020
パール側の部屋にもベッドが二つあり、後で余っている布団を一枚借りに行く予定だったのだが、先に受け取っておくべきだった。ゼミリアスの手が緩んだ頃合いを見て、エイガストは布団を借りに部屋を訪れる。
「パールさん。まだ起きてますか?」
ノックをして声をかける。
程なくしてパールが顔を出す。
「随分遅かったじゃない」
「ちょっと、捕まってしまって」
「そう。ねぇ、少し話さない?」
「え、でも」
いくら自分より強いパールと言えど、夜の女性の部屋に入るのは流石に憚られる。
真面目な顔で大事な話だとパールが説き伏せた結果、エイガストは躊躇いがちにも部屋に足を踏み入れた。
テーブルに向かい合って腰をかける。
ピーガルとアレックの訊問による報告は、食事の後に襲ってきた刺客が数日前から失踪し、捜索が出されている傭兵であったことだった。
「おかしいのは肉体の腐敗が始まっていて、死後数日は経過していること」
「俺たちを襲ってきた時には既に死んでいたってことですか?」
「そうなるわね」
「そんな魔法があるんですか?」
「少なくとも私たちは知らないわ。物を動かす魔法を応用すれば、それらしい動きをさせることは出来ると思うけど」
複雑な動きをさせるにはそれなりの技術がいる。生きている様に人を動かすことができるなら、直接武器を操った方が早い。となれば、別の方法で動かしているとパールは考える。
そこでエイガストは一つの気がかりを告げる。
以前クルガンを相手にした時に抱いた疑惑。今回の刺客に血い石がなかったかを訊ねる。
「確かにそう言った報告は何件か上がっているわ。欠片程の小さな石が埋まっていることも、確かにあったわ」
「あるんですね……」
「公表はまだしていないわ。外観で判断できないうえに、石も魔獣の持つ純粋な血い石じゃないのよ」
「紛い物?」
「ええ、血い石に近いものではあるんだけど。今のところわかっているのは、同種族の個体と身体能力の違いは見られないこと、動くものを狙いがちなこと、石は必ず外から見えるどこかにあること、石を体から切り離せば停止すること、体は死体であること」
採取した紛いの血い石を、生きた動物に縫い付けた実験では変化は起こらなかった。小さすぎたのか、魔力が弱いのか、生きている者は凶暴化しないのか、意識は、思考能力は。まだまだ検証が足りない。
誰が何の為に死体に石を埋め込んでいるのか、それすらも未だ判っていない。
そして、ムルクの目に埋まっている赤色の石は、どちらなのか。
「話を戻すわね。今回の刺客に石は埋まっていなかった。代わりに首の後ろに刻印があったわ」
パールは刻印の紋様を描いた紙片をエイガストに見せる。それはゼミリアスの肩に押された物とは違った紋様。
エイガストが確認した後、燃やして灰皿に捨てた。
「ゼミリアスを狙う刺客は、中央都市に着くまで続く。そして比較的最近の、役場に出されている捜索届けが数件。恐らく、死体とはいえ相手は人。更にいえば、魔法協会なら最高位に位置する実力を持ちながら、私やアレック、ピーガルも知らない無名の法使も人。エイガスト、あなた戦える?」
人を相手に戦いたくないからと入軍を断ったエイガスト。
戦えないのであれば、パールたちはゼミリアスと共にエイガストも守る必要がある。
パールはエイガストに、対人戦の意志を問う。
「人を相手に戦えない訳じゃないんですよ。傭兵業をやってると、どうしても相対する場面はあります」
賊という者は、残念ながらどこの国にもいる。
傭兵はそういう者から依頼主と財産を守る仕事。エイガストも人を相手に武器を取ったことはある。
動物を狩る時とは違う、戦場の空気と臭いと感触と高揚は、何度経験しても忘れられない。
「武力は最終手段の切り札です。俺はできるだけ武力以外の手段を選びたい」
エイガストは言葉を区切る。
助けを乞うゼミリアスの手を取ったのは自分の意思。
戦う為の決断は自分の意志。
自然と両手に力が籠った。
エイガストはパールの問いに答える。
「ですがゼミリアスを守る為に武力が必要なら、俺は戦います」
「そう。余計なお世話だったみたいね」
「いいえ。気遣ってくれて、ありがとうございます」
随分と話し込んでしまったと、エイガストは布団を抱えて足早にパールの部屋を後にする。
そっと扉を開けて男部屋に戻ると、起きていたアレックがエイガストに無言の威圧をかけるが、エイガストは何食わぬ顔でゼミリアスの近くの床に転がり、アレックに背を向けて目を閉じるのだった。
