010
顔を洗って化粧を落としてから、エイガストは貴賓室で待つパールを迎えに行く。
扉の前に居た給仕長には一旦退がってもらい、後で食器を片付けるよう伝えた。
「大変お待たせしました」
「いいえ。そんなに待っていないわ」
エイガストが声をかければ、パールは顔を上げて読んでいた本を閉じる。
閉じた本を棚に戻そうと立ったパールを制して、エイガストが本を受け取る。
「外国の大衆文学って随分と変わったのね」
エイガストはパールから受け取った、タイトルのない本を開いて筆跡を見る。
随分と昔に、エイガスト自身も読んだことのある物語だった。
「これは貸本の写しではないんです。父が書いたもので、なんでも昔、夢の中で見たお話だそうです。出版も貸本化もしてませんから、文学と言っていいものか」
「あら、そうなの。私は面白いと思ったわ」
「ありがとうございます。きっと父も喜びます」
薄い手製の本が並ぶ隙間に本を戻し、貴賓室を後にする。
エイガストが受付に、部屋の使用が済んだ事を伝えて外に出れば、赤い夕陽が差していた。
宿に向かう前に役場に寄り、窓口にて討伐報酬を受け取る。
提出された金額が、自分の望んだ額で少し安堵する。実はこっそり増やされているのではと、少し心配していた。
そんなエイガストの隣で小さく笑うパール。ベイゲルフォードとやり取りしている間も、笑っていた事を思い出した。
エイガストが気を損ねた顔をし、それに気づいたパールは謝罪する。
「ごめんなさいね。だって貴方、父上にあんなに恐縮してたのに、勘定を始めた途端に饒舌になるんですもの」
「あれは、饒舌じゃなくて必死って言うんです」
正当以上に提示された金額の中に、どんな意図が含まれているかを考えると、本当は受け取りたくはなかった。しかし受け取らない訳にもいかず、討伐依頼の成功報酬としてもらう事で、折り合いをつけるのが無難だと判断してのこと。
役場を出た足で宿屋に向かう。パールの顔を知る宿屋の店主が、最高級客室を宛がおうとしたのをなんとか引き止め、しばしの押し問答の末、一般客室にしてもらえた。
国都にいる限りパールの顔を知る物は多いだろう。
あまり長居はしたくない。
そう決めたエイガストは、翌日会う友人に渡す書類の他に、地図を拡げて次の予定を計画する。
一通り計画をまとめた後、エイガストは日課の弓の手入れを行う。
没収と言われた時はどうしようかと思ったが、手元に戻ってきて良かったと心から思う。
弓を磨いている途中で魔晶石が視界に入ると、ハッと思い出して魔力を通しレイリスに声をかける。
返事と共にレイリスの姿が浮かび上がった。
「遅くなってすみません。あの時は、ありがとうございました」
「いいえ。ご無事でなによりです」
「あの、できれば今後も、俺一人じゃ難しい時は頼っても良いですか? 俺の魔力ならいくらでも使って良いですから」
「かしこまりました、倒れない様に気を付けますね」
エイガストが倒れた事も、その後の事も、レイリスはどこかの"青"から見ていたのだろう。
法使が魔力を消費しても倒れない訓練とやらを自分もするべきなのか、エイガストは少し考えるのだった。
朝食を済ませて、エイガストとパールは商店街を歩く。
国都の商店街は通りが広く、店舗の前には各地から訪れた商人の露店が、向かい合う様に立ち並ぶ。
開店の準備に追われている店舗や露店を通り過ぎ、エイガストは花屋で作業する男性に声をかける。
「おはようございます。ブリング」
「お。旦那じゃねーか。例のやつどーよ?」
ブリングと呼ばれた男性は、にこやかに振り返る。
ラフな装いにエプロンと長靴。元々は戦士だったと判るほどに、良い体格をしている。
「ええ、おかげ様で奔走してます。それよりも、どうして予約数が増えてるんですか? 言いましたよね、まだ製品化できてないからこれ以上取るなって」
「欲しいって頼まれたら断れねーよ」
「植物ですよ? 予定通りに収穫できるものじゃないって、あなたが一番知ってるでしょう?」
「旦那なら、なんとかなるっしょ!」
エイガストの文句に笑顔で答えるブリング。あまり効いていないらしい。
ところで、とブリングが視線をパールに向けて話題を変える。
「もしかして、そちらの方、パーラスフォード様じゃ、ありませんよね?」
「うふふ。光栄なことに、よく似てるって言われるんです」
「そうっスよね! いやぁびっくりしたっス」
笑顔のブリングとパールに不自然さを感じ、エイガストだけは顔が引きつっている。
その時、奥の扉が勢いよく開いた。
「ちょっとブリング。なにお喋りして……あらエイガストさん、お久しぶりです」
「ご無沙汰してます。ミーナさん」
キャラメル色の髪を三つ編みにした女性は、サボっていると思ったのかブリングに怒鳴りかけたが、エイガストを見るなり接客声に変わる。ミーナの登場により空気が一変して、エイガストは内心安堵していた。
彼女はブリングの姉でこの店の主だ。
「アンタ、エイガストさんと仕事の話に行ってるから、開店準備任せたよ」
「了解っス」
「エイガスト、私もここで待ってるわ」
「すみません。出来るだけすぐに戻りますね」
