016
夜の酒場。
カウンター席に並んで座る、エイガストとアレック。
アレックが酒の瓶をエイガストに差し向け、エイガストはグラスで受ける。
注がれた酒は随分と度が高い。エイガストは呑めない訳ではないが苦手らしく、アレックがグラスを空けてもまだ半分以上残っていた。
二人の間には長い間沈黙が訪れていた。
店に入ってからの会話は、挨拶と名乗った程度。
そろそろ気まずいと思ったエイガストが口を開く。
「あ、あの。アレックさん、空飛んでましたよね。魔法上手なんですか?」
「まァ、法使の中では、そこそこ知名度はあったかな」
「すごいですね。俺、魔法は苦手みたいで」
「氷の矢を撃っておいて苦手は無ェよ」
「あれは……」
レイリスのおかげだと、そう口にしそうになって躊躇う。姿の見えない存在に手助けして貰っていることを、明かしても良いものか。
途端にエイガストは口を噤む。
「不動を司る青属性の能力変換で、最も強力な現象は何か?」
「……?」
「毒だ。次点で氷。この時点で高位の法使になれる。まァ、毒魔法を実際に使える奴なんて居ないがな」
「そうなんですね」
青の属性そのもののレイリスが使うのだから、当然だろうとエイガストは思った。
エイガスト自身ができるのは、僅かな水を生み出す程度で、凄いのは彼女だ。
そしてレイリスが本気を出せば、毒の魔法を使うことができる。それは確実に死に至る恐ろしいもの。エイガストにそれを教えなかったのは、彼女がそれを使うつもりがないと言うことなのだろう。
たとえ知っていたとしても、エイガストはレイリスにそれを使わせるつもりはなかったが。
「随分と他人事の様に言うな」
「魔法の威力を比較したことが無いので、あんまり実感が……」
「お前、法使の知り合いとか居ねェの?」
「居ません。魔獣と戦える程度に魔力は強いんだろうとは思っていますが、前にパールさんと一度手合わせしたことがありますが、全く相手にならず」
「そりゃ相手が悪い」
アレックの記憶の中で、彼女が単騎で負けたと言う話を聞いたことがないと言う。軍の中でもパールの強さは規格外らしい。
彼女が負傷する時は、必ず誰かを庇ったときだと。
「お前、パーラスフォード様のことをどう思う?」
エイガストが丁度グラスに口をつけたところで、アレックから思いもよらない質問を投げかけられ、勢いよく酒を呑みこんだ。
カッと熱くなるのは、喉の奥か、顔面か。
「ど、どう、って?」
「俺は。パーラスフォード様が好きだ」
戸惑っているエイガストにアレックは言い放ち、鋭い視線をエイガストに向ける。
「法使から魔装兵士に転向し、功績を挙げ、推薦を得て、ようやく中央行きが決まり、お側に立てると思った矢先。パーラスフォード様は中央を離れて流れの男と二人旅! しかも揃いの耳飾りまでしやがって!」
「ち、ちょっと待って下さい。パールさんが着いてくるのは元帥の命令ですし、耳飾りも監視のための強制なんです」
「ンなこた知ってる。そう見せる為の揃いだってことも、そうした方が都合が良いこともわかってる。それでも俺はちゃんと手順を踏んで御近付きになったってのに、掻っ攫ってったお前が許せねェ」
「ただの八つ当たりじゃないですか!」
エイガストはとうとう不平を口にする。
好きで今の状況にある訳ではないのに、それに対して「八つ当たって何が悪い」と開き直るアレック。
戦場を飛び回り魔獣と渡り合って見せた彼の勇姿は何処。エイガストは少しでも格好いいと思っていた彼の印象を修正した。
「で、どう思ってンだ?」
「どうもこうも。恋愛感情とか無いです。俺は軍人になりたくないんで、そう言う心配もしなくて良いです」
「信用ならねェ」
エイガストは、わざとらしく無愛想に答えた。
アレックは数杯目の酒を呷る。強い酒だというのに顔に一切現れない。
「って言うか、そんなに心配なら、なんで監視役に女性を立てたんですか?」
「ンなこと誰もが指摘したさ。それでもパーラスフォード様が譲らなかった。理由は今でも語らねェし、その様子じゃお前にも言ってねェんだな」
アレックの様子を見る限り、何度か問い詰めたらしいが、未だに明確な答えを貰えていないらしい。
恐らくエイガストが問うても、答えは返ってこないだろう。
