第60話 獣人、呑む
金と暴力と違法薬草にまみれ、喧騒止まぬカヌレの街。
新興国家であるガナッシュ新王国の中でも賑やかさでは1、2を争う街だ。
それは日が沈んだ夜でも変わらない。
酒に女に喧嘩にと、住人や冒険者たちは街へと繰り出す。
常闇通りに一軒の屋台がある。
ランタンがぶら下がり屋台の周りだけが闇の中に浮かんでいる。
『速報です。ガトー辺境伯領に謎の武装勢力が出現。詳細は不明ですが、伯は急ぎ軍隊の編成を行い――』
音声のみのSCSが自分勝手にニュースを流す。
人気はあまりなく、白い湯気がもうもうと昇るのみ。
垂れ下がった暖簾には『おでん』と『BAR』の文字。
おでんとは魚をすり潰して練り上げた冒涜的食べ物と根菜を、スープで煮込んだ料理だ。
元は魔王国の魔族たちが好き好んで食べたという。
魔王国跡に興った国ということもあり、カヌレだけでなくガナッシュ新王国ではモツ煮と並んでよく食べられている。
ねじり鉢巻きのオヤジが、無言でおでんスープをかきまぜている。
「はいよ。大根、チクワ、牛すじ」
オヤジは湯気が立つ皿を客の前に置いた。
屋台には客が1人だけいた。
こげ茶色の毛並みをした犬の獣人だ。
「ありがと」
リリアと別れ先にカヌレの街に戻ったショコラである。
獣人のくせに小難しい顔をして何か悩んでいるかのようだ。
しかし、オヤジは聞こうとはしない。
無言でおでんスープをかきまぜる。
過剰なサービスが蔓延するカヌレでは珍しいが、ショコラに言わせればこの距離感が逆に心地よいのだ。
「つまり意外。わかる?」
ショコラは大根にフォークを刺すと一齧り。
それから透明な麦酒を呷る。
度数は高く36度、それをお湯で割った酒だ。
だが獣人ゆえのフィジカルによってか酔った様子はない。
いや、若干顔が赤く目がとろんとしているか。
「はいはい」
オヤジはうなずく。
「今になってヤバい人と思ったの。わかる?」
「はいはい」
話しかけられたら反応するのは礼儀だ。
何もおかしくない。
「ヤバい人とヤバい人。2人もヤバい人。つまりヤバい」
「はいはい」
会話のキャッチボールはいったいどこへ行ったのか。
その時、新たな客が暖簾をくぐった。
「うーっす。オヤジ。大根とチクワと……」
中途半端なところで注文が止まった。
麦酒のお湯割りをちびりちびりと飲んでいたショコラは気配を感じ、見上げた。
客は長い金髪の片方を編み込み、もう片方をアップバンクさせている。
アイラインは濃く、かなり目元を際立たせている。
細い筒状のイヤリングが付いた耳は細長く、彼女がエルフであることは一目瞭然だ。
逆に耳以外、既存のエルフ的イメージらしからぬエルフである。
「あー……」
エルフはバツが悪そうな顔をしてショコラのことを見ている。
予想外のことにどう対応しようか焦っていた。
「大根とチクワね。あいあい」
「いや……オヤジ。やっぱなし」
「やっぱなしは無いよ」
釘を刺すと、オヤジは小皿にチクワと大根を乗せた。
「さっさと座んな」
エレーヌは眉間にしわを寄せる。
「チッ……あと牛すじ」
「牛すじね。あいあい」
いつものメニューを注文する。
エレーヌはショコラを一瞥すると端の椅子を引いた。
オヤジは牛すじを加えた小皿を置くと、
「お客はあんただけじゃないんだ。詰めて座ってよ」
「今、誰もいねーじゃねーかよ!」
「この後来るかもしれないでしょ」
エレーヌはじっと椅子の背もたれを見ると、戻す。
そしてショコラの隣の椅子を引いて座った。
隣の椅子だが、気持ちショコラから離れるように間を空ける。
「飲み物は?」
「ミルク酒」
エレーヌはぶっきらぼうに言った。
ミルク酒とはミルクで作った甘い酒だ。
「うちおでんBARなの。普通はお隣さんのように麦酒がメイン。おでんBARでミルク酒なんておいてるのウチだけ。わかる?」
エレーヌはがしがしと頭を掻くと、
「だから来てんだよ」と吐き捨てる。
エレーヌはミルク酒を待たず、大根にフォークを刺した。
そして大きく一齧り。
口から湯気が漏れ出ている。
美味い。美味いのだが……。
エレーヌは横目でショコラを見た。
ショコラはエレーヌのことなどまるで眼中にないといった様子で、おでんをフォークで突いている。
――これじゃあアタシだけが気にしてるみたいじゃないか!
「ミルク酒ね」
エレーヌは出されたミルク酒を半ば奪うようにとると、一気に半分ほど喉へと流した。
残念ながらミルク酒の度数はあまり高くない。
大きく力を貸してはくれなさそうだ。
「おい」
エレーヌが声を掛けた。
視線は大根に向けたまま。
「なに?」
「浮かない顔してどうしたんだ?」
若干、声が上ずっていた。




