第84話 略奪者、静寂をもたらす
長く伸びたマフラーめいたボロ布が、風に靡く。
一軒隣の屋根の上。
男は腕を組み、仁王立ちをしていた。
赤く虚ろに光る両目は、常人のそれではない。
「まったく。勝手なことをされては困るんだが」
レイダーは懐から乾燥薬草を取り出すと、火を付けた。
先端が赤く明滅する。
夢でも幻覚でもない。
彼は紛れもなくレイダーなのである。
バヤリスの居城がある湿地帯からカヌレまで、馬をとばしても1週間は優にかかる。
一体どうやってカヌレの街へと来たというのだろうか。
簡単なことである。
これもリリアの重力制御魔法による奇跡なのだ。
ブラウニの森でリリアが使用した空間跳躍の、超長距離バージョンなのである。
重力制御魔法で生み出した特異点が剝き出しとなったマイクロブラックホール。
それにより生じたタンホイザー・ゲートに飛び込むことで、時間と空間を跳躍するのだ。
膨大な魔力と高度な重力操作技術が無ければ、次元のはざまで即死である。
リリアだけならまだしも、レイダーを連れての超長距離空間跳躍だ。
おかげでリリアは魔力のすべてを使い切り、浮浪者めいて路地裏で眠りこけている。
魔王をもってしても、無茶な超長距離空間跳躍であったのだ。
空へと白煙が薄く伸びてゆく。
レイダーは眼下の惨状を見て、軽く肩をすくめた。
「全面戦争したけりゃするがいい。俺は止めん。もっとも、勝算があるとはとうてい思えんがな」
「あなた……ワタクシの知らない人ですね。いったい何用ですか? 気になります」
シュトレンは一切身を捩らせることなく、いたって冷静だ。
冒険者たちを相手した時とは異なる。
レイダーが発する不穏な気配を感じ取ったのだ。
「さっきも言っただろう? 魔王代行として狼藉を止めに来た。そしてお前を尋問する」
レイダーは、ふと口元に笑みを浮かべた。
「もっとも。紛い物ではなく、本物の魔王の命だけどな」
シュトレンは拍手した。
先ほど冒険者たちに向けて送った拍手よりも、数段大きな拍手だ。
「いきなり出てきて、とんだビッグマウスですね。ワタクシ、感心してしまいました」
しかし、向けるその視線は険しい。
現れた時からずっと醸し出していた、常に相手を頭上から見下ろすような態度が鳴りを潜めた。
「あーつまりワタクシを倒すと? 魔族であるワタクシを倒すと貴方は言いたいのですか?」
レイダーは口から煙を盛大に吐いた。
「だから、初めからそう言っている」
無言の時間がしばし流れた。
その時間を楽しむかのように、レイダーは乾燥薬草を吸い続ける。
半分ほどまで燃え尽きた頃、シュトレンが悶えた。
「とても、愉快なことを言う人です」
「ああ。よく言われる」
レイダーは乾燥煙草を指で弾いて飛ばした。
乾燥煙草は火の粉を散らしながら飛び、不可視の衝撃波に当たって四散した。
「やり口が狡いな」
「やりなさい」
レイダーとシュトレンは同時に言った。
ダークエルフたちは荷を下ろすと、シュトレンに命じられるがまま屋根を蹴って走り出す。
彼らの周囲に精霊が集まって来る。
全員が精霊使いなのである!
ダークエルフは3人同時に精霊に呼びかけ、3人同時に詠唱し、3人同時に精霊魔法を放つ。
幾本もの氷の矢が槍衾のごとく放たれる。
「貴様ら、そんな攻撃が俺に通ると本気で思っているのか?」
レイダーは両手を振るった。
仕込み終えた魔力の糸が、屋根をひっぺがして即席の盾を作った。
精霊魔法は盾に直撃し、盾ごと爆発四散する。
ダークエルフの時点で精霊使いということは読めていた。
対策など、いくらでもしようがあった。
「では、俺の番だな」
レイダーは右手を振るった。
指先から伸ばす糸の先には、屋根の破片が繋がれている。
フレイルめいて破片を大きくスイング!
ダークエルフを横から殴りつけたのだ。
「グワッ!」
ダークエルフは吹き飛ばされ、屋根から転落。
さらにレイダーは左手を振るう。
同じく糸に繋がれた屋根の破片を大きくスイング!
「グワッ!」
ダークエルフの側頭部を打ち付け、頭が180度回転した。
屋根から落下。即死である。
レイダーは駆ける。
屋根の基礎だけになった足場を、猛烈なスピードで駆ける。
魔法使いや精霊使いと戦う時のセオリーは距離を詰めること。
糸とて接近戦にはあまり向かないが、魔法使いと中遠距離で戦うよりはよっぽどマシである。
ダークエルフは上体を大きく反らすと、息を吸い込んで胸を膨らませる。
肺の中の空気を出すとともに、猛烈な氷の息吹を吐き出した。
「こういうとき、エルフは火炎系を使えないのが御しやすいな。あの阿婆擦れエルフの方が面倒だ」
レイダーは横に跳んだ。
屋根の外へだ!
氷の息吹に当たるよりは、屋根から身を投げたほうがましと判断したのか⁉
いや違う!
見よ! レイダーの腕から伸びる魔力の糸を!
レイダーは魔力の糸に身体を任せると、大きく弧を描きながら振り子めいて空中を飛んだのだ!
氷の息吹を回避しつつ、距離を詰めるとはなんと大胆なことか。
レイダーは屋根に戻ると同時に、稲妻めいた拳をダークエルフに叩き込む。
「グワッ!」
血反吐を撒き散らし、屋根から吹き飛ぶダークエルフ。
面倒な精霊使いは全て退場させた。レイダーは残心を取る。
「貴様を守る手勢は無くなったぞ」
レイダーの赤い瞳が、シュトレンを捉えた。




