸呑みできるほど大きく、その右目には血い石が妖しく煌めいていた。
「獣の姿ですらありませんか。期待外れです」
魔獣となったムルクにその言葉だけを残すと、ギヴは軽く床を蹴って宙に浮かぶ。そして飛んできた矢を左手で掴み、握り潰す。
階下からギヴを睨みつけながら矢を撃ったエイガストを一瞥し、ギヴの姿は空気に溶ける様に消えていった。
蛇の魔獣はその巨体からは信じられない程に素早く、また力を温存する為にパールとゼミリアスは回避に専念する。
動かないでいるアレックの方に意識が向きそうになれば、エイガストが矢を射かけて気を引き防護壁を張って保護する。
「手前ェに守られてるとか、どうかしてンぜ……」
皮膚の大部分がまだ爛れていて完治していないが、アレックが悪態を吐きながら徐に立ち上がる。その目は魔獣をしっかりと見据えている。
「アレック、報告!」
「魔法はもう使えねェっス。今からは唯の槍兵だ」
「了解」
魔獣の牙をいなしながらパールが問い、アレックが答えた。
唯の棒と化した魔装具の槍。柄の下半分の装飾を弄ると、少し細身の金属の直刃が生える。
エイガストは魔獣を気にしながらも、視界の端で槍の仕掛けを興味深そうに見ていた。
蛇の魔獣が鞭の様に撓わせる。短剣で受け流し弾きながらも少しずつ押し負け、後退を続けるゼミリアス。
短剣を取り落とし尻もちをつく。今にも叩き潰さんと擡げた尾の上から人影が降る。
「援護します!」
ゼミリアスを狙う尾を切り裂き、階上から飛び降りたゼファインが間に立つ。
尾が再生する前に、ゼミリアスは急いで落とした短剣を拾う。
「姉さんは?」
「ご無事です。二人と共に既に離脱しました」
空の飛べるレスィールとゼアンバーが窓から飛び立ち、今頃は街の外にある陣に保護されている。
ゼカイナの命令の一つは消化した。後は己が無事に帰還する事。
「絶対、帰るよ」
「はっ」
ゼミリアスは短剣を構えてゼファインの隣に立つ。
再生した尾が再び振り下ろされる。後ろにゼミリアスが、回転しながら前方へゼファインが避ける。
ゼミリアスが左手の羽団扇を高く掲げてから勢いよく振り下ろし、魔法の杭で魔獣の尾を床に磔る。そこからゼファインが魔獣の背を走り上り、刀で右目の血い石に一太刀加える。
既にパールが何度も打撃を与えているのか、随分と亀裂が入っている。
「この魔獣、傷の割に弱っていません。恐らく双核です。ご注意を」
「承知」
双核。大型の魔獣は稀に二つの核を持つ。
片方の核が残っている限り魔獣は消滅する事なく、核ですら再生される。
早急に蛇の魔獣から右目以外の核を見つけ出さなければ、体力も魔力も持続たない。
「では、八つ裂いてみましょう」
パールに距離を取らせ、ゼファインの周囲に生じた風の刃が魔獣へ向かう。魔獣は風の刃に躊躇う事なく、全身を切り付けられながらゼファイン目掛けて牙を剥いて突っ込んだ。
それを阻止するのは、頭上から打ち落したゼミリアスの魔法による杭と、エイガストの防護壁。
八つ以上に裂かれた魔獣の体に血い石はなく、杭を引き抜いた魔獣は傷口を塞いでいく。
「アレックさん」
「なんだ」
「二つ目の核って、別の魔獣に付いてたりしますか? 海の魔獣の時みたいな……」
「別の魔獣……ピーガルが相手にしてる奴か」
あり得なくはない。それがアレックの解答だった。
話を聞いていたパールもその可能性を否定しなかった。
海上で討伐した鳥の大型魔獣も、尾となっていた魚の方に核らしき鱗があった。あの時は鱗状の核が未熟な物であった為個々で対処できたが、今回は両方を同時に砕く必要がある。
予測が当たっているならば、ピーガルの方も苦戦しているだろう。
パールは一つの方法を提案する。
「ゼファイン、伝令を」
「しかし」
魔法を使えないピーガルへ作戦を伝える役を、ゼミリアスが指名する。
レティーナからゼミリアスの援護を任されたゼファインは少し躊躇った。
「この中でゼファインが一番速くて確実。違う?」
蛇の魔獣に対する主戦力は金剛杵を持つゼミリアスとパール。
パールの作戦ではエイガストは要で、負傷者のアレックでは時間がかかり過ぎる。
ゼファインは懐から出した紙切れを烏へと変え、ゼミリアスの肩へ止まらせた。
「決して、無茶は為さいませぬ様」
「うん」
ゼファインは床を蹴り上部の壊れた窓から外へ。ピーガルが討伐している魔獣がいる方角へ飛び立った。
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