中央都市までは複数の街と村を経由する。連絡馬車を乗り継いでエイガストたちは中央に上る。
港町を連絡馬車で発ってからしばらくして、刺客は現れた。無理言ってアレックが馭者の隣に座っていたお陰で、馬車に乗る人たちに被害は無かった。
エイガスト一行は馬車から降り、刺客の相手を引きつけている間に馭者には馬を走らせるよう言い放ち、先に行かせた。
対峙する黒く汚れた商人風の男性。
血の気の悪い肌色と焦点の合わない瞳。伴わない呼吸。乾いた血がこびりついた傷口からの腐臭。
昼間という明るい場で見る刺客の姿は異様だった。
四人がかりでゼミリアスに猛進するだけの刺客を、鎮圧するのに時間はかからない。
動かなくなった死体から遺品と遺髪を採取し、次の街で失踪者の照合を行う。首の後ろには例の刻印が押されていた。再び動き出さない様に刻印を潰す。
街道から外れた場所に穴を掘り、ゼミリアスは遺体に木の実を持たせる。この国での一般的な埋葬方法らしい。
一緒に埋めて一行は先を急いだ。
どんなに急いても人の足には限界がある。
丁度良い河原を見つけた時には、陽が陰り始めていた。
アレックが周囲の確認を行い結界を張る。その間にエイガストが手頃な石を集めて竈門を作り火を起こす。
パールは汲んできた水で湯を沸かして、道中で狩った鳥の羽根を毟る。
ゼミリアスは一層疲れた様子で、手分けして夜営の準備をする三人の様子を見ている。
「疲れた……」
「結構歩きましたから」
昨日までの体力も完全ではないまま出発し、馬車を降りてからは大人の足の速さで進んだのだから、身長の低いゼミリアスが遅れず着いてきただけでも大変だっただろう。
労うエイガストの手を甘んじて受け入れ、ゼミリアスは大人しく頭を撫でられている。
食欲が湧かないと言うゼミリアスに、エイガストが良いものがあると言って取り出したのは黄瓜の酢漬。食欲がなかったり疲れた時に齧ると言う。
ゼミリアスはそれを一切れ口にした途端、強い酸味に顔を顰めて水を飲んだ。
「ピクルスね。うん、酸っぱい」
「酒が欲しくなるな」
横から伸びた二つの手が酢漬を摘む。二人の口には合ったらしい。
鳥を捌いて串に刺し、火で炙る。酢漬の効果だろうか、焼き上がる頃にはゼミリアスの食欲が戻っていた。
エイガストの持っていたビスケットに、アレックの酒の肴である魚卵の塩漬けを塗ったものと、パールが用意した塩と香辛料で焼いた鳥の串焼き。摘むものとしてナッツと酢漬。
即席にしては随分と豪華なものになった。
寝支度の前にエイガストが手帳に覚え書きを記していると、その手元をゼミリアスが覗き込む。
「何、書いてる?」
「街で見た商会の名前と製品と単価。食堂の料理の絵と名前。後は読めなかった文字とか、これなんですけど」
頁を見せながらペンで文字を示すと、これはとゼミリアスが読み上げる。エイガストは即座にペンを走らせ、気になった所を読んで貰い、綴りの間違いを修正する。
「エルフェン語は慣れてなくて。ありがとうございます、助かりました」
「楽しい?」
「ええ、学ぶ事は楽しいです」
「嘘。おもしろくない」
「ゼミリアスさんは、学問が嫌いですか?」
「嫌い」
ゼミリアスの間髪入れない返答に、エイガストは苦笑する。
それでもゼミリアスの視線は、書かれた内容に興味があるのかエイガストの手帳に手を伸ばし、頁を遡ってめくりはじめた。
少なくとも、人間語で書かれた見知らぬ土地の事柄を読む事は、ゼミリアスにとって「嫌い」な学習ではないらしい。
ならばとエイガストは一つの提案を思いつく。
「ゼミリアスさん」
「ん?」
「俺のエルフェン語の先生になって貰えませんか?」
「ボクが、先生?」
「はい。先日みたいな言い間違いをできるだけ無くしたいですし、ゼミリアスさんとエルフェン語で話ができたら良いなって、思ったんですけど」
「なる。エイガストの先生、なる!」
「オウタージェ。テッツ ゼミリアス」
「オゥタージェ」
早速、ゼミリアス先生からの発音の指摘。何度か言い直して発音を修正した。
それからはゼミリアスが言った単語をエイガストが復唱する事を反復。挨拶と簡単な返事を始め、時にエイガストから質問してゼミリアスが答える。
アレックから「うるせェ」と怒られるまで続いた。
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