不自然なブリングとパールを残すのは心配だったが、ミーナと話をしない訳にもいかず、エイガストは店の奥へ行くしかなかった。
簡素で小さな応接室。掃除されていて埃などは無いが、部屋の隅に商材が入ってるだろう木箱が積み上がっている。半分倉庫と化しているらしい。
「例の製品なのですが、順調にいけば秋には販売できそうです」
「本当ですか! なら私達も気合を入れないといけませんね」
「頼りにしています。それからミーナさん達に対応して頂きたいことなんですけど……」
昨夜まとめた資料をミーナに見てもらいながら、エイガストは口頭で説明。
販売の方法や利益の分配など、今進められることを少し詰める。
その頃、店先に残されたパールは、ブリングの邪魔にならない様に少し傍に逸れて立っていた。
そんなパールに、ブリングは背もたれの無い古びた椅子を出す。
「どーぞ」
「ありがとう」
礼を言って腰掛けたパールを、ブリングはジッと見る。
ブリングに見られていることに気づきながらも、パールは目を合わせることはしない。
「何も聞かないんスね」
「聞きたいことは色々ありましたが、なんとなく判りました。貴方が引退した理由も、まだ剣を捨てていないことも」
ブリング・レイング。
傭兵の中でも別格の強さを誇り、多くの貴族や国が抱え込もうと勧誘していたが、決してどこにも所属せず各地を放浪していた人物。
パールが直接ではないが、スフィンウェル軍も何度か交渉したことがあり、パールは彼の顔を覚えていた。
しかし二年ほど前に突然の引退。理由は不明。そのまま死亡説まで流布されていた。
パールは彼の歩き方を見て直ぐに理解した。恐らく殆どの人には気づかれないのだろうが、足が悪い。
しかし、その割に体格がまだ戦士のそれである為、彼はまだ剣を握っている。
「お気づきのとーり、勧誘されても俺ァもう満足に戦えねーっスよ」
「ええ。今日は勧誘に来たのではなく、本当に偶然なんですよ」
「ふーん。ンじゃ、将軍さまがなんで旦那と?」
「ちょっと縁があった。それだけです」
「そっスか」
将軍が付く理由は限られる。
ブリングも予想はできたが余計なことは言えず、それ以上踏み込むことはしなかった。
陽が高くなるにつれて開店する店が増え、人通りも増えていく。
ブリングが店の準備を終える頃、話を終えたミーナが表に戻ってきた。
「ブリング、エイガストさんが呼んでる。さっさと行きな」
「おー。ンじゃ、失礼」
ミーナと入れ替わりに、ブリングは奥へ。
店内の花を見て時間を潰していたパールに、ミーナが声をかける。
「待たせてごめなさいね。もう少しだけ、エイガストさん借りるわね」
「いいえ。お気遣いなく」
そう言ってパールは非売品の花を眺める。
小さなつぼみを付けたそれは、もうすぐ小さな花が咲きそうだった。
応接室のテーブルを隣に、椅子のみで向かい合わせに腰掛けるブリングとエイガスト。
ブリングは左の義足を外し、テーブルに広げた工具を使って義足の部品を取り替えるエイガストの手元を眺めている。
義足になった今でも鍛練を行うため、度々調節をしないと直ぐに歪んでしまう。大雑把なブリングには苦手な作業だった。
ブリングは仮止めの義足を着けては、バネの入った薄い板の上に乗り、エイガストが水平器を使って重心の位置を確認する行動を繰り返す。
「やっぱ、旦那の調整は違うなー」
「ブリングの使い方が荒すぎるんです。本来ならもっと持続つはずなんですよ」
耐久にしても強度にしても、通常の生活ならば部品交換など数年に一度で良い設計になっている。
"通常の生活"ならば。
交換する箇所は毎回決まっているため少しずつ強度を上げているが、ブリングの使い方に耐えられる程には、未だ至っていない。
店に設備しておく工具の状態を確認して、錆びたり欠けている物を交換する。
劣化した部品を布で包み、悪くなった工具と共に鞄にしまうエイガストにブリングは質問を投げかける。
「なぁ、旦那の得手物って弓だったよな」
「ええ、そうですけど」
「こないだの魔獣討伐した弓の傭兵って、旦那か?」
ピタリとエイガストの手が止まる。
曖昧な返事で濁し、目を泳がせるエイガストの反応に、やっぱりとブリングは思った。
「やっぱあの彼女、お目付役かー。面倒だぜ、これから」
「うん。まァ、なんとかします」
「隠れるンなら手ェ貸すぞ?」
「今はまだ、その算段は無いです。もう少し様子を見ます」
「無茶すんなよ。俺の足直せるの、旦那しか居ねーんだから」
弓の魔装具を持つエイガスト。先日の魔獣討伐で活躍したと言う弓兵の噂。将軍が付く程の要人。エイガストが着けている、彼女と揃いの耳飾り。
ブリングが気づかない訳がなかった。自分が毛嫌いした首輪を、エイガストが着けていることに、まだ少し納得していない。
不機嫌なブリングに、エイガストは苦笑する。
「わかってますよ。何かあったら、ちゃんと相談しますから」
「おう、遠慮すんなよ」
太い腕を伸ばし、ブリングはエイガストの頭をくしゃくしゃに撫でる。
抗議するエイガストと反対に、ようやくブリングの表情に笑顔が戻った。
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