第9話 魔王、怒る
「何の関係もない村を襲ってかや?」
「そう。何の関係もないのに、可哀そうに」
もう一度繰り返し、目の端に涙すら浮かべてベアクロウは肩を震わせる。
道化師のような芝居がかった仕草だ。
レイダーがリリアの耳元に顔を寄せた。
「姫様、これが人族の本性だ。わかるだろう? こういった輩を野放しにしている世界が、どれほど歪みきっているかを」
囁くような小声であった。
「そうじゃの……」
リリアの返事はどこか空虚だ。
「そうだ。誰かがこの歪みを正さねばならない。圧倒的な力をもつ者が、種族が。わかるかな? 姫様なら。わかるだろう?」
危ない! レイダーの言葉には僅かに魔力が宿っている!
「……そうじゃの」
「ああ、そうだ。これは姫様が踏み出さねばならない一歩だ」
「むぅ……」
「それにしても――あいつはクソッたれの野郎だな」
レイダーが嫌悪感をありありと浮かべて呟いた。
魔族対人の争いを画策する男が嫌悪感を表すほどの邪悪がいると、激情に囚われたリリアに刷り込ませようとする。
ベアクロウはその呟きが聞こえていたはずだが無視をした。それから「おい」と逃げ帰った斥候盗賊を呼ぶ。
「へい、いったいなんで――」
ベアクロウが大斧を振り上げると、一切の躊躇いもなく斥候盗賊を叩き切った。
悲鳴も上げることすらできずに斥候盗賊は即死。
敵前逃亡した者には死あるのみ。ヘルタイガー盗賊団の掟に従って斥候盗賊は処刑されてしまったのだ。
血に濡れた大斧を再び足元に刺すと、ベアクロウは悲しそうに目を伏せた。
「また1人死んじまった。あと10人は殺さないと」
なおかつ死の原因をリリアたちに擦り付ける横暴っぷり!
リリアは黙りこくったまま直立不動だ。
そしてリリアが何もアクションを起こさないのだからレイダーもそれに倣う。
ただ、彼女の瞳はウィルオーウィスプが如く、揺らめいていた。
盗賊たちはそんなリリアを見て、ゲラゲラと笑う。
「メスガキがビビってやがるぜ」
「へへ。見ろよ、声も出ねえってか」
だが、ベアクロウだけはリリアのことを油断なく見据えていた。
首領という立場か、あるいは潜り抜けた死線と経験の違いか、手下たちとは違い彼は気が付いているのだ。
リリアが見かけ通りの、小柄で痩せた少女などではないことを!
「ふむ。一軍の将としては悪くない選択じゃ」
まさかヘルタイガー盗賊団を肯定するかのような発言が、リリアからなされた。
レイダーは肩眉を僅かに動かした。
いつの間にかリリアから激情の気配は消え失せていた。
今の彼女の言葉も驚くほどフラットであった。
いったいどういうことか?
そして、この心の底から湧き上がって来る、凍てつく感情はいったい何なのか。
「相手を確実に引きずり出し、自分のフィールドに誘い込む。地の利を得るのは戦の基本じゃからな。悪くない」
リリアの瞳が怪しげな光を放つ。
それは初め明滅していたが、徐々に強い光となっていく。
超自然的な光景を前に下っ端盗賊たちは笑うのを止めた。
誰かがごくりと生唾を呑んだ。
「しかし――じゃ。戦略は正しくとも、無垢な子らを手にかける非道極まりない行為は、時として眠れる獅子の尾を踏む行為でもあるぞ」
「獅子? 俺には子猫にしか見えないぜ」
ベアクロウは笑い飛ばす。
だが、その目は笑っていない。
「そうかそうか。ワシが小娘にしか見えぬか」
カカカッとリリアは快活に笑い、
「所詮、おぬしもその程度の矮小な男というわけじゃ」
音が消えた。
笑い声も、燃える木が爆ぜる音も。
「ああん? 俺の聞き間違いか?」
リリアは言葉で返さず、代わりに鼻で笑い返す。
あからさまに挑発している。
それから10秒の間が空いた。
そして――3、2、1。
「聞き間違いかって聞いてるんだよーォッ!」
激昂するベアクロウは、大斧を再び地面から引き抜いた。
斧刃が触れてもいないのに、地面が抉れ、巨大な斬撃の跡が残る。
「俺は斧スキル最強の『斧神』を持っている! つまり斧使いとして最強だ! そして戦いはパワーと破壊力こそ全て! つまり俺が最強だ! わかるかこの理論が⁉」
殺意がベアクロウの全身から吹き出した。
殺気に当てられた下っ端盗賊が、恐怖に腰を抜かして泡を吹いた。
スキル『斧神』は斧を思いのままに扱うことができる、斧系の最上級スキルだ。
その昔、『斧神』を持つ蛮族の長が、1人で一夜にして一国を滅ぼしたとの伝説もある。
だが、リリアにとってはどうでもいいことだ。
ベアクロウがどんなスキルを持ち、それがどれほど希少なものだろうが、一欠片の興味すらない。
「もう良い」
薄く開いた口から、滅紫色の魔力の燐火が漏れる。
「貴様の戯言を聞くのももう飽きた。己の実力を誇るでなく、スキルなどと与えられた餌でしか語れん愚か者め」
レイダーは我が目を疑った。
リリアの輪郭が蜃気楼めいてブレたのだ。
彼女の周囲の魔力濃度が異常なほど上昇する。
「その思い上がりが如何な結末となるかを見せてやろう。心血を注いで生み出した唯一無二の魔法で。ワシの重力制御魔法でな」
レイダーはふと自分の手の平を見た。
いつの間にか握っていた手は、汗でぐっしょりと濡れていた。
背筋を一筋の冷気にも似た感覚が走る。
――マズい! 何かわからんがマズい!
レイダーは地面を蹴ると、魔族ならではの人間離れした脚力で、盗賊たちの包囲網から飛び出た。
盗賊たちは目でレイダーを追うことしかできない。
レイダーが離脱したのを見計らったように、リリアが口角を吊り上げた。
「貴様が持つその玩具で防げるかのう? そのスキルとやらで防げるかのう?」
「エ?」
リリアの側頭部に、悪魔めいた角が2対生えた。
まるで闇を固めたかのように漆黒のそれは魔族、魔王の証。
元土地神というステータスがあるため、普段は鳴りを潜めている。
しかし、リリアが練り上げた魔力が一定水準を超えた時、その角は朧のように発現するのだ。
「お前……それは……えぇ?」
言葉が上手く出て来ない。
少女が放つ圧に、非現実的な光景に、ベアクロウは恐怖したのだ。
リリアはゆっくりと右手を伸ばした。
髪が、服が、手が動くたび、魔力の余波で光が生じる。
手のひらは真っすぐベアクロウに向けられている。
魔法陣が生まれた。
幾何学的な文様をした薄い、円形の魔法陣だ。
その数4つ! 砲身のようにベアクロウへと伸びる。
手のひらの中心に、超自然的な黒光が生まれた。
光すら飲み込む漆黒は、次第に球体を形作っていく。
ベアクロウは我に返ると、手下たちに怒号を飛ばす。
「お、お前ら! 何をしてやがる! 射れ! 射れ!」
包囲網の最も遠い所にいた下っ端盗賊が、もたつきながらも矢をつがえ、放つ!
しかし、当たらない!
矢はリリアの前方数メートルのところで不自然に停止。
重力障壁だ!
「バカなーッ!」
ベアクロウが絶叫する。