第76話 魔王、ガセネタを掴む
――目が合った。
背筋を冷気のような感触が這う。
「ん、そこにおったか。くっくっくっ……恐怖の感情が漏れ出ておるぞ」
鉛を飲み込んだかのようなプレッシャー。
恐怖の感情だと?
そんなこと! あるわけがないッ!
「貴様、何者だ⁉」
「ワシはリリア。おぬしら魔族を求めて旅をする者じゃ。もっとも、どうやらおぬしはただの騙りのようじゃな。無駄足であったか」
透き通る、それでいて地獄めいた恐ろしい声であった。
自分が魔族でないこと見抜いている。
姿すら見せていないのに!
「無駄足だと⁉ バケモノめ! 勝手なことをぬかすんじゃねぇ! 魔族の恐ろしさを思い知らせてやる!」
首領は三回転ジャンプを決めると、茂みの中から勢いよく飛び出した。
耐えきれなかったのだ。
隠れて身を震わせることに。
焦りで正常な判断力を欠いたのだ。
「死ねー! 死ねー!」
首領は同時に高速詠唱をし、着地するなり光の矢を5発撃った。
白く輝く魔力の矢だ。
如何に少女の皮を被ったバケモノとて当たれば死ぬ! 間違いない!
しかし、その光の矢はリリアに届くことはなかった。
リリアは無造作に手を伸ばした。
するとどうだ、虚空に漆黒の壁のようなものが生まれたではないか。
光の矢は壁のようなものに直撃!
全てを飲み込み、光の矢など初めから無かったかのように霧散させたのだ!
「バカなあッ⁉」
必殺の攻撃を無力化されて悲鳴にも似た叫びが出た。
見たこともない魔法だ。
悪い夢か何かとしか思えない。今日は上々だったはずなのに!
「認めるかーッ!」
首領はすぐさま別の魔法を詠唱、半月型の蒼い衝撃波が放たれる。
しかし、それも漆黒のナニかに阻まれてしまう。
一切の攻撃が届かない!
「無駄じゃ。人ごときがワシに敵うと思うてか?」
「ウ、ウオーォ……」
首領は一歩後退る。
年端もいかぬ少女が放つキリングオーラに圧倒されているのだ。
「さて。茶番はお終いじゃ。ワシもそろそろ帰りたいしな」
静かに言い放った。
「ちゃ、茶番⁉ 茶番だと⁉」
リリアは手のひらを首領に向ける。
漆黒の超自然的重力球が形成された。
「とどめじゃ」
「バカめ! 奥の手は最後に使うものなんだよ! ウオーッ!」
首領は大きく後方へジャンプ!
大きく距離を取ると印を組み、早口で高速詠唱する!
「いでよ! 我が契約に従い、彼の暗黒の森より呼びかけに応えよ!」
空中に魔法陣が浮かぶ。
普通の魔法ではなく召喚魔法。
混沌の眷属あるいはスキル《意思疎通》を持つ者のみが扱える、契約したモンスターを呼び寄せる危険な魔法である。
そして、魔法陣をくぐって現れたのは、人ほと変わらない大きさの蜂のモンスターだ!
『GRRRRRRRR!』
ガチガチと大顎を鳴らし、毒針がぬらぬらと怪しく光る。
「こいつは俺が召喚できる最強のモンスター! Aランク冒険者すら苦戦する大雀蜂
だ」
魔法使いは勝ち誇った顔でリリアを指差す。
「行けぃ! 大雀蜂! 生意気な子娘を肉団子に変えてやれ!」
大雀蜂は獲物を視認。
命じられるがまま、その毒針と大顎をもって殺しにかかる。
が!
「どんな強力な魔獣かと思えば、たかだか大きな蜂ではないか」
ため息とともにリリアは右手を下ろした。
するとどうだ、大雀蜂は突如として発生した超自然的な引力によって、呆気なく叩き落とされた。
『GR!』
短い悲鳴。
そこへ放たれる重力球。
頭部が衝撃に耐えられずに弾け飛んだ。
花が咲いたように緑色の血が吹き散らばり、大雀蜂は絶命する。
「あり得ん! 大雀蜂まで倒されただと⁉ かくなる上は……え?」
そして視界いっぱいに広がる漆黒――リリアの重力球を纏った拳が、首領の顔面に叩きこまれた。
一体いつの間に?
首領の意識はそこで途絶えたのであった。
◆◆◆
リリアは衣服に付いた砂埃を払うと、ぞんざいに辺りを見渡した。
圧倒的な破壊の跡。
そして愚かな盗賊たち。
リリアは見下ろした。
砕けたグレートヘルムの下から出てきたのは、いかにも悪人面をした男だ。
その額に角はない。
ユニコーンめいた一角は、グレートヘルムに接着されただけなのだ。
「まぁ、プラムに聞いた時からガセだとは思っておったがな」
隠し切れない落胆がそこにはあった。
魔族が首領という盗賊団の、なんと嘘偽りが多いことか。
それは、この時代の人間が魔族に漠然とした恐れを抱いている裏返しでもある。
わからなくもない。
なぜなら、自分こそが人族と魔族との全面戦争を引き起こした、張本人なのだから。
がさり、と音がした。
「誰じゃ?」
まだ残りがいるのかと、リリアは鋭い視線を向けた。
杞憂だった。
茂みを掻き分け出てきたのは、手を縄で縛られた女たちである。
「助けてくれて……ありがとうございます」
口々に感謝の言葉を口にする彼女たちは、未だに恐怖で震えていた。
「礼などいらぬ。おぬしらはついでじゃからな」
本音である。
しかし、女たちは謙遜ととったようだ。
実際、リリアが盗賊団『キルズヘルドッグ』を全滅させねば、彼女たちは慰み物になっていた。
「おぬしらだけで街に帰れるかや?」
リリアは首領の腰からナイフを取ると、女たちに投げてよこした。
それくらいは自分でしろと言外に告げる。
「街まで……ですか」
縄を切り終えた女たちは、もれなく不安そうな表情をする。
聞くまでもないことだったようだ。
リリアは深々とため息をついた。
「仕方がない。ワシが送ってやる。アフターサービスもするのが、上に立つ者の務めじゃ」
ふと脳裏を過ぎたのは、呆れたような部下の顔。
何も言わずに1人で出かけたことが、少々後ろめたい。
「またレイダーに小言を言われそうじゃな」
リリアはポケットに手を突っ込むと、そっと携帯型PHS端末の受信機能をオフにした。