それで不貞腐れているのか。気づいたエイガストのアレックに対する感情は、怒りを越して呆れだった。
「もういいですよね。帰ります」
「待て」
席を立とうとするエイガストの腕を、アレックが掴んだ。
エイガストは大きな溜息を吐いて振り払う。
「まだ何か?」
「お前、今監視られてることに気付いてるか?」
「パールさんの耳飾りの事ですか?」
「いや別の奴。そんだけの魔力がありながら辿れもしねェのか」
「そんなこと言われても」
「そういう奴のために、詠唱やら記紋が在んだよ」
酒の瓶を空けてから店を出るよう言い残し、アレックは先に退店する。
エイガストは残りの酒をグラスに注ぐ。きっかり一杯分。残すには惜しい。肴も無しに飲み切るのは無理だと判断し、水と店員のおすすめを一皿注文した。
店を出たアレックはエイガストを監視ている痕跡を追った。魔法で跳躍力を高め屋根伝いに駆ける。この方が陸を走るより速い。
相手は監視の痕跡を隠蔽していない。これでは辿ってくれと言っているも同然だ。相手が未熟なのか、それとも誘っているのか。
辿り着いた場所は港。魔獣騒動で漁船から客船まで、全てが停泊している。
その内の一隻に、海鳥ではない白い鳥が止まっている。否、烏だ。
「エルフェンか」
烏が飛び立つ。
しかし、アレックの飛翔の方が速い。あっさりと捕まえ、烏を介して法使へ魔力を飛ばす。
相手の法使が痛手を負ったのだろう、烏は鳴き声一つ吐くこともなく、白い紙へ変貌した。それをアレックは燃やして棄てる。
「子供の悪戯にしちゃ、悪質だな」
魔力を飛ばした時に甲斐見えた光景。遠い海の向こう、中大陸の港から監視ていたのは、小さなエルフェンの子供だった。
「ま、これで懲りただろ」
アレックはそのまま軍施設の方へ飛ぶ。
施設の屋上ではパールが待っていた。
パールの隣に降り立ち、アレックは見てきたことを伝える。
「お待たせしました。監視は潰しました、中大陸のエルフェンです」
「ありがとう。助かったわ」
それにしてもと、パールは思考を巡らせる。
エルフェン。白い髪と白い肌。尖った耳先が特徴的な種族。魔力が強く魔法に長け、未熟な子供でありながらパールでは監視の妨害が出来なかった。
もし悪意が有るのであれば、中大陸にて接触の恐れがある。エイガストとパールの二人だけでは心許ない。
ふとパールが視線をあげると、アレックとばっちり目が合った。
「アレック」
「っス」
パールの強請るような微笑みと、腹を括ったアレック。
「もう少し、付き合ってもらえるかしら?」
「あなたの命ならば、どこまでも」
酒を飲み終えたエイガストは、夜風に当たって酔いを覚ましながら街を歩いていた。
「詠唱や記紋が在る。そんな事知ってるし、売ってくれないのは魔法協会じゃないか」
詠唱、これは使いたい魔法を唱えるだけで発動させることができる言葉。長いものから短いものまで。詠唱辞書という本が協会の図書館にあるらしい。
エイガストも一度だけ聞いたことがあるが、発音が難しく、なんて言っているのか解らなかった。
記紋、これは使いたい魔法の紋様が描かれており、魔装具と同じく魔力を通すだけで発動させることができる道具。
どちらも手に入れる際は魔法協会の許可が必要で、その許可を得る為には、協会が運営する学院で三年以上学ぶ必要がある。つまり、法使にならなければならない。
しかし、その学院の費用が恐ろしく高額で、金持ちの後援者でもいない限り一般市民には遠い世界の話。
愚痴を言いながら辿り着いた場所は、宿ではなく軍施設。
エイガストが入り口の前で立ち止まると、ひとりでに扉が動いた。
「よォ、来ないんじゃねェかと思ってたぜ」
アレックが扉を開いて出迎える。
店を出る前に軍施設に来るよう言っておいたが、本当に来るとは思っていなかった。アレックはパールの耳飾りで所在を見てもらい、接近していることを確認し迎えに来た。
エイガストはパールの監視にも気づいていないらしい。
「正直、あなたのことは好きではありませんが、魔法の技術は学びたいので」
「安心しろ、俺もお前は好きじゃ無ェ」
アレックが案内した場所は、埋め立てられて造られた海の上の演習場。
