第2話 土地神、不審者と会う
「ファック。神も天使もいない」
本物の神が言うのだから間違いない。ただし、元・神ではあるが。
ペニエの村から続く夜の街道を、リリアは肩を落として歩いていた。
いくら振り返ろうとも、村はもう見えなくなっている。
「ここは……知らない道じゃのぅ」
目深にかぶったフードマントの下で、リリアは周囲に視線を走らせた。
土を固めただけの簡易な舗装だ。道端には草が好き放題伸びている。
こんな粗末な街道、土地神となる200年前にはなかった。
ホーホーホー。
どこかでフクロウが鳴いている。
「愚か者どもめ。収穫の時に、自らの過ちに気付くがよいわ」
強がった分、急に心細くなる。
実際、リリアに目的地などなかった。
足を止めれば心が折れる。それがわかっているからこそ、リリアは歩き続ける。
双子月は雲に隠れて久しい。
まるで自分の未来を暗示しているかのようだった。
◆◆◆
「ワシが、この村から追放……?」
リリアは息を呑んだ。
信仰を集める土地神が、村人に敬われているはずの土地神が追放?
リリアの頭の中でぐるぐると思考が巡る。
しかし、村人たちは悠長に待ってはくれない。彼らもまた、不退転の決意で土地神追放を行っているのだ。
「ワシがおらぬと作物が……」
「南の最新農法があります」
「お芋くらいしか育たんぞ」
「お芋以外も育ちます」
「野犬からも守っておったのに?」
「村人が槍を持ちます。神官戦士も来るでしょう」
村長はゆっくりと、自信を持って頷いた。
「我々は古きを捨て、新しきに生きる。そう決めたのです。さあお社様。今度は貴女が決断する時です」
村の決意は固い。
リリアは瞳に涙を浮かべて振り返った。
200年過ごした我が家。万年床になっているお布団。小さなちゃぶ台。色褪せた座布団。
狭いが、居心地は良かった。
リリアは村人たちに視線を向ける。
200年にわたって我が子のように大事に守り続けた村人たちだ。
ぼろ雑巾めいた格好で流れ着いた自分を受け入れ、土地神として崇め奉ってくれた村人たち。
リリアの頬を涙が伝った。幾筋も伝った。
ほんの少し前までうまくやっていたはずなのに。
豊作に喜び、楽し気な歌が聞こえていたというのに。
いったいどうしてこうも心変わりしてしまったのか。
村人たちを見渡し、ようやくリリアは気が付いた。
若い村人たちの奥に年経た村人たちがいた。皆一様に後ろめたそうに目を伏せている。
ペニエの村は一枚岩ではない。
村長と若者が土地神追放を推し進めているのだ。
さらにリリアは気が付いた。
群衆たちの中に見知らぬ者の姿があったのだ。
まるで自分は当事者ではないと告げるように薄笑いを浮かべ、煌びやかな服を着た男だ。
まるまると太っている。野良作業を知らぬ男の顔だ。
彼こそがこの騒動の黒幕にして、ペニエの村を教会勢力に引き込むため、教会が派遣した悪徳神父である。
リリアは神として直感する。
この神父が言葉巧みに村長と若者を誑かし、今夜のパフォーマンスめいた凶行へと駆り立てたのだ。
豊かな土地を得つつ土着信仰を排して、教会勢力の支配地域を増やす。恐ろしき陰謀でありながら、村長と神父にとっては実質WIN・WINな関係だ。
無情にも村長は告げる。
「さあ、出て行くのだ! この土地から出て行くのだ! お社様!」
リリアは涙と鼻水でぐずぐずになった顔を腕で拭いた。鼻の頭は赤く、目も真っ赤だ。
「返答はいかに?」
悲しみと情けなさと無力感が、まとめてリリアを襲った。
「わかった。ワシは……祭殿からでる……」
か細い声であった。
リリアはゆっくりと、ゆっくりと足を祭殿の外に出した。
揺らめく影が次第に形を持ち始める。足の先が触れるや否や、リリアは二百年ぶりに外の臭いを嗅いだ。
焦げ臭い、火の臭いだ。
神としてのステータスが失われていく。代わりに、遠い昔に失った肉体が戻って来た。
これにて契約終了。
土地神が土地神でなくなり、1人の少女に戻った瞬間であった。
群衆が左右に割れ、1本の道ができる。
その先は暗く、まるで彼女の今後を物語っているかのようであった。
「――お社様」
老人が一人駆け寄る。そして、リリアに一包みの布を渡した。
「夜は寒うございます……羽織ってくだされ」
何度も補修を受けた跡が残るフード付きマントであった。
「礼を言う……ワシがいなくても強く生きるのじゃぞ……」
返事はない。
老人は顔を伏せ、群衆の中に逃げたからだ。
哀しさに心が決壊しそうになる。
リリアはすぐにフード付きマントを羽織った。まるで元から自分のものであったかのようにサイズがぴったりだ。
リリアは小声でもう一度礼を言うと、フードを目深にかぶった。とぼとぼと村の外へ向かって歩き始める。
村の出口が近づいてきた。
ふと足を止め、振り返る。
祭殿が火柱となり、夜の空を赤々と照らしていた。
帰る所は無くなった。
リリアはぎゅっと唇を噛み締めると、早足で村を後にする。
嗚呼、なんたる無常か。
先の見えぬ闇のなか、嗚咽の声が響く。
夜空に浮かぶ双子月だけが、リリアの追放を優しく見送っていた。
◆◆◆
「はたしてそうかな?」
突然投げられた言葉に、リリアは竦み上がり、弾かれたように振り返った。
闇夜に滲み出るように男が1人いた。
サバイバルカラーの旅人装束で身を固め、首にはボロ布をマフラーのように巻いている。
重装備の旅人といった出で立ちの、あからさまに怪しい男だ。
「なにものじゃ⁉」
リリアの声に緊張の色が帯びる。
夜道を行く年端もいかない少女に声をかける者など、碌でもない輩に決まっている。
街に寄りつけぬ街道暮らしの犯罪者か、幼き体を狙った変態誘拐魔か。
「そう身構えなくていい。怪しい者じゃない」
男は言うが、怪しくないと言うことで怪しさ百倍である。
フードを上げると、リリアは油断なく身構える。
「ワシは知っておるぞ。怪しい奴は皆そう言うのじゃ。まずは名を名乗れ!」
まさしく正論だ。
男は、くくくっと喉を鳴らす。含み笑いでさらに怪しさ10倍だ。
「それもそうだな。姫様の言う通りだ」
ちょうどその時だった。
雲の合間から双子の月が顔を覗かせた。
明らかになったのは端正な容貌。その眼光は鋭く、村人たちのそれとは住む世界が異なることを告げている。
「俺はレイダー。フリーの冒険家だ」