第52話 魔王、天丼を拒む
旅は道連れ世は情け。
辛くも神官戦士を撃退したリリア一行は、ブレッドマン神父を無事に送り届けるため、ペニエの村へと向かっていた。
道のりは遠く、険しい。
黄土色の濁った空模様は、彼女たちの旅路に一抹の不吉さをもたらしていた。
遠くの荒野で野犬が吠えた。
不穏だ。
リリアは急に歩を止めた。そして周囲に視線を走らせる。
何事かとサージェントがびくりと肩を震わせた。
先程、神官戦士への盾にされたのが堪えているようだ。
「姫様、如何なされた?」
レイダーの首に巻かれたボロ布の端が、超自然的な光をちりちりと放っている。
リリアはスゥーっと鋭く目を細めた。
「何か、来る――」
果たしてそれが合図になったのだろうか。
遠方より尋常ではない量の土煙を上げて、何かが近づいて来るではないか!
すわポテト派の待ち伏せか⁉
いや違う!
巨大な2本の角、筋骨隆々とした体格、力強い蹄の音。
それは巨大な黒毛の牛である!
驚くべきことにその体躯は小型のドラゴンほどもある。
モンスターが蔓延る過酷な大地で生き抜くため、異常発達した特異個体なのだ!
『MOOOOOOOOOO!』
嘶きでびりびりと空気が震えた。
よほど興奮しているのか鼻息は荒く、赤い目をギラギラと光らせている。
リリアは小さく息をつき、
「まったく、神官戦士以外からも襲われるとは、どうなっておるんじゃ?」
「さて、誰がトラブルメーカーなのかな?」
「ワシではないことは確かじゃな」
レイダーは苦笑した。
黒毛の牛だが、その巨体にもかかわらずあっという間にリリアたちへ迫る。
「おお! 神よ!」
「ひぃぃぃぃ!」
神に祈るブレッドマン神父と泣き叫ぶサージェント。
「うるさい!」
リリアは迷うことなくサージェントを前へと蹴り出した。
巨大な黒毛の牛はサージェント目掛けて突っ込んでいく。
「いやあああああっ! お慈悲をッ! 姫様! お慈悲をッ!」
慈悲などない。
哀れ、巨大な黒毛の牛に跳ねられるサージェント。
「ぎゃあああッ!」
しかし、彼女の犠牲は無駄ではない!
サージェントを跳ねたおかげか、黒毛の牛の動きが一瞬止まったのである。
彼女が吹き飛び、視界から誰もいなくなったからだ。
黒毛の牛は再び目標を定めようと、白い鼻息を吹き出しながら旋回する。
彼の目前に立ちふさがるのはサバイバルカラーの旅人装束の男。
レイダーだ。
「おっと、デカい図体じゃ小回りが利かないみたいだな」
レイダーが魔力の糸を伸ばす。
危険を察知した黒毛の牛は暴れるが、遅い!
糸は巨体を易々と縛り上げ、黒毛の牛の身動きを封じた。
レイダーは残心し、横たわる黒毛の牛を見下ろした。
◆◆◆
辛くも黒毛の牛を撃退したリリア一行。
おおむね順調に旅は続いていた。
ブレッドマン神父はひどく疲れた様子でロープを握っている。
その先には跳ねられたというのに、ぴんぴんしているサージェント。
では、リリアは手ぶらなのかと聞けばそうではない。
彼女の手にもまたロープ。
そして、それは巨大な黒い毛並みの牛の首へと巻かれていた。
『MOOOOO……』
黒毛の牛が悲しそうに鳴いた。
その時であった!
リリアたちの行く手を遮る影が1つ
チェインメイルやサーコート、グレートヘルムには妙な既視感がある。
ポテト派が差し向けた神官戦士である!
その手には血がしみ込んだ鞭。鞭使いの神官戦士なのだ。
「舐めた真似をする奴は神の元へと連れて行く。宗派の掟だ。ブレッドマン神父、あんたに恨みはないが死んでもらう!」
彼が手にする鞭がしなる。
その速さは音速を超えるほど!
一番近くにいたリリアへと、まるで大蛇めいた動きで鞭が襲い掛かる。
「愚か者め。いくら速かろうが重力障壁の前ではおままごとよ」
超自然の重力障壁が鞭を容易く弾いた。
「ぐわーッ!」
リリアの右手から放たれた重力球は神官戦士を直撃。
恐るべき鞭使いは一撃で吹き飛ばされ、昏倒した。
◆◆◆
ポテト派の恐るべき刺客を倒したリリア一行は、ブレッドマン神父を送り届けるため、依然ペニエの村を目指していた。
ブレッドマン神父はひどく疲れた様子でロープを握っている。
その先には、道中でリリアが彼に購入させた荷物持ちのヤギがいた。
灰色の毛並みの大きなヤギだ。
そしてヤギの背には、なんとサージェントが括り付けられている。
「なんて扱いだ! 捕虜に対する扱いじゃないぞ!」
足をじたばたさせてサージェントは喚く。
ヤギは迷惑そうに『メェ』と鳴いて唾を飛ばした。
その時であった!
いきなり、いくつもの白刃の刃が飛来したのだ!
それは柄のない投げナイフである。
リリアとレイダーは奇襲にもかかわらず、必要最低限の動きで回避する。
回避しつつレイダーは、ブレッドマン神父を狙った投げナイフを糸で絡めとる。
ヤギに括り付けられたサージェントの尻に、ナイフが浅く刺さった。
「痛い!」
現れたのは神官戦士が1人だけ。
馬鈴薯が描かれたサーコートを着ている。
ポテト派が差し向けた暗殺者である!
「神の元へおくってやろう!」
神官戦士が構えたのはフレイルだ。
鎖の先には痛そうな重りが付いている。
「絶望しろ! 俺以外にもまだまだブレッドマン神父を狙う刺客はぐわーっ!」
喋りの途中にも関わらず、吹き飛ばされる神官戦士。
重力球の早撃ちである。
リリアは腕を組み仁王立ちで、伸びた神官戦士を見下ろす。
「いちいち聞いてられるか。めんどくさい」
バカにしたような呆れ顔でリリアは振り返った。
レイダーはいつもの通りで、ブレッドマン神父は顔面蒼白になり目を泳がせている。
――重力球攻撃は常人には刺激が強すぎたか?
リリアはブレッドマン神父を見て思ったが、口には出さない。
どうせすぐに慣れる。
それよりも、
「ちょっと待たぬか。細部がやや違うだけで、全く同じ内容を3度繰り返してはおらぬか?」
気付いてはいけないことに気付いて、リリアはレイダーに尋ねた。
「姫様、仕様です。なんら問題ありません」
即座にレイダーは返答する。
このサバイバルカラーの不審者、実に協力的である。
「いや、そんなことないじゃろ。退屈なだけじゃ」
リリアは眉間にしわを寄せて考え込む。
「そうじゃのぅ……1人ずつかかって来られても面倒なだけじゃしのぅ……」
「帰りますか?」
「無論その選択肢はない」
たった一言。
レイダーの脳裏を嫌な予感が駆け抜けた。
「仕方がない。ここは200年前にワシが帝国車輪薔薇騎士団を完膚なきまでに葬った、必殺の用兵を見せてやろう」
なぜなら彼の前に、悪魔も裸足で逃げ出すような極悪な笑顔があったからだ。