アレックから無造作に投げ渡された小さな麻袋と腕輪を、エイガストは受け取り内容を確認する。
「グ実?」
麻袋の中には、弾力のある小粒の木の実が沢山入っている。
煮ても焼いても干しても水に晒してもエグ味が残るので、食べられなくは無いが美味しくない。良く弾むので子供の玩具としては人気がある。
腕輪はバングルタイプで平べったく、表面に鍍金の加工が施されている。紋様とも文字ともとれる奇妙な羅列が、内側にはビッシリと彫られている。
「魔力の扱いがクッソ下手な奴が使う補助品だ。利き手に着けろ」
アレックはエイガストから二十歩ほど、距離を空けた位置で対峙する。
エイガストが腕輪を装着したことを確認し、アレックは自分の右手に魔力で生み出した剣を握る。
「魔力で出来ること一つ。集めて固めて武器や防具に充てる。こいつは青と相性が良い」
言い切ってアレックはエイガスト目掛けて魔力の剣を投げた。
ヒュっとエイガストの耳元で風が突き抜けた。
「え?」
「魔法で出来ること二つ。動かしてぶっ飛ばす。こいつは赤と相性が良い」
投げた動作から、手を握り引っ張る動作へ。
エイガストを通り抜けた魔力の剣が、方向を変えて戻ってくる。
咄嗟にしゃがんだエイガストの真上を剣が疾った。
「チッ避けたか。魔法で出来ること三つ。異なし変化える。硬いものは柔らかく逆も然り、右へ行くものは左へ上へ、動作や形に変化を加える。こいつは黄と相性が良い」
「殺す気ですか!?」
「ンな失敗するかよ。怪我くらいはするだろうがな」
アレックは返ってきた剣を掴み取り、鋒をエイガストに向ける。
「後はお好みで複合して、能力変換すれば良い。わかったか?」
「わかる訳がないでしょう!?」
「ったく、面倒だな。とりあえずその実に魔力を込めて投げろ。腕輪の補助でやり易くなってっから」
アレックのやり方は滅茶苦茶だが、実力は確かだ。
エイガストはグ実を一つ手に取り、弓と同じ要領で魔力を込めてみる。目に見えての変化が無いので、魔力が入ったのか入っていないのか判らない。
判らないがエイガストはグ実を、アレック目掛けて思い切り投げつけた。
アレックは握っていた魔力の剣でグ実を打ち返す。返されたグ実は途中で軌道を変え、エイガストの額へ直撃した。
「ッデ!」
「手で投げるな。そこにも魔力を使え。チンタラやるな。次!」
「このッ」
赤くなった額を押さえていたエイガストが顔を上げ、グ実を複数掴んで投げつける。
「お前の魔力はそんなモンか? 本気でやれ!」
「イ゛ッタィ!」
「打ち返されると分かってんなら盾でも張れ」
「出来るものならやってる!」
「出来る出来ねぇじゃねェ、やるんだ!」
「ア゛ダッ!」
エイガストが投げアレックが打ち返す応酬。
その合間にも互いに声を荒らげ合う。
徐々に速度を上げて投擲されるエイガストの力に、アレックは楽しくなってきていた。
ただ打ち返すだけでなく、軌道を操作してあり得ない角度からエイガストの額へ直撃させる。
何度も同じ箇所を狙えば、安穏としたエイガストの目にも闘争の火が灯る。
「目を凝らせ。流れる風、揺れる炎、波の飛沫。そのどれにも魔力が宿る!」
アレックが打ち返したグ実から、繊く細く繋がる、魔力の糸。
エイガストが糸を遮るように魔力を込めた右手で断ち切れば、魔力の断たれた実は落下する。
「流れを殺すな。乗っかれ、利用しろ!」
エイガストの投げるグ実。手から離れると途切れていた糸が、だんだん伸びる様になる。繋がっている間に曲がれと意識をすれば、僅かに軌道を変えた。
しかし動かすことに意識を向けすぎて、打ち返されたグ実を防げなかったのは言うまでも無い。
「誰もが魔法を使ってる間は必ず意識が向かう。手の動き、足の運び、装飾の音、視線、息遣い。相手の挙動を見逃すな!」
それはそれは、わざとらしく動くアレック。
その動作からグ実をどう動かしているのかが見て取れる程に。対処できるかは別として。
本来ならもっと気付きにくい最小限の動作で魔法を使えるところを、エイガストに見せつけるために行っていることが、エイガストには只々悔しかった。
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