第58話 魔王、朝焼けに発つ
リリアは嗤った。
「ワシはおぬしらを助ける気などない。土地神に戻る気もない」
村長は口を開けたまま何も言えずにいる。
村人たちもそうだ。
心のどこか奥には思っていたのかもしれない。
これほどの惨状を見れば、お社様は慈悲の心で戻ってきてくれるのでは、と。
それこそたわけだ。
魔王に慈悲を求めるのは、筋違いも甚だしい。
「あれほどの無礼を働いたお主らを助けると、本気で思っておったのかや?」
リリアはしゃがむと村長を真正面から見据えた。
憤怒の色に染まった恐ろしい瞳だ。
「そもそも、この村をここまで破壊しつくしたのはワシじゃぞ」
カカッ! と快活に笑った。
村人の何人かが恐怖に倒れる。
「1つ、おぬしらはワシを罵倒した」
リリアの陶磁器のように美しい指が1本立った。
「2つ、おぬしらはワシを理不尽な理由で追放した」
リリアの陶磁器のように美しい指が2本立った。
「3つ、おぬしらはワシの祭殿を焼いた」
リリアの陶磁器のように美しい指が3本立った。
「ワシは土地神の影響でどうやら多少は慈悲深くなったらしい。3つまでは許そう。3つまではな」
村人たちは震えるしかない。
その指が、もう1本立たないよう震えて祈る。
誰に?
土地神なんて、もういないのに。
「じゃが――おぬしらはワシとあ奴の――いや、ワシが200年に渡って面倒を見た畑を潰し……潰させた。4つ」
リリアの陶磁器のように美しい指が4本立った。
瞬間、音が消えた。
滅紫色の魔力が滲み出て、リリアの輪郭が蜃気楼めいてブレた。
急激な魔力密度の上昇。
絶望。
恐怖の悲鳴と泣き叫ぶ声が聞こえ――
「じゃが――このフードマント。これは良いものじゃ」
リリアの指が1つ折れた。
日が昇る。
風が舞う。
花びらが流れる。
大地に緑の兆しが溢れる。
リリアは太陽を背負い、見下ろす。
「ワシは慈悲など与えん!与えるのは試練じゃ!サージェントよ!」
レイダーの魔剣が一閃。
サージェントの猿ぐつわが外れる。
「は、はい⁉」
「おぬしはここで土地神となるが良い!」
リリアは命じた。
有無を言わせぬ命令だ。
「え、土地神……土地神ィ⁉」
サージェントは目を白黒させて聞き返す。
話の流れが掴めない。
「喜べ。おぬしがワシの寝首を掻こうとしてまで欲した頭じゃ」
リリアはにたりと悪い笑みを浮かべる。
「ま、規模は小さいがな」
サージェントはリリアを見て、次に村人たちを見て、あんぐりと口を開けた。
「先に言うておくがおぬしに拒否権はない。じゃが、ワシに殺されるか、土地神として滅ぶまでこの村とともに歩くか――」
滅紫色の魔力が溢れ出る。
リリアの側頭部に闇を固めたかのような漆黒の角が2対生えた。
「選べ」
サージェントは何かを言おうとして、ふと止めた。
首に当たる冷たい鋼の感触を覚えたからだ。
レイダーが名も無き魔剣を彼女の喉に沿わせる。
サージェントに選択肢などないのだ。
「わ、わかりました……!」
サージェントが了承するなり、リリアが高笑いを上げた。
「新しき土地神の誕生じゃ!」
リリアが右手を払った。
焼けた木材や崩れた石が独りでに組み上がり、簡素な祭壇ができあがる。
剣を納めたレイダーが懐から取り出した。
小さな薄い皿と葡萄酒の入った革袋。
レイダーは葡萄酒を皿に注ぐと祭壇に置く。
そして、縛られたままのサージェントを祭壇前に転がす。
「儀式の準備は整った!」
リリアが両手を広げ、叫ぶ。
祭壇を中心として、滅紫色の幾何学文様をした魔法陣が生じた。
土地神の儀が始まる。
山の稜線から出た陽の光が、まるで階段めいて祭壇へと伸びる。
光はサージェントを貫き、祭壇をも飲み込んだ。
皿から葡萄酒の赤ではなく、金色の光が溢れる。
それはどんどん広がっていく。
光はサージェントを飲み込み、村人を飲み込み、村全土へと広がっていき――
◆◆◆
遥か昔より旅人が歩いて固めた土の道を、リリアとレイダーは2人並んで歩いていた。
頬撫でる小風は柔らかく、穏やかな陽の光も相まって心地よい。
もしパンや肉の焼ける匂いが合わさればなお良しだ。
「一件落着じゃな」
リリアが思い出したように言う。
追放された時とは大きく違う。
半べそをかく少女など、どこにもいなかった。
「少々強引じゃったがな」
くすりと笑う。
レイダーは包みから乾燥薬草を取り出し、火を付けた。
「俺は良かったと思うぞ。サージェントを土地神に縛り付けることで、襲撃されるリスクがなくなるのだからな」
――加えて、姫様は決して土地神には戻れない。
心の中でそう付け加えると、レイダーは美味そうに乾燥薬草を吸う。
「それに当面はブレッドマン神父が頑張るのだろう? なら問題ない。上手くまとめてくれるさ」
ちなみに黒王号(巨大な黒毛の牛)もペニエに残してきた。
よき用心棒としてペニエの村を守ることだろう。
「俺たちは俺たちの目的を遂行する。ただそれだけだ」
リリアは横目でレイダーを見る。
「言ってくれるの。魔族探しの旅は振り出しに戻ったというのに」
「姫様、ご安心を。俺たちは冒険者だ」
「うぬ」
「カヌレを拠点に旅でもすれば、はぐれ魔族の1人や2人、すぐに見つかるさ」
リリアはジト目でレイダーを見る。
レイダーは気にせず乾燥薬草をふかす。
「楽観的じゃな」
「楽観的? 違うな。冒険者的思考と考えてもらいたい」
「くふ。ワシらは冒険者じゃからの」
レイダーは口元を緩めた。
乾燥薬草は根元まで焼け、歩くたびに白い灰が流れ飛んでいく。
「だから初めからそう言っている」
足取りも軽やかに2人は行く。
ふとリリアが足を止め、振り返る。
村の姿はもう見えないというのに、リリアは手を振った。




