第25話 魔王、斥候を知る
森の臭い。
土の臭い。
獣の臭い。
街にはない異質な臭いだ。
文明という人のテリトリーから離れたことを、嫌でもわからせてくる。
下草が揺れる音がした。小動物かあるいは別の――
ここはブラウニの森。
カヌレの街の北、ブラウニ山の裾に広がる広大な森だ。
モンスターや危険な動植物が跋扈し、踏み入れた人間を試しにかかる。
冒険者くらいだろう。好き好んでその試練を受けたがる者など。
そんな鬱蒼と生い茂るブラウニの森で蠢く影3つ。
先頭を行くのはショコラだ。
斥候にしてレンジャーであり盗賊でもある彼女は、斥候冒険者らしい装備に身を固めている。
頑丈そうな革鎧を着こみ、クロスボウと矢筒を背負っている。
さらに恐ろしいことに森の中を歩いているのに、足音が一切しない。
腕前は確かなようである。
続いてリリアとレイダーが並んで続く。
ショコラと2人の間には、明らかな足取りの差があった。
「ブラウニの森はあたしのお庭みたいなもの! 性悪耳長女に追いつくのなんか朝飯前!」
事あるごとに振り返るショコラは、毛布の中で丸まっていた時よりも実際生き生きとしている。
四大人族で、最も運動技能に優れた獣人としての性なのかもしれない。
森へ足を踏み入れてから相当な時間が過ぎた。
ショコラはレンジャー技能を生かして、リリアたちを森の奥へと連れて行く。
かなりのハイペースでどんどん進む。
ただ、大きく回り込むように進むのが、リリアはどうしても気になる。
「奥へ行くなら、真っすぐ進んでもよいのでは?」
「それはダメな考え。前に赤い風と一緒に行ったとき、まっすぐ行ったの」
「ほれ。やっぱり真っすぐが良しじゃ」
「だからたぶん、赤い風も同じ道を行くと思うの。だから別ルート。ほんとはこっちのほうが安全に森の奥に行ける」
ショコラはあえて言わないが、真っすぐ行く場合、ゴブリンの縄張りとかち合う恐れがある。
「ワシ、強いから平気じゃぞ」
「戦えば戦うほど遅くなるからね。あ、気を付けて。前方の茂みになんかいるから」
クロスボウに矢を装填すると、ショコラは茂みに向けて礫を投げた。
ギィと邪悪な声が聞こえ、小さな影が飛び出した。
見よ! その醜悪な外見を。
ゴブリンだ!
茂みからゴブリンが飛び出すなり、ショコラはクロスボウの引き金を引いた。
眉間を撃ち抜かれてゴブリンは死亡!
断末魔の声すら上げることができなかった。
所詮はゴブリン。
群れを成さねば処理など容易いものである。
「よくわかったのぅ」
一連の鮮やかなムーブに、リリアは感心したように言う。
未だ痙攣するゴブリンの亡骸。その額に深々と刺さった矢をショコラは引き抜いた。
ショコラは回収した矢を矢筒に戻すと、ピースサイン。
「うん! 経験と勘とスキル!」
途端にリリアの表情が曇る。
「かーっ! またスキル持ちかや! かーっ!」
「えぇ……どしたの?」
困惑するショコラはすがるようにレイダーを見た。
彼女はいきなりの変貌に怖がっている。
レイダーはリリアの肩を荒っぽく揉む。
「気にするな。姫様はスキル持ちを前にすると時折、発作を起こすのだ」
「発作などと言うでないわ」
レイダーの手を振り払うとぷいと横を向く。
そして、細目でショコラを見ると、
「ちなみにおぬしのスキルは何じゃ?」
口ではスキルを毛嫌いしているくせに、どうやら気になるらしい。
ショコラはふふんと胸を反らすと、
「《気配探知》! 壁の向こうにいる人がなんとなくわかったり、箱の中身がなんとなくわかったりするの」
なんとも微妙なスキルと思った人もいるだろう。
なんとなくわかるのが役に立つのかと。
だが、思い出してほしい。彼女は斥候冒険者である。
壁の向こうに隠れていたり、茂みの奥に隠れていたりする者の存在を看破する斥候。
これほど恐ろしい斥候がいるだろうか?
レイダーは笑みを浮かべると、
「だから俺は初めからそう言っている。優秀な斥候だとな」
「でしょでしょ!」
ショコラは褒められて嬉しいようで、クロスボウを持ったままその場でくるくると回っている。
リリアは肩をすくめて言う。
「そうじゃの」
◆◆◆
奥へ行けば行くほど木々はその密度を増し、陽の光を遮り、闇を生み出していた。
混沌の神々に魅入られし眷属が最も好む闇を。
空気が変わった。
流れる風に邪悪な間の気配が混ざり、一筋の冷気のような緊張感を孕んでいた。
先頭を行くショコラの歩みが止まった。
彼女は一言も発することなくリリアたちを手で制する。
すなわち進まず、散開し、待機せよ。
ショコラはレバーを引いてクロスボウの弦を張り、前方を警戒する。
獣人だからといって犬のように鼻が利くわけではない。
音と気配とスキルが彼女に与えられた手札であった。
茂みが揺れる。
先ほどのように礫は投げない。
茂みの向こうにいるのはゴブリンなんて小物ではない。
大型だ。しかも3体。
耳をすませば、うち1体は怪我をしているのか、足を引きずるような音がする。
ショコラは片膝をつき、クロスボウを固定。
照準器を覗き込む。
茂みがひときわ大きく揺れる。
ショコラは息を止めた。照準のブレが収まる。
引き金に指を掛ける。
突如、茂みから躍り出る黒い影!
ショコラは引き金を――引き金から指を離した。
「貴女方、もうこんなところまで追いついたのですか?」
茂みを掻き分けて出てきたのはモンスターなどではない。
冒険者パーティー『赤い風』のリーダーだ。




