第90話 魔王、最後の戦い
リリアはその男を、頭のてっぺんから足の先まで見た。
立派な椅子に座っているのは黄金の完全金属板金鎧を身に着けた男だ。
黄金髑髏めいた兜の奥には深淵。
隕石が降り注ぎ、配下が壊滅し、側近の魔族が吹き飛ばされてなお、泰然と座している。
身じろぎ一つしない。
それは見ようによってはリリアを迎え入れるかのよう。
すぐ傍には抜身の剣が置かれていた。
鎧兜に負けない派手な装飾が眩しい、幅広の長剣である。
彼こそ、魔王と名乗る黄金鎧だ。
「懐かしいのう」
先に口を開いたのはリリアだ。
罵倒の言葉でも、なじる言葉でもない。
ただ遠い過去を振り返り、懐かしむもの。
リリアの歩みが止まった。
鋭い視線は全てを貫き通すかのようで、彼女は腕組み仁王立ちで言う。
「まさか……ワシの使い魔が、卑しくも魔王を名乗るとはの」
言葉の端が僅かに震えていた。
怒りでだ。
『姫様、ご機嫌麗しゅう』
黄金鎧の魔王がようやく喋る。
生身と相対しているというのに、まるで耳に押し当てた携帯型PHS端末から聞こえてくるような聞こえ方だ。
違和感。
「うるさい、裏切者め」
半ば被せ気味に罵倒が飛んだ。
「200年前――まさか使い魔だというのに、勇者を前に敵前逃亡するとはな。魔力の気配も感じられなかったから、どこかで野垂れ死んでおったと思ってたわい」
風も無いのに、リリアの金色の髪が靡く。
魔王の使い魔――名をオランジェット。
200年前の大戦を知る者、あるいはそれを学ぶ者は呼ぶ。
主を裏切った使い魔の恥さらし、と。
そう――この戦いは、200年前から続く、元魔王軍のいざこざの延長線上でしかなかったのだ。
『再起を図ろうとしたまでです』
使い魔は淡々と言う。
人のような形を取ってはいるが、使い魔は人ではない。
ゆえに感情など、端っからないのだ。
「だからゴーレムを隠したのかや?」
『再起のためです』
「アマンを使って?」
『再起のためです』
「そして、おぬしが使うと」
『再起のためです』
「……おぬしは壊れたSCSかなにかか? んんっ?」
リリアは額に手を当て、呆れたように大きくため息をついた。
「まったく。ミレットが……ギルドの受付嬢が言いおったわ。内ゲバとな」
思い出すのは魔王八卦衆のシュトレン襲撃時の事。
「ワシはたわけと言ってやった。が、間違いじゃった。たわけはワシじゃった。これでは本当にただの内ゲバではないか」
肩を震わした。
魔王が、恥じたのだ。
「魔王であるワシが戻ったのじゃ。無意味な挙兵など止め、兵を退け。もうこのような戦は不――」
『やはり……違います』
使い魔はそこでようやく立ち上がった。
黄金鎧から、金属同士がこすれ合う音が聞こえない。
彼は、鎧を着ているわけではない。
その姿そのものが彼なのだ。
『私はただ、姫様の帰還に相応しい場所を整えようとしたのです』
リリアが扱う重力球と同じ、漆黒のマントの端が地面を這う。
『私はただ、姫様が戻るべき場所を作ろうとしたのだ』
幅広の長剣を掴んだ。
『私は魔王の帰還を願う者なのだ』
長剣の先が地面とこすれ合う。
滅紫色の魔力の火花が跳ねた。
『しかし、間違いだった』
リリアの背筋を、冷気が撫でる。
それは、まごうことなき――殺気。
『牙の抜けた貴女は、魔王に相応しくない。貴女は魔王ではない』
髑髏めいた兜の眼窩、覗く深淵に赤い光が浮かんだ。
『我が魔王なり』
使い魔――いや、魔王は警告もなく、その目前から熱線を放った。
膨大な魔力を持つ者のみが扱える、濃縮した魔力そのものを放つ危険な魔法だ!
土人形たちが放つ光線よりももっと強力な輝きを放っている。
灼熱の光線がリリアに迫る。
しかし、急に現れた重力障壁がそれを捻じ曲げ、明後日の方向へと飛ばした。
「……おぬしの答えはそれか?」
リリアの声には、抑揚が無い。
「それで……よいのじゃな?」
手の平に重力球が生まれた。
超自然的な漆黒は、光すら捕えて離さない。
「ワシは魔王――魔王リリアである。故に、他の魔王の存在を認めるわけにはいかぬ」
一瞬だが、リリアの表情を影が過った。
リリアは口を結び、すんでのところで言葉を飲み込む。
何を言おうとしていたのか、知るのは野暮だろう。
「裏切者よ。魔王を騙る者よ。その目で、身で、思い知るが良い。おぬしの業の深さを――」
足下から滅紫色の魔力が滲み出てくる。
「たわけが」
厚みを感じさせない魔法陣が5枚、砲身めいて展開!
間髪入れずリリアは重力球を放った。
魔法陣をくぐる度に重力球は速度を増して行く。
金色の風が流れた。
魔王が横に振り抜いた長剣が、重力球を切り裂いたのだ。
『たわけは貴様だ……!』
魔王の黄金鎧の表面が、小さく泡立ち始めていた。




