019
エイガストはゼミリアスの汚れた白い服を着替えさせる為に、一度宿に寄る。
子供服の持ち合わせは無かったので新調すると、ゼミリアスがエイガストの財布事情を心配したが、大丈夫だと押し切った。
着替えている最中に、左肩に痛々しく刻まれた紋様が目に入った。エイガストがそれについて訊ねると、後でまとめて話すとゼミリアスは言った。
少し値は張るが個室のある食事処を、アレックが押さえていた。既に監視や盗聴の妨害魔法を施してある為、アレックを上回る法使でない限り、外部に漏れることはない。
料理が全て運ばれ給仕が下がったことを確認し、まずはパールが自分達の立場をゼミリアスに話した。
その後でゼミリアスの話を聞く。
「姉さんとみんな、助けてほしい」
先節、二人の法使が中央都市の西にある街を占領した。
そして城に現れた法使は、王妃を魔獣に変えて連れ去ってしまう。兄である第一王位が騎士団を連れて西の街に解放に向かったが、誰一人帰ってきていない。
今は西の街に至る全ての道を封鎖していると言う話をゼミリアスは姉から伝えられて知った。
シルフィエインの国力では対応できないと姉が言う。
スフィンウェル国のような軍事力があればと、大型の魔獣を討ち取ったという噂の弓兵ほどの腕があればと。
そう嘆く姉の言葉に、ゼミリアスは自分が連れてくると壮語した。果たせない約束などするべきではないのだが、姉を元気付けたい一心からくる言葉だと、それをわかっているから姉はゼミリアスに礼を言って微笑んだ。
そんな二人の会話を聞いていた者がいた。
西の街を占領する者の片割れ。暗緑の髪と右目に赤い石を埋め込んだ、ムルクと名乗る法使の男。
彼は二人に刻印を打ち込み、勝負を持ちかけた。
刻印は死への呪い。刻限は一節。
それまでにゼミリアスが強い協力者を見つけ出し、見事ムルクを討ち果たせばゼミリアスの勝利。呪いは消え去るだろう。
そして姉にはゼミリアスが無事に帰還できるかの賭けを持ちかける。姉は即座に帰還する方へ賭けた。不気味な笑みを浮かべるムルクが続けた言葉は、ゼミリアスに刺客を放つと言うもの。
ムルクにとって遊戯とは、人々の抗う姿を見て愉しむ事だった。
スフィンウェル国への船は、東の港から出ている。
ゼミリアスは街から街へ弓兵の話を旅人に尋ねながら移動し、刺客を掻い潜って港まで辿り着いたが、道中で金銭代わりになりそうな装飾品は全て使ってしまい、何より国を出るための旅手帳を持っていなかった。
式と言う白い烏を使って対岸の街を監視に来たが言葉を送る術が無いうえに、スフィンウェル軍の施設は魔法を妨害してしまうため近付けない。
港からシルフィエインに出国する者たちから、強そうな戦士で協力してくれる様な人物を見繕っている時に、エイガストと出会った。
「パールが、軍の施設行くの、知ってる。でも、うまく監視れない。だから、一緒にいるエイガスト、見てた。あと、木の実くれる」
「対象は私だったのね」
魔法を維持する為に烏に魔力を与えなければならなかったが、金も尽き刺客に追われる日々で満足に食事も摂れてなかった。ゼミリアスの烏は魔力を含む石や種などを腹に入れる事で、少しだけ補給が出来るらしい。そんな時に、顔を見せれば木の実をくれるエイガストは都合が良かった。
「集られてンじゃねェか」
「本物の烏だってそんなもんですよ」
アレックの野次を突っぱねて、エイガストはゼミリアスに続きを促す。
二人が軍の施設に入ってしまう事で見失ったが、次に目撃したのは海上で魔獣と戦う姿。姉の渇望していたスフィンウェル軍の力を目の当たりにする。
入国したスフィンウェル軍と接触を試みたが、ムルクの刺客が邪魔をして会う事は出来ず、エイガストたちの様子を烏越しに見ていたらアレックに手痛い仕打ちを受けたと言う。
知らなかったとは言え王族に手を出したアレックは、その話題を出されると気まずそうに目を逸らす。
「エイガスト、魔獣に弓、使ってた。強い弓兵の人?」
「えっと。多分、そうです」
国都での討伐を観戦していた者は多かったが、まさか一節も経たずに外国にまで届いているとは。顔を知られていない事が唯一の救いか。
「おねがい、します。助けて、ください」
ゼミリアスは椅子から降りて、パールとエイガストに向かって膝を折り両手を地に着いた。
額を地に付けんばかりに平伏するゼミリアスを、エイガストが慌てて立ち上がらせる。
「俺で良ければいくらでも協力します。ただ、話を聞く限りでは俺独りでは難しいです。パールさん」
「そうね。規模の大きさからスフィンウェルから軍を派兵するべきなのでしょうけれど、今からではどんなに急いで準備をしても、中央都市に着くまで二十日は掛かるわ」
「ゼミリアスさん、刻印はいつ打たれましたか?」
「六日まえ……」
