013
人村の盲目の老婆の話によると、川の上流に転々茸の生息地があり、その胞子を大量に吸うと毒により熱病を患う事があった。
いつしか沼が消え、川の上流へ行けなくなってからは熱病に冒される者も少なくなったと言う。
結界を張って移り住んだ山猫人は、時折熱病に倒れる者はいたが、これ程までに急速に広まった事はなかった。
川上の転々茸の生息地へ探査をかけると共に、熱病の薬に必要な転々茸の足を獲りに行く事に立候補したのはパール。
「他に足りない材料は? 序でに採ってくるわ」
エイガストの手にしている調剤法にかかれた材料。
印の付いていないものは、転々茸の足と赤百合の根。
ワニのいる沼の周辺が赤百合の生育地と聞いて、帰りに寄れば良いと、パールは気軽に言った。
「もうすぐ日が落ちます。夜の森は危険です」
「作戦に昼も夜も無いわ。でも、そうね。そこの貴方。道案内をお願いできるかしら?」
パールの指名した相手は、老猫の従者の山猫人。彼は瞠目したのも束の間、パールを睨む。
その反応を見てパールは続けた。
「ちゃんと言葉は伝わってるわね。病に苦しむ人間のために、私達は薬の材料を調達に行くわ。山猫人はどうする? 人間が嫌いだから、恨んでいるから協力しない? それとも、人間に助けられるのがお望み?」
パールの挑発は山猫人の従者を怒らせるには十分だった。
毛を逆立てて勢いよく立ち上がり、老猫の家を飛び出していった。
「パールさん……」
「私達は同盟を結んだの。何もかもを人間がやるのは、保護でしかないわ。ちゃんと協力し合わないとね」
心配そうなエイガストに、大丈夫とパールは軽くウインクを送る。そして、失礼な物言いをした事を老猫に謝罪する。
老猫はゆっくりと首を左右に振った。
パールはエイガストから、鼻と口を覆う布切れを受け取り、兵士を一人連れて外に出る。
老猫の家を出て森の入り口に目を向ければ、槍を持った山猫人が立っていた。
「私はパール。貴方の事は何と呼べば良いかしら?」
「…。…グォン」
「グオンね。日が落ちる前に終わらせましょう」
山猫人の発音は難しい。パールに微妙な発音で名前を呼ばれ、ピクリとグォンの耳が動く。が、それだけだった。特に訂正されないので、パールはそのままで呼ぶ事にする。
調剤に関する準備はエイガストに任せると言って、パール達はグォンと共に森へ入った。
川の流れに逆らって上流へ。グォンは後ろを確認する事なく、足場の悪い獣道を駆け抜ける。パールと兵士は遅れる事なく後を追う。
陰り始めた森では、川縁の境目が曖昧になる。グォンの踏んだ足跡を、二人は確実に追った。
山から流れ落ちる滝から始まる川の縁。朽ちた大型の獣を苗床に、足の生える前の紫色の転々茸が群生していた。
歩いているのは、視認できて五本。紫の中に一際大きく目立つ、鮮やかな踊る緑。違う種類なのか、変異した同種なのか、判断のつかないパール達は別々に捕獲することにした。
転々茸は歩きながら胞子を振り撒く。攻撃的ではないが、近寄ればマスクをしていても毒に冒される恐れがある。
捕獲にあたって必要なのは足の部分。
兵士が転々茸の足元の土を窪ませて転ばせ、パールが拘束魔法で捕らえ引き寄せる。グォンが槍で傘を落として兵士の持つ麻袋へ詰め込む事を四回。
緑の転々茸だけは傘を落とさず、まるごと袋に詰め込んだ。
「あとは……」
足が生える前の群生をどうするか。
このまま放置しておけば、また歩き出して毒を撒く。しかし下手に火をつければ、森に燃え移る恐れもある。
「ゥアール」
考えるパールにグォンが声をかけた。
パールが視線を向けると、グォンがゆっくり腕を振る。腕輪の黄色い石が仄かに光り、周囲の風の動きが変わった。
「ありがとう、グオン」
グォンの意図を理解し、パールは苗床ごと転々茸に炎を放った。強力な炎はグォンの操作する風によって森を燃やす事なく、勢いよく燃え上がる。
転々茸はそのうちまた生えるだろうが、定期的に確認すれば大量発生する前に対処できる。
鎮火を確認してから三人は赤百合の生える沼の方へ向かう。
随分と暗くなった森の中では、一歩先の足元すら覚束ない。パールと兵士はベルトのポーチから小型のカンテラを出し、魔力を通して光りを灯す。
