第81話 魔族、急襲する
昼をとうに過ぎ、太陽がゆっくりと降り始めていた。
カヌレの街の往来は、時間が経とうが変わらない。
むしろ時間が遅くなればなるほど増える。
もっとも、素行不良な者たちが大半を占めるが。
冒険者や市民、荷物を載せた荷馬車などが道を行き交う。
『特性の白い粉で作られたパン』
『スケイルメイル。ファントム仕様レプリカ』
『特性乾燥薬草。全く危なくない』
カヌレの街ではよくある、宣伝用SCSから流れる映像や宣伝文句だ。
また別のところにはニュースを流しているものもある。
『ガトー辺境伯領にて武力衝突。近日中には、大規模な戦闘に突入すると思われます。ではここで解説のfghbんjきkml』
いきなり、映像と音声にノイズが走った。
「もしもーし!」
冒険者ギルドの受付嬢であるミレットは顔をしかめ、手元の携帯PHS端末を見た。
突然通話が途切れてしまったのだ。
「ちょっとー! まだ備品の注文終わってないんですけど!」
精霊により言葉あるいは姿を運んでもらう精霊通信器は、よほど彼らが混雑しない限り不具合はない。
端末自体の故障だろうか?
それとも気付かぬうちに、精霊との契約期限切れだろうか。
どうやらミレットだけではない。
普段ならミレットの豊満なバストを盗み見る冒険者たちも、この時ばかりは自分たちの携帯型PHS端末を怪訝に見ている。
ギルド内の携帯型PHS端末が全て障害を起こしているのだ。
「なによ、もう……」
ミレットはちょっとイラつきながら、携帯型PHS端末を握り締めて受付カウンターから出る。
そして、入り口のドアを開けて外へと向かった。
局所的に精霊が混雑したのではないかと思ったからだ。
だが、すぐにそれが誤りだと気づく。
道行く人々も、皆一様に携帯型PHS端末を、怪訝な顔で見ているからだ。
「おい、何つー顔してるんだ?」
ミレットは声がする方を見た。
エルフらしかぬ見た目をした女のエルフがいた。
金髪の片方を編み込み、もう片方をアップバンクからのツーブロック。
濃いアイラインを引いて、目元を際立たせている。
こんな格好のエルフなど、いかに広いカヌレの街とはいえ1人しかいない。
エレーヌはミレットが持つ携帯型PHS端末を見て、それから自分が握っている端末を見て肩をすくめた。
「あんたも急に使えなくなった口か?」
「まぁね。ほんと迷惑な話だわ。仕事中だってのに」
「アタシも次の仕事の打ち合わせ中。ったく、マジファックだ」
「ね」
ミレットはため息をつく。
つまり考えられる最後の原因は――ミレットは空を見上げた。
正確には冒険者ギルドから少し離れたところにある尖塔。
カヌレの街で最も高い建物であり、市が公的に管理している。
その屋根には精霊通信器の大本――親機とも言える、精霊の依代がある。
依代に何か不具合があったなら、大規模な通信障害が起こったとして何らおかしくはない。
しかしそれは、カヌレの街の通信網が死んだことを意味する。
「高い税金払ってんだから、市ももう少しなんとかしろってんだ」
置物となった携帯型PHS端末を革ジャケットのポケットにねじ込み、エレーヌはどうどうと悪態をつく。
ミレットはそれに同調も反論もしない。
都市の政治的なんかを気にしたわけではない。
「なに……あれ?」
屋根の上、何か人のシルエットのようなものが動いたように見えたのだ。
「ファック!」
「マジファック!」
警備兵が2人、息を切らせながら階段を駆け上がる。
突如としてカヌレの街に起こった大規模通信障害の原因が、依代にあると結論付けられたからだ。
というわけで近くにいた市の警備兵が、尖塔の頂上へと向かっているのだ。
訓練されているとはいえ、重い鎧を着て階段を駆け上がるのは骨が折れる。
屋根に上がる梯子がある最上階に辿り憑く頃には、警備兵たちの体力は大幅に削られていた。
「どうせ鳥でもぶつかったんじゃねえか?」
「どちらにせよファックだ!」
階段がある部屋の扉を乱暴に開ける。
途端に警備兵たちの足が止まった。
先客がそこにいたからだ。
「エ?」
警備兵たちは思わず間抜けな声を漏らした。
それは、覆面を被ったひょろ長い男だ。
体の線も露わな、タイトなレザースーツめいた衣服を着ている。
暗い部屋の中、真っ赤な唇が怪しく浮かび上がる。
同僚ではない。
「誰だ⁉」
警備兵たちは、その男が放つ異様な雰囲気に背筋を震わせた。
覆面から覗く、やけに大きな目玉がぎょろりと回り、警備兵たちを捉える。
「あー……どうも。ワタクシ、シュトレンという者です」
人形師が操るマリオメットめいた動作で、シュトレンはお辞儀をした。
そして、レザースーツの隙間から名刺を取り出した。
やけに長い手で名刺を差し出す。
「あ、どうも、ご丁寧に……」
警備兵もつられてお辞儀をし、名刺を受け取った。
羊皮紙ではなく木の皮から作られる木綿紙だ。
名刺には『魔王八卦衆』の極太文字。
明らかに異常事態である!
「な、なんだ貴様⁉ ここで何をしている!」
我に返った警備兵が剣を抜いた。
「ハイ。一定時間、精霊通信をシャットダウンさせていただきます」
「ハ?」
「といいますか、すでにさせていただいております」
シュトレンの奥、そこには無残にも土台ごとねじ切られた依代が転がっていた。
「貴様! なんてことを⁉」
暗がりのせいもあってか、ようやく警備兵は気が付いた。
シュトレンの額からネジくれた角が1本、覆面を突き破るようにして生えていることに!
「魔族⁉」
「ハイ。その通りでございます。ついでにこの街の防衛力、それも試させていただきます」
「エ?」
「では、どうぞよろしくお願いいたします」




