第8話 魔王、罠にはまる
夜が明け、日が昇る。また夜が訪れ、明けた。
しかし、世界は灰色に塗りたくられていた。
昼を回っても、太陽は厚い雲に覆われたまま姿を見せない。
泥水のように濁った不穏な空模様が広がる。
まず眉間にしわを寄せたのはリリアだ。
「むぅ……」
足を止めると、その小柄な背丈を目いっぱい伸ばす。(レイダーの肩にも届かないが)
目を細め、遠くを見る。
視線は踏み固められた街道の向こう。森と言うには少々貧相な木々が生え並んでいる。
レイダーはリリアの様子に気が付くと、
「姫様、どうかしたのか?」
「いやなに……向こうに見えるのは煙かや?」
言われてレイダーはリリアが指差す方を見る。が、煙など見えない。
さらに目を凝らす。見えない。
呼吸を整え、精神集中し、目を凝らす。見えない。
「気のせいでは? 鳥か雲か」
レイダーがそう言うのも当然だ。
しかし、リリアは首を横に振った。
「いや、煙じゃ。黒煙が見える」
そう、気のせいではないのだ。
実際、青々とした空に溶け込むように黒い煙が薄く伸びている。
もっとも、常人では決して見えない距離ではあるが。
魔族は人族よりも身体能力に優れている。魔力もそうだが、視力も気配察知能力も凌駕する。
半分以上人の血が流れるレイダーに見えず、リリアにのみ視認できるのは当然のことなのだ。
眉間にしわを寄せたばかりだと言うのに、今度は眉根が跳ねた。
「おぬし、どうしたんじゃ?」
リリアはミレットの顔色が蒼白になったことに気が付いたのだ。
彼女の呼吸は浅く、ただ事ではない。
嫌な予感がする。
「あっちの方角……あそこには村があります……」
できることなら聞きたくなかった情報である。
リリアはレイダーを横目で盗み見た。
さすがのレイダーも顔を強張らせていた。
「……野焼きであってほしいんだがな」
呟き、レイダーは首に巻いたボロ布をグイと口元まで上げる。布の端からちりちりと超自然的な光が生まれた。
リリアは表情を曇らせ、陽炎のように揺らめく黒煙を見据えた。
「不穏な気配はするのう」
予言めいた言葉は、後に事実となる。
◆◆◆
リリアはその光景を見て、戦場の方が幾分ましかもしれない、と思った。
200年前の、世界中を巻き込んだ大戦争と比較しつつ。
もうもうと黒煙が昇り、火の粉が舞い上がる。
木材が焼ける焦げた臭いに紛れて、別の不快な臭いが漂ってくる。
炎と煙、そして死が跋扈する村を眺め、リリアとレイダーは立ち尽くしていた。
「姫様……これは……」
「皆まで言うな。言われなくともわかっておる」
村はさながら巨大な火柱となっていた。
村を囲む野犬よけの柵は全て破壊され、内側にある家々はその全てが炎上している。
家畜小屋も含め、ご丁寧なものである。
「あの小娘を置いて来て正解じゃな……」
たかがギルドの受付嬢にこの光景は凄惨すぎる。
炎に照らされて顔が赤らんだ。
村の中央にある広場まで進むと、リリアの顔は一層赤らんだ。
憤怒の色である。
いったいなぜか?
死体があった。
粗末な服装をした、いかにも村人といった男の死体だ。
その隣にも死体。
さらにすぐ隣にも死体がある。
炎が届かない広場に、老若男女問わず何十人もの死体がご丁寧にも並べられているのだ。
それらは決して火事によるものではない。
見よ。彼らの背に深々と突き立てられたバトルアックスを!
「姫様、人族が最低野郎と呼ばれる所以、おわかりになりましたかな?」
「多少はな。多少、な」
地獄よりもなお凄惨な殺戮現場から決して視線を反らさず、リリアは感情を押し殺した目を向ける。
そして、殺戮者たちを見た。
先日殺した盗賊と同じ装いの男たちが跋扈している。
その数20をくだらない。
手に手に斧や剣を持った斥候盗賊や下っ端盗賊たちだ!
盗賊は2人がかりで死体の両手足を掴むと、燃える家屋へと放り込む。
ぶわっ! と火が勢いを増した。
中でもとりわけ巨漢の大男が火柱を背に佇んでいた。
大男は普通の成人男性より頭二つ分背が高く、まるでオークのように巨大な筋肉を持っている。
身に着けている胸当ては金色の縁取りが為され、彼が他の雑兵とは違うことを威圧的に知らしめている。
足元で地面に突き刺している大斧には、『略奪』と大きく刻まれている。
彼こそ残虐殺戮集団であるヘルタイガー盗賊団、その首領であるベアクロウ・ダクワーズだ!
「貴様らは……」
首領のつぶやきに合わせ、すぐさま盗賊たちがリリアとレイダーを囲んだ。
村人ならば怯え竦むだろうが、むしろリリアは臆することなく歩み出る。
「おぬしらがやったのか?」
静かな、しかし僅かに怒気が孕んだ声音であった。
リリアは鋭い視線を向ける。
首領ベアクロウは突然やって来たリリアのことを見て、凄みのある笑みを浮かべた。
驚きも意外さもなく、まるで彼女のことを待っていたかのよう。
「このキャンプファイヤーのことか? それとも転がっている薪のことか?」
彼の話し方は馴れ馴れしい。
「ブワハッハッハッハッ! 両方ともやった!」
ベアクロウは愉快そうに笑う。つられて彼の周りに控える盗賊も笑った。
「なぜじゃ?」
リリアは言葉を切り、ちらりと死体に視線を向けた。
子供も混ざっていた。
「なぜこのようなことをする?」
頭上で、灰色の雲が蠢いている。
笑い声が止んだ。
「なぜ? ハッ。俺の部下を殺した不逞の輩を誘い出すためだ」
ベアクロウは近くにいた盗賊を手招きした。そして、こいつらだな? と確認めいて尋ねた。
盗賊は怯えた様子で頷いて返す。
彼は闇夜に紛れ逃走した斥候盗賊である。
「可愛そうに、四人も殺されちまった。後先考えない正義感ってやつのせいで」
大斧をベアクロウは握った。
何人もの商隊の首を刎ね飛ばした恐ろしい戦斧だ。
「俺の商売は舐められたらお終いだからだ。やられたらやり返す。至極真っ当のことだ。喧嘩をする相手は選ばないといけねえ。この理屈が嬢ちゃんにわかるかな?」
空気が、どろりと粘着性を帯びたものへと変貌した。
「探すのは面倒だからおびき出すことにした。街道沿いの村を盛大に焼けば、居ても立ってもいられずに、獲物の方からやって来ると思ってな。なまじ正義感があるなら必ず引っかかる。だから焼いた。お前たちをおびき出すために焼いた」
リリアたちを責めるような物言いだ。
勝手な放火の理由を擦り付けるなど、実に見当違いも甚だしい。
しかし、ベアクロウは構わず言葉を続ける。
「この村は――適当に選んだ。実に可哀そうなことをしたよ。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。俺の死んだ部下1人につき、10人は犠牲になって貰ったんだ。そしたら……ハハッ、全滅しちまった」
――ミレットを助けた結果がこの殺戮だと言うのか?
リリアの拳が静かに握り締められた。
断じて違う!
胸の奥底より滲み出る激しい感覚がそう叫ぶ。