第46話 魔王、弟子をとる
――話は少々遡る。
ゴーンゴーンゴーン……。
昼を知らせる鐘の音が聞こえてくる。
カヌレの街は朝と夕に教会が金を鳴らし、宿屋組合が昼にも鳴らす。
前者は時を知らせ、後者は宿屋が飯屋に変わる合図である。
この鐘が鳴ると、カヌレのあらゆる道幅を狭めている要因である露店と屋台も忙しくなる。
たとえば『塩』『鶏』『ソース』と書かれた立ち食いヌードルの屋台。
鐘が鳴って間もないというのに、もう人で一杯になっている。
中には中年男性に紛れて少女の姿も伺える。
味はさておき、安い早いが揃ったカヌレの街のソウルフードだ。
カヌレの昼は熱い。
ただ、今日ばかりは周りの雰囲気と異なる集団が道の端にいた。
険呑とした雰囲気の少年少女たち。
その中心で、小柄な少年が唇を噛み締めていた。
「お前、試験に落ちたんだってな」
少年少女たちがゲラゲラと笑いだす。
あからさまに侮蔑の感情だ。
「ざーこざーこ。魔法が下手くそ。ゴミ魔法。お前だけ追試」
「え、明かりの魔法もできないとか、マジ?」
「さすが教室一の無能なクルトンだ」
彼ら同じローブを纏い、胸には同じ刺繍をしている。
魔法使いを育成する私的な魔法教室の内の1つ、レモネ魔法教室の制服だ。
もちろん囲まれている気弱そうなクルトン少年も同じローブを羽織っている。
この場にいる少年少女らは魔法使いの卵なのである。
ただ周りの少年少女らは、弱いものをいたぶろうとする嗜虐に満ちた表情だ。
「落ちこぼれは目障りなんだよ。俺らのやる気もなくなる」
少年がクルトンの肩を小突いた。
「あーあ、さっさと辞めてくれたらいいのに」
「大丈夫だって。追試に落ちたら退学だもの」
クルトンは屈辱と恥ずかしさに顔を伏せた。握った拳は小刻みに震える。
「じゃ、せいぜい頑張ってねー」
少年少女は立ち去っていく。
取り残されたクルトンは俯いたままだ。
目の端にはじんわりと涙が滲んでいた。
「言い返せなかった……」
ぽつりとつぶやく。
糸が切れた操り人形のように、クルトンは膝を付いた。鼻水が流れる。
自分が置かれた状況を一番理解しているのは自分なのだ。
「くそっ……」
思い出すのは試験に落ちた時の先生の顔。
まさかできないなんて……という驚きと失望のそれ。
「僕に魔法の才能があれば……」
地面が一滴、二滴と水を吸う。
「僕がもっと上手く魔法が使えれば……ッ!」
カヌレの街は自力救済が是である。
クルトンはどうしようもなく渇望した。
しかし、自力救済が是のカヌレで彼に手を差し伸べる者など誰もいない。
皆、自分たちのことで精一杯だから。
それでも手を差し伸べようとする者など、よほどの変わり者だろう。
そう、例えば気まぐれな神様とか――
「話は聞かせてもらったぞ」
突如、向かいの立ち食いヌードル屋にいた少女が、金髪を靡かせて振り返る。
彼女の手には湯気が立つ塩ヌードル!
汁を絡ませて麺をずるると啜った。
少女は歳に似つかぬ鋭い眼光を投げる。
「だ、だれ……?」
クルトンは震える声で尋ねた。
少女は答えず、麵をずるると啜る。椀を両手で抱えると汁を一気に飲み干した。
そして、椀を返すと(先払い制なのだ!)つかつかと歩み寄る。
クルトンは呆けた顔で、フードマントを羽織る少女を見た。
邪悪めいた笑顔だった。
情けなく地べたに膝を付く少年へ、魔王は問う。
「チカラが欲しいかや?」
◆◆◆
少し離れた空き地へとクルトンと少女は移動した。
空き地とはいえ、なにも童の遊び場と言うわけではない。
倉庫の建築計画がとん挫し、土地ごと放置されているだけだ。
クルトンに声を掛けてきたリリアと名乗る少女は、3つ重ねられた丸太のてっぺんに座っている。
同世代の誰よりも可愛らしい。
クルトンは直視できずにいた。美人だ。
「で、おぬしはなぜ同じ童どもに囲まれて罵倒されておったのじゃ?」
「僕はレモネ魔法教室の生徒です。今日、昇級試験があったけど……落ちちゃって……」
クルトンは袖でごしごしと目元を拭う。
「追試に落ちると退学になっちゃうんです。学費も高いから他のところにも入れないし……」
リリアは黙ってクルトンの言葉に耳を傾けている。
「魔法も下手だし、みんなに馬鹿にされるし……でもどうしたらいいのか。僕が魔法できなさ過ぎて先生もため息つくし……」
あっという間に目に涙が溜まってしまう。
カカッとリリアは老獪に笑ってみせた。
「なるほど。よくわかった。ワシも魔法使いの端くれじゃ。よかろう。少しばかり見てやろう」
クルトンは目を丸くすると、少女の足の先からてっぺんまでを見た。
「え、おねーさんも魔法使いなの?」
「阿呆め。そうでなければ、誰が魔法使いのひよっこに声などかけるもんか」
フードマントの隙間から白いベルトが見えた。
この少女は魔法使いの冒険者なのだとクルトンは初めて理解した。
「でも白ベルトじゃん……」
慌ててクルトンは口を両手で塞いだ。失言だ。
予想通り、リリアは憮然とした面持ちで見ているではないか。
せっかく差し伸ばした手に、手袋を叩きつけるような行為だ。
クルトンは慌てて謝ろうとするが、リリアの方が僅かに早かった。
「では訊くが、おぬしの師は何ベルトかや?」
クルトンは困惑した。
先生は冒険者じゃない。ベルトなど持っていない。
「そう。じゃがおぬしの師は優れた魔法使いなのじゃろ? それと同じとは思わんか?」
「あ……」
その時、強烈なアッパーカットを食らったかのような衝撃を受けた。
そう、冒険者じゃない魔法使いなんていくらでもいるのだ!
クルトンは自分の想像力の足らなさを恥じた。
「聡い子じゃ。しかし、想像力が足りんのぅ」
リリアは扇で手招きする。
「まずはおぬしの実力じゃな。で、その試験とやらは?」
「明かりの魔法を発動して、離れたとこにある箱の中を照らすんだ」
クルトンはローブの内側から魔法の発動体を取り出した。
『練習用』と描かれたタグが付いた小さく細い木の杖だ。
クルトンは目を瞑り精神を集中させる。
僕ならできると半ば脅迫めいて心の中で言い聞かせ、クルトンは両手を突き出す。
「明かりよ……」
両手の先に生まれたのは握り拳程度の光の球。
しかし、その輝きは嵐の中の焚火めいて頼りない。
かろうじて手元を照らすくらいには役立つだろう。
クルトンの頬を汗が伝う。
生み出した光の球を維持するだけで精一杯なのだ。
それを別の場所に動かそうものなら――
「ああ!」
クルトンが一瞬目を離した隙に光の球は霧散した。
失敗である。
途端に動悸が激しくなる。
クルトンはガチガチと歯を鳴らし、再び明かりを生み出そうとし――
「もう良い。だいたいわかった」
リリアがぴしゃりと言い放った。
クルトンはびくりと肩を竦ませ、恐る恐るリリアを見た。
「1時間でそれなりの腕前にしてやろう」
予想に反して――彼女の可愛らしい顔には呆れも失望もなかった。




