第7話 魔王、勧誘を受ける
冒険者ギルド。
人足宿や人材派遣センター、職業斡旋所などと人は自嘲気味に言う。
冒険者が集まり、依頼を受け、仕事をこなす。どこの街にもある同業組合の一つだ。
リリアは眉を顰めた。
「冒険者ギルド?冒険者の店じゃないのかや?」
聞き覚えのない単語にレイダーは首を傾げる。どこの街でも冒険者ギルドと呼ばれ、『店』という呼び方はしない。
ただ、ミレットだけはわかったようだ。
「あー大昔の呼び方ですね。今は同業組合化してギルドになってます」
さすが受付嬢。間髪入れずに答える。
「マジか……」
カルチャーショックを受け、リリアは唖然とする。
「ちょっと待つのじゃ。つまり酒場のマスターからの仲介とかケツ持ちは……」
「ギルドなのでないです」
「嫌な奴の依頼書の上に、別の依頼書を貼り付けて隠したりとかは……」
「ギルドの受付が手配しますので、ないです」
「マジか……」
目の端に涙すら浮かんでいる。
200年の時を超え、冒険者ギルドの受付嬢が魔王に涙を流させた瞬間であった。
「古の知識というやつか」
レイダーはしみじみと言うが、傷に塩を塗る行為だとは気づいていない。
とどめを刺されたリリアは「ぐわー!」と叫び、もんどりうつ。
無慈悲だ。
レイダーはふと疑問に思った。
ミレットはカヌエの街にある冒険者ギルドの受付嬢と名乗った。
カヌエの街まで戻るには、ここからだと数日は優に要する。
決して旅慣れているとは言えない受付嬢に任せる仕事ではない。
「なぜ受付嬢のあんたが伝令官のまねごとなどしている?それこそ冒険者に任せればいい。あの程度の弱敵、数が集まろうとも撃退できないわけがない」
レイダーの脳裏がちりちりと疼く。
ミレットは疲れたように口元を上ずらせると、
「なにぶん人手不足で……」
なんとも世知辛い世の中だ。言葉通りに受け取るなら。
訊ねたレイダーも、むぅと唸り口を閉ざす。
しばしの間、沈黙が満ちた。
リリアはカルチャーショックから抜き切れておらず、そもそもレイダーは寡黙な性格なのだろう。
ミレットも助けてもらった手前、2人のことを根掘り葉掘り聞こうとするのは躊躇っている節がある。
それでも、沈黙よりは幾分ましと思ったのだろう。
ミレットはおずおずと訊いてきた。
「あのぅ……そのぅ……先ほどから、レイダーさんがリリアさんのことを『姫様』と呼ぶのはいったい……?」
レイダーに緊張が走る。
特に意識していなかったが、よくよく考えれば浅はかだった。
人前で、さすがに姫様呼びはしくじったか。
ミレットはリリアをまじまじと見て、
「その姿……もしかして……!」
――マズい。
ここでリリアが魔王と気づかれるわけにはいかない。
――消すか?
数瞬、レイダーは迷う。
そして、腰の剣に手を伸ばし――
「もしかして……お忍びの王族とかですか?」
よくよく考えてもみろ。
まさか200年前の魔王が存命で、しかも自分を助けた少女だとは誰も思うまい。
――杞憂だったか。しかし、誤魔化すべし。
「うむ。さる王家の傍流だ」
レイダーはさりげなく話を合わせる。
絶妙に嘘ではない。おそろしく巧みな話術だ。
「が、狙われる可能性があるので黙っていてもらいたい。命に関わる」
「なるほど。つまり王族と護衛の方のお忍び諸国漫遊旅ですね! わぁ! まるで寝物語みたい!」
ミレットは眩い笑顔を見せる。
さっきまで盗賊にファック&スレイされそうになっていたとは到底思えない。そこそこ図太い神経をしているようだ。
調子のいい女だな。レイダーは安堵のため息を殺しつつ、思う。
だが余計な詮索をされない分、都合がいい。
「そういえばリリアさんって……」
ミレットは笑顔をそのままに、
「まるで魔王みたいな名前ですね」
レイダーは凍り付いた。
「むむっ。おぬし、魔王のことを知っているのかや?」
突然出てきた魔王と言う単語に、リリアが嬉々として飛びついた。
やめてくれ!
レイダーは声にならない叫びを上げる。
だが、彼のことなどお構いなしに話は進んで行く。
「はい。知っていますよ。私、友達にエルフがいますので」
「おお、エルフか。久しいなあ。また森を燃やしに行かねばならんのう」
懐かしさに目を細め、リリアはさらりと恐ろしいことを言う。
「その子は当時、子供だったんですけど、それでも大昔の戦争の話は聞くんです。魔王リリアーヌは恐ろしく強い方で、戦もめっぽう強かったって」
「っんふふふふ。そうかそうか! ガハハッ。そんなに強くてカッコいいんじゃな!」
リリアはレイダーにちらりと視線を送ると、勝ち誇った笑みを見せる。
なんと胸まで張ってみせた。実に嬉しそうである。
頼むから止めてくれ!
思わずレイダーは頭を抱えてしまうところだった。胃がキリキリするのは気のせいではあるまい。
ミレットが両手を豊満な胸の前で合わせた。
「あ! いいこと思い付きました! 冒険者なんてどうです?」
いきなりの提案にリリアは小首を傾げた。
なぜ急に冒険者の話が出てくるのかさっぱりであった。
状況判断からするに、もしや勧誘を受けているのでは? リリアは訝しんだ。
一方、レイダーの鼓動は先ほどからずっと荒ぶっている。
リリアが下手なことを言わないか気が気でない。
「リリアさん、とても強いです。冒険者なんて話の分かるごろつきみたいなものですし、身分証などもいりません。漫遊旅中の隠れ蓑にはもってこいですよ」
この受付嬢、言うことが無茶苦茶である。
「姫様……」
まさか魔王たるものが冒険者になるなど言わないよな?
レイダーの視線はそう物語っていた。
しかし、残念なことにリリアはレイダーのことなど全く見ていない。
「うむ。まぁよかろう。行く当てもなかったことじゃし、おぬしの街に行くとしよう」
レイダーは手で目を覆い、天を仰いだ。
200年前にも自分と同じように、天を仰いだ魔王軍の魔族がいたのかもしれない。
……いや、確実にいたはず。
ため息だけは決してつくまい、とレイダーは思った
◆◆◆
リリアたちから少し離れたところに生える下草が揺れた。
風も吹いていないのに揺れる道理はない。
なんとそこにはうつ伏せになった斥候盗賊の姿。
斥候盗賊は4人組ではなく5人組だったのだ!
この斥候盗賊は、仲間が無残にやられる間も声を発することなく、息を潜めていたのだ。
まさに斥候。
「ボスに伝えなくては!」
顔に恐怖の表情を貼り付けたまま、斥候盗賊は音もなく方向転換した。
そのまま匍匐で闇の中へと消えて行く。