第85話 魔王、企む
一面を覆う不穏な灰色の雲が蠢いた。
カヌレの街を流れる風に乗って、焦げた臭いがレイダーの鼻へ届く。
屋根の上にはシュトレンとレイダーの2人のみ。
街を爆破したダークエルフたちは、レイダーの手によりあっという間に屋根から叩き落とされた。
下では、息があるダークエルフを冒険者や警備兵が拘束している。
シュトレンは体をくねらせると、
「すごいです。すごい技前です。Sランク冒険者ですか、あなた? どちらにせよ、とても気持ちよくなれそうです」
レイダーは、赤い稲妻がごとき残像の軌跡を生みながら駆けた。
同時に牽制めいて、魔力の糸で編んだネットを飛ばす。
絡めとれば上々。
足場が細く、直線状の動きになりがちな屋根の上では、それだけで大きく優位に立てる。
シュトレンは両手と尻を突き出すと、
「アアアーッ!」
青白い衝撃波を放った。
ネットは衝撃波とぶつかり合い、四散する。
レイダーは、すかさず糸を瓦礫へと伸ばす。
「ワタクシ、同じ手は食らいません。ハイ。そのための手勢なのです」
シュトレンは手のひらに、まるで丸鋸めいた光輪を生みだした。
魔力の扱いに長けた者にしか見えない糸へ向かって、それを投げつける。
瓦礫と繋がった魔力の糸は、あえなく切断!
「キェェェェェッ!」
そこへさらにシュトレンは黒い魔力のボルトを放つ。
だが、レイダーは立ち止まらない。
レイダーはスキル《捕縛術3》を全開にして発動!
魔力のボルトを全て絡めとる。
ボルトはあらぬ方向へと飛び、近隣住宅の窓を粉砕した。
「ありえません!」
レイダーとシュトレンの間合は、ツーハンデッドソード1本分までとなる。
ようやく、レイダーは剣に手をかけた。名も無き魔剣。
「なんて物騒な一物ですか。仕留めさせていただきます」
シュトレンの手の先に魔力が集中する。
光の粒が集まっていき、輝く球体となる。
そして、先ほどまで撃っていたものとは、比較にならないほど強力な衝撃波を放った!
ちょうどその瞬間であった。
レイダーは引き抜いた剣で、生まれたばかりの衝撃波を叩き落とす!
「人間業じゃないです!」
「言っていなかったか? 俺も魔族だと」
レイダーの強烈な回し蹴りが、シュトレンをくの字に折り飛ばす。
ガードが間に合わなかった。
シュトレンは錐揉み回転して、屋根上を1バウンド! 2バウンド! 3バウンドして転がる。
「痛い。痛いです」
なんとか起き上がるも、右腕があらぬ方向を向いていた。
息も絶え絶えなシュトレンは、己の腕の惨状を目の当たりにし、つぶやく。
「あー……これはー……なんといいますか……」
足音だ。
シュトレンは身を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
すぐ前にはレイダー。
その瞳を見て、シュトレンは息を呑んだ。
「ひッ!」
「なんだ、人間らしく怖がるじゃないか」
無様なまでの変わりように、レイダーは嘲笑する。
「あなた……何者ですか?」
もうシュトレンは体をくねらせることすらせず、カチカチと歯を鳴らすことしかできなかった。
レイダーの歩みが止まる。
「本物の魔王の代行。初めからそう言っているだろ?」
魔剣を一閃。
投石機めいてシュトレンの頭が飛んだ。
赤い血の軌跡を残し、地面へと落下していく。
レイダーは剣をぴしゃりと振るって血を飛ばすと、鞘に納めた。
そして、はたと気づく。
「殺してしまった。捕えて尋問するはずだったのに……」
レイダーは額に手を当て、深々とため息をついた。
勝利の余韻など微塵もない。
「これは……うむ。姫様、そうとう怒るだろうな……」
懐から乾燥薬草を取り出し、火をつける。
魔族を相手するより、よっぽど厄介な問題から目を反らすように。
◆◆◆
携帯型PHS端末の通信障害を発端とし、突如として襲撃してきた魔族により、カヌレの街は混乱していた。
市の拠点がいくつも爆破された。
けが人も大勢出ている。
エレーヌも施療院に運ばれた。
極めつきは実行犯らしきダークエルフと、渦中の魔族の首が落ちてきたことか。
ミレットは道の端で、両膝を抱えて座り込んでいた。
隣にはぬるくなってしまった水が入ったコップと、携帯型PHS端末。
「何がどうなってんのよ……」
一介の受付嬢だというのに、なぜ自分が陣頭指揮をとって、冒険者たちの混乱を収拾せねばならなかったのか。
「ひどい有様じゃな」
どこか懐かしくさえある声に、ミレットは顔を上げた。
美しい金色の髪が、どこか褪せたようにも見える。
リリアである。
「リリア……」
ミレットは二の句が継げなかった。
リリアの表情には疲労の色が濃く表れていたのだ。
こんな魔王、見たことがない。
リリアは重い動きで、ミレットの隣に腰を下ろした。
「あれは、不届き者じゃな」
幸いにも周囲にこちらを気に掛ける人はいない。
魔王的な話をしても誰にも聞こえないだろう。
「件の魔族はレイダーが片付けた。あれほど尋問するから捕えろと言ったのにのぅ」
ため息混じりにリリアは言って、視線を上に向けた。
屋根の上では、レイダーが乾燥薬草をふかしている。
「内ゲバ?」
「たわけ」
どうやら失言にカウントされなかったようだ。
おかげでカヌレの街が突然滅ぶことはない。
「ワシの他に魔王を名乗る者がおるらしい。まったく。そのせいで、湿地帯から長距離跳躍するはめになったわ」
リリアは言って、不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
「ワシはもう限界じゃ。疲れた。眠い」
ミレットの脳裏を1つの考えが過ぎった。
リリアは魔王であり、つまり魔族だ。
人類の敵である。
自分はそんな相手と親しげに会話をしている。
彼女も魔族だと、当局に通報するのが良いのではなかろうか。
無意識のうちに携帯型PHS端末に手が伸びる。
「ミレットよ」
びくりと手が止まる。
「な、なんですか?」
リリアは指を差し、
「水、貰っていいかの?」
「え、あ……はい」
ミレットはコップを差し出した。
ありがと、と礼を言い、リリアはコップを受け取る。ぬるくなっているというのに、美味そうに飲み干した。
ばくばくと心臓が跳ねている。
リリアは濡れた口元を袖口で拭き、
「魔王である。口にするのは簡単なものよ。じゃが、魔王をするとなるとそうはいかぬ」
ミレットに向けて言ったのか、それとも自分に言い聞かせたのか。
「安心するがよい」
ミレットは小さくも、強大な魔王を見た。
コップを手中で弄びながら、リリアは薄い笑みを浮かべていた。
「ワシもいつかは魔王軍を再結成して蜂起するじゃろう。しかし、今はまだその時ではない。ゆえにワシは、ワシ以外の魔王の存在を認めん」
不穏な灰色の雲は未だ分厚く、カヌレの街に蓋を落としていた。
「そう――それでいい」
レイダーは吸い終わった乾燥薬草を捨てると、足で踏みつける。
そして、静かに独り言ちる。
「魔王という種族はない。称号だ。だからこそ」
マフラーめいたボロ布を、鼻の頭までぐいと上げた。
「さて、担ぐに相応しい魔王はどちらだ?」




