第64話 魔王、帰還する
巨大な門扉を潜れば、別世界がお出迎えだ。
土の地面は石畳となり、木々は家屋となる。
鳥や野犬の鳴き声から、音楽や喧騒へと様変わりする。
右を向いても左を向いても人ばかり。
いつもならうんざりするところだが、今日だけは別だ。
つい浮足立ってしまう。
特に風に乗って漂って来る小麦のパンや焼けた肉、魚の匂い。
旅の最中では滅多にありつけないものばかりと来れば、なおさらだ。
街頭に置かれた宣伝用のSCSからニュースが流れる。
『伯の領地では、武装勢力と軍が睨み合いの膠着状態を続けており――』
不穏だ。
行き交う市民は視線だけをニュース映像に向け、すぐに興味を失ったのかして、前を向いて歩きだす。
遠い場所のニュースよりも、身近の食い扶持の方が市民にとっては重要だ。
いつも通りのカヌレの街の光景がそこにはあった。
「ようやく帰って来たのぅ」
フードマントを羽織った少女が感慨深そうに言う。
美しい金髪がフードの下からこぼれ出ている。
「野暮用が続いたからな」
サバイバルカラーの旅人が同意するように頷く。
リリアとレイダーである。
2人ともさすがに顔に浮かんだ疲れの色を隠せていない。
「さて、帰ってきたとはいえこれからどうする?」
「まずはギルドに向かうとしよう。ミレットがお冠だろうし、ショコラに渡した戦利品の山分けもしないとな」
リリアが一点を凝視している。
何事かと思い視線を辿ってみれば、店の軒先で子豚が匹丸ごと焼かれていた。
鉄棒を一直線に通し、ぐるぐると回転させながら焼いている。
油の弾ける音がやけに大きく聞こえる。
リリアは口を半開きにして、今にも涎が流れ落ちそうだ。
「だが、その前にいったん家に帰るという案もあるが……姫様、どうする?」
我に返ったのか、リリアは口元を服の袖で拭うと、
「んあ。その案に乗った。水浴びもしたいしのう」
そう言いつつポケットに手を突っ込んだ。
リリアの表情が渋くなる。
どうやら自分の財布が薄っぺらいことに気が付いたらしい。
「むぅ……ギルドへの顔出しはあとでも良かろう」
「では、姫様。お気をつけてお帰りになってください」
そう言ってレイダーは別の方向へと歩き出す。
大きな客車を引いて市内を循環する牛のバスが、ちょうどやって来た。
あれに乗るのだろう。
人ごみに紛れていくレイダーの背中。
しばらくその場でじっとしていた後、リリアは小さく息をついた。
「さて、ワシも帰るか」
だが、そんなリリアの前を影が過ぎった
顔を上げれば、そこには小太りの男がいつの間にかいた。
リリアは怪訝な顔をする。
知らない人だ。
「お、お嬢ちゃん。ハァ……ハァ……おじちゃんと遊ばないかい?飴いるかい?」
いきなり小太りの男が声を掛け、棒付きキャンディーをリリアに差し出した。
その息遣いは小刻みで荒い。
手入れされていない無精ひげがみっともない。
リリアは眉間にしわを寄せると、
「いらぬ。人を童のように扱うでないわ!」
「ハァハァ……じゃあクッキーは?」
「いるッ!」
「姫様、何をしてらっしゃる?」
今まさにクッキーの包みを受け取ろうとしていたリリア。
彼女に声を掛けたのは、どういうことか別れたばかりのレイダーである。
呆れた様相でため息をつくと、キッと小太りの男を見た。
「そこの御仁、うちの子にいったい何用かな?」
小太りの男はレイダーの眼光を見て、次いで腰の剣を見ると、後退る。
「いや……特に何も……」
「その言葉、信じていいんだな?」
「ひっ!」
小太りの男は短い悲鳴を上げて一目散に逃げていく。
さすがに魔力の糸で捕縛したりはしない。
「まったく、暖かくなるとあの手の輩が増えて敵わんな」
レイダーは向き直り、矢や腰を下げてリリアと視線を合わせた。
「姫様、知らない人から食べ物を貰うのは止めた方が良いと、あれほど言ったではありませんか」
「わ、わかっておる!」
ぷいと顔を背けるリリア。
横目でレイダーのことを見ると、少し不機嫌そうに言った。
「じゃが、うちの子という言い方は気に食わんな」
「我が魔王様に向かってクッキーを餌に良からぬことを企むのは止めたまえ、と言えばよかったのかな?」
「……もっと敬った言い方で頼む」
「無理難題をおっしゃられても……」
むぅ、とリリアは渋面を作った。
「レイダーお腹減った!」
急すぎる話題転換だ!