グォンが眩しそうに目を細めたので、少し光りを弱めて渡すと、器用に尻尾で受け取った。
沼の周辺にジッと動かないワニが数匹。
その側には赤い花を咲かせた百合がある。
パールは兵士に百合の根の回収を指示、グォンには兵士の護衛を頼む。自身にはワニを引きつける役を。
パールは百合の咲く場所の対岸に回り込む。右手人差し指の輪と左手小指の輪を二度かちあわせれば、四肢に魔装具が装着される。
腰に下げたカンテラの光りを強くし、近くの木を思い切り殴った。大きな音に反応したワニが一斉にパールに顔を向ける。
「さあ、かかってらっしゃい!」
調剤台の上に並べられた様々な器具。
コポコポとガラス容器の中で湯を沸かし、蓋についた管から水蒸気が流れて隣の容器へ。薬に使う水の蒸留。
矢印草の根、青い鈴なりの実、肉厚な刺のある若葉、薄桃色の花弁、斑蛇の牙、珠兎の骨を煎じている鍋は、室内に独特な香りを満たしている。
すり鉢で潰した実から出る汁を、濾紙にかけている物が三種。
挽き臼で粉にした物を天秤にかけて、一定量に分けた小皿に品名を書いた木札を置く。
人間の文字を読めない山猫人の調剤師、名前をアウヤウに変わって、エイガストが読み上げながら手順の確認を行う。
準備はおおよそ整った。材料が届き次第、調剤を始められる。
調剤小屋の外が騒がしくなる。窓から外を覗けば、丁度森からパール達が帰還したようだった。
兵士やグォンが手にした麻袋の他に、パールが担いでいるワニに何名かが悲鳴を上げていた。
荷物を回収する者、水を貯めた桶で根の土を落とす者、転々茸の足を裂く者、ワニを縄で縛って木に吊るす者、三人を川へ連れて行って胞子を洗い落とす者。
老猫の指示の元、皆で協力し合っていた。
ノックされた扉が開き、細断された転々茸の足がエイガストの手に渡った。
水に転々茸を入れて煮詰める作業は、温度を一定に保つ必要があり、勝手の慣れたアウヤウが行う。温度計を片手に火の調整を長時間続ける。その集中力にエイガストは感心する。
その間にエイガストは、赤百合の根の表皮を剥き、すりつぶす。机上に取り付けられた小型の圧搾機にかける。十分な量の白濁液が取れたところで、濾紙に通していた緑の液体と混ぜ合わせていくと、透明な液体と緑の液体に分離する。
予め煎じていた溶液に、スポイトで透明の上澄み液を少しずつ加える。
薄い黄色を帯びたところで手を止めて、別の搾り汁を加えて濾過する。
小皿に量っていたとりどりな粉を混ぜたところで、アウヤウが煮詰めていた溶液が求めていた濃度になる。
スポイトでエイガストの溶液と合わせ、薄い橙色になれば成功である。
二人は顔を見合わせて成功を喜び、一人分を小瓶にとって蒸留水と合わせて飲みやすくする。
倒れた全員に薬が行き渡る頃には夜も更けていた。
「我々はここを去ります」
翌朝、老猫は言った。
魔法で結界を張っていたとはいえ、山猫人の居場所が知られてしまえば狩りにくる者は必ず居る。そうなる前に、病人の回復を待って移動すると。
長い旅に備え昨夜のワニの肉で干し肉を、川の魚で燻製を作り、ワニの皮を代金としてエイガストの持つ調味料を交換する。
増えすぎた家具道具は必要なものだけ持ち出し、残りは出立の日に家と共に壊して去る。
エイガストはアウヤウと個人的に薬品の交換を行なっていた。
症状が落ち着いた頃合いで、村人を兵士が背負って村に連れて帰らせた。
今回の解毒薬はこれから人村に必要だろうと、手順書と現物を国経由でユーアン商会に送り、調剤師を一人派遣してもらうように手配する。村の幼い後継ぎが育つまでの教育を。
そして領主には転々茸の管理を。
「結局頼ってしまって、すみません」
「これで一人でも多くの人が救えるなら、易いものよ」
「ありがとうございます」
帰り支度を済ませパールとエイガストも山猫人の村を去る。
二人が村を出て行くのを最後まで見張っていたのはグォン。
「さようなら」
別れの言葉。
グォンは返さず二人の背中を見つめ続け、二人もまた振り返る事はなかった。
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