第32話 村長、放心する
まさに不穏としか言いようがない空模様であった。
黒と灰からなるマーブル模様の雲が、空を覆い尽くしている。
まるで、とある辺境の村の行く末を暗示するかのようだ。
野犬の遠吠えが聞こえる。遠くの森からだ。
土地神がいた頃は野犬など近寄らなかった。
不吉だ。
ガナッシュ新王国辺境に位置するペニエの村。
それも今は昔。ここは教会のポテト派が支配する、聖なる暗黒馬鈴薯生産基地と化していた。
「くそっ……どうしてこんなことに……」
村長は青ざめた顔で毒づいた。
ここはいつもと変わらぬ村長宅の書斎である。しかし、やや様相が異なっていた。
部屋の四方に置かれたドラゴン、ユニコーン、フェニックス、グリフォンを模った像は撤去された。代わりにあるのは種類別の馬鈴薯の置物。
壁に掛けられていた鹿の生首剥製は、面白馬鈴薯に置き換わっている。
なんたる冒涜的光景か!
「あばばばばばば……」
途端に村長は足元の桶に嘔吐する。
馬鈴薯の置物に囲まれる村長は、正気を失いつつあった。
馬鈴薯により精神的に限界を迎えようとしている。
「あばばばばばば……」
再度の嘔吐!
巡回する神官戦士が窓越しの視界に入ったからだ。
彼らはサボろうとする者や逃げようとする者には、容赦なくお仕置き棒の一打を浴びせる。
そして村の入口に組まれた櫓に、見せしめとして吊るすのだ。
本当に神職者だというのだろうか。疑問だ。
窓の向こう、村長宅よりもなお巨大な建設中の教会が見える。
その周りには不自然なまでに青々と茂る畑の畝。
教会と畑で働く村人たちは老若男女問わず、虚ろな目をしていた。
村人たちはポテト派に言われるがまま、教会の建築に駆り出され、あるいは神聖な馬鈴薯を育ているのだ。
しかも2交代制勤務!
その労働に給金など支払われない。
作業は神聖であり、つまり徳を積んでいるという形で村人たちには還元されているとビスケ神父は言う。
紛れもない欺瞞である。
だからこそ――空虚な目の村人たちは、村長が視界に入るとたちまち怨嗟のそれとなる。
「村長だ……」
「村長め……」
「叩いて殺す」
呪詛めいた囁き声が家の中だというのに聞こえてくる。
さらに村長の精神をひどく痛めつけるのだ。
「やめろ……やめてくれ……」
村人とは違い、労働監督官という支配する側に立ってはいるが、それは村長が望んだ形ではない。
カネと権力。その両方を失っているからだ。
異端を疑われたせいで、教会より支払われた金貨は全て没収されていた。
村長宅も接収され、書斎を除き、今ではポテト派の暗黒拠点となっている。
無論、最初から全て回収する予定であったことを村長は知らない。
実際盗賊めいたやり口なのだ。
「くそっ……どうしろってんだよ……くそっ」
村長は外の神官戦士に聞こえないよう悪態をつく。
神父たちに出て行けと言おうものなら異端認定だ。
異端と見咎められれば異端審問官がやってくる。
そして、自分たちが燃やした祭殿と同様、村はキャンプファイヤーとなり聖なる炎で焼き尽くされる。
村長はさらに思考を走らせる。
平和的手段により教会が出て行ったとしよう。
仮に出て行ったっとして、それでも自分はもう終わりだ。
怒り狂った村人たちに袋叩きにされ、櫓につるされるだろう。
行くも地獄、帰るも地獄。
「どうすればいいんだ……あばばばばば」
猛烈なストレスにより村長はたまらず再々度の嘔吐をする。
もう出るものもない。
次は血かと覚悟を決める村長。
コンコンコン。
書斎のドアをノックする音だ。
今、村長にとっては最も恐ろしい音でもある。
村長はびくりと肩を竦めた。慌てふためきながら桶に蓋をし、机の下に押し込んだ。
ギィ……と軋む音をたててドアが開いた。
「やぁ、村長さん。ご機嫌いかがかな?」
村を嵌めた張本人であるビスケ神父が喜色満面に声を掛ける。
――こいつが聖職者だと? ふざけるな!
村長には彼が悪魔にしか思えなかった。
「ハイ。すこぶる良いです。生産進捗と同じく良いです」
嘘である。しかし、ここで悪いと言えば信仰が足りないと言われ、お仕置き棒で叩かれるのだ!
なんと殺伐としたコミュニケーションか。
ビスケ神父は何度も頷く。しかしその様相は胡乱である。
「村長さんの実直な働きに、主は喜んでおられるでしょう。ペニエの村の信仰はとても良いです」
「ありがとうございます」
村長はへりくだった態度で頭を深く下げた。
ビスケ神父は村長の肩に手を乗せると、
「これほどの信仰があればさらに生産をふやせるでしょう。2交代勤務から3交代制、休憩を挟めば連続勤務可能に変更です」
村長は自分の耳を疑った。
休憩したとしても8時間×2時間、今の労働時間よりも長くなるではないか!
悪魔ですら目を背ける所業である。
村長の両眼に浮かぶのは明確な怒りの感情。握った拳は小刻みに震え、白くなっている。
――もう我慢の限界だ!
異端と認定されようが構わない。
村人を扇動してこの悪徳神父や神官戦士を追い出すんだ。
しかし、現実というものはかくも残酷なのである。
「皆さんの労働を守るため、明日には神殿騎士様がこの村に来ます」
「神殿騎士⁉」
村長は自分の耳を疑った。
神殿騎士とは教会が持つ戦力のなかでも特に精鋭の戦士である。
その戦闘能力は凄まじく、神官戦士10人分である。
もちろん聖職者なので初級の神聖魔法も使えるのだ。
その昔、国境の村へ攻め入った1000を超える異教の軍勢相手に、7人の神殿騎士が戦い、勝利した話は有名である。
無論、村人が束になって掛かっても勝てるはずがない。
「はい。配下の神官戦士も20名来ます。皆、信仰の輝きを胸に秘めています」
「エ?」
「しっかり労働に励むよう、よろしくお願いいたします」
「エ……」
「よろしくお願いいたしますね」
とてつもない圧が村長を襲う。
村長は放心したようにビスケ神父を眺める。
目には生気が感じられず、口が薄く開いている。
「よろしくお願いいたしますね」
「はい……」
他にどう言えばよいというのか。
ビスケ神父は満足そうに頷き、踵を返す。
去り行くビスケ神父の背中を眺めながら、村長は崩れ落ちるように両膝をついた。
黒々とした空は一層禍々しさを増す。
遥か遠くで稲光が走った。