「はぁ?」
「そもそも腹が減っているのが悪い!」
レイダーは頭をガシガシと掻くと大仰にため息をついた。
「あーわかったわかった! 先に飯だ。そして家に帰って身支度。それからギルド。姫様、これでよろしいですか?」
「うむ。問題ない」
リリアは満足そうに顔を綻ばせる。
対照的にレイダーはもう一度ため息をついて、さりげなく自分のポケットに手を突っ込む。
薄っぺらい財布のことを忘れているのだろうなと思いつつ、自分の財布の厚みを確認する。
――まぁ、2人分なら大丈夫だろう。
軒先で焼かれる子豚を見られないよう立ち位置を変え、レイダーは安い飯屋を探すのであった。
◆◆◆
人足斡旋場、合法無法者の巣窟……などと呼ばれる冒険者ギルドは今日も喧騒に包まれている。
ある者は仕事を求め、ある者は報酬の交渉など。
そんなギルドの扉が軋んだ音を立てて開かれた。
我が物顔で入って来たリリアは真っすぐカウンターへと向かった。
カウンターに座っているのは、こげ茶色の獣人と豊満な胸の受付嬢。
足下に大きなずた袋を置いたショコラと、額にびっしりと汗を浮かべたミレットだ。
「ま、まさかですけどマスターとか連れて来てないですよね!」
開口一番ミレットがフロアマスターのことを訊ねた。
「さっき連絡した通り、あやつは再就職したんじゃ。ここにはおらん」
「そ、そう……ならよかった」
ミレットは心底安心したのか胸を撫で下ろす。その豊満な胸を。
なお、フロアマスターなきダンジョンがその後どうなるかは、誰も知らない。
「おひさー」
ショコラが手を振る。
「うむ。無事に帰れて何よりじゃ」
リリアはカウンターに並ぶ椅子を1つ引くと、座る。
すぐ隣にはレイダー。しかし彼は座らない。
「さて、ショコラよ。報酬の山分けとしようか。あのたわけの財産は、本来なら全部ワシが迷惑料として徴収するのじゃが」
「うん! いいよ! 山分けしよ!」
リリアは少し違和感を覚えた。
なんだかショコラがいつも以上にニコニコとしている。
――ワシのいない間に何かあったな。
魔王らしく鋭い勘を冴え渡らせるも、あえて口にはしない。
魔王的配慮である。
「あー……その前にいいかしら」
急にミレットが割り込んできた。
山分けの為に別室を用意してくれと携帯型PHS端末で連絡していたが、どうやらそのことではなさそうだ。
「なんじゃ?」
「リリアさんにちょっと相談したいことがあって……とゆーかリリアさん絡みの件なんだけど」
ミレットの視線がためらいがちに移る。
リリアは誘導されるがままに追った。
カウンターの端、そこに1人の女が椅子に座っていた。
赤毛の女だ。
背丈が低いのかして床に足が届いていない。
「おぬし、誰じゃ?」
女はリリアの問いには答えず、ふぅんと息を漏らす。
「こいつらがあたしの依頼に相応しい冒険者たちね?」
ドワーフの女が、リリアたちのことを品定めするように見ていた。