一節は三十六日。
中央都市に着いた時点で残り十日。ギリギリ間に合うかどうかの日数。
ゼミリアスの後ろに回ったアレックがしゃがみこむ。
「ゼミリアス様、刻印を辿らせて貰って良いスか?」
「ワ」
アレックはゼミリアスの袖を捲り、左肩の刻印に直接触れる。複雑に編み込まれた魔力の糸を辿り、侵食する呪の解消を試みる。
「ッ!」
突き刺す痛みに手を離す。
簡単に解消出来ない様に幾重にも施された罠。寸前で回避した事で激痛のみで済ませたが、ゼミリアス自身が解消しようとしていれば死んでいただろう。
だが罠に触れた事で垣間見えた、歪んだ笑みを浮かべるムルクの顔を覚えたアレックは、不敵に笑った。
「ウェウェフ……だいじょぶ?」
「平気です。解消には至れませんでした」
「アレックでも手こずりますか」
突然の声は部屋の入り口から。
赤銅色の髪をアイビーカットにした男性が、肩にアレックの尾長鼠を乗せて立っていた。
「ピーガル」
「遅かったっスね」
名前を聞いてエイガストは会議室で見た顔だと思い出す。
彼は海上戦で魔獣に襲われた軍艦の救助に向かい、そのまま中大陸に向かった艦を指揮していた人物だ。
歓迎するパールとアレックとは対照に、ゼミリアスは見知らぬ人間の登場にエイガストの服を掴む。知り合いで味方だと説明すると、ゼミリアスは安堵の溜息を吐いた。
ゼミリアスの話はアレックの尾長鼠を通じて把握しているらしい。
腰をかけたピーガルがここに来た理由を語る。
「負傷者を送り届けた折、ゼカイナ第二王位殿下から協力要請があり、先日、元帥からシルフィエイン国に上陸している私の隊が任命されました」
「兄さん?」
「はい。それからレティーナ第三王位殿下から、ゼミリアス様の保護を請けておりましたが、適任者が既に居られた様で安心しました」
「随分と帰りが遅いと思ったわ。でも要請したのは、国王陛下ではなかったのね」
シルフィエイン国は昔から積極的な外交を望まず、保守の色が強い。海を挟むとは言え、隣国のスフィンウェルとしてはもう少し交流を深めたいところ。
緊急事態の時くらい頼ってくれても、そう独り言つパールだったが、ピーガルが表情を曇らせるのを見て眉を寄せた。
ピーガルは一度ゼミリアスに視線を移し、意を決して口を開く。
「ゼガラント国王陛下は、崩御されました」
全員の手が止まる。
言葉の意味を確かめる様に、何度もピーガルの発言を頭の中で繰り返す。
「王と親衛師団で件の法使と攻戦し、敗れ、亡骸を魔獣に変えられたそうです」
「その魔獣は何処に」
「先日海上で討伐した、魔獣です」
食事を終えて店を出る。辺りは既に暗くなっていた。夜も営業している飲屋街を過ぎると、すれ違う人も疎らになる。
ピーガルの話の後、食欲も失くしてすっかり落ち込んでしまったゼミリアスを、エイガストが抱える。
アレックとピーガルを先頭に、エイガストを挟んでパールが続く。突如として先頭の二人が、宿に向かう足を止める。
ピーガルが腰に挿した短剣を抜くと同時、暗がりから投擲ナイフがゼミリアスを狙って投げられた。
ナイフを叩き落としピーガルが駆ける。黒装束の人影がナイフを手に襲い来る。
深い溝の刻まれたピーガルの短剣が黒装束のナイフを噛ませて落とし、腹部を蹴り飛ばす。体勢を崩した黒装束の人物が、体勢を整える前にアレックの魔法が手足を拘束する。
ピーガルの両手が、動けなくなった黒装束を掴み、側頭部を地面に叩きつける。
そのまま黒装束は動きを止めた。
鎮圧まで、あっという間だった。
パールがエイガストの前に立ち、ゼミリアスを隠す様に背を向けたエイガストが、いつでも逃走できるようにしている内に、ピーガルが相手を伸していた。
魔法封じの手枷を黒装束に掛け、軽々とピーガルが肩に担ぐ。訊問すると言ってアレックと共に暗闇に消えて行き、エイガストはパールと宿へ向かった。
少し狭いが男三人で一部屋と、すぐ隣の部屋にパールが泊まる。
ベッドに寝かされたゼミリアスは程なくして眠ってしまった。数日間ずっと緊張していたのだから無理もない。
寝付くまで側にいて欲しいと握っていた手は、寝入った今でも離れそうにない。
その内パールに報告を済ませたアレックが戻り、部屋に着くなり二つしかないベッドのうち一つに横たわった。食事処にいる間ずっと魔法を使っていたため、疲労が溜まっていたのだろう。
気づけば両方のベッドが埋まってしまった。
本当ならエイガストかアレックのどちらが床で寝るか、相談する予定だったのだが。ゼミリアスの休息を邪魔するのも忍びなく、アレックと共寝するのは断固拒否したい。
エイガストが床で寝る事が、強制的に確定した。
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