第18話 魔王、試される
地獄めいた吠え声。
常人ならば恐怖で卒倒したに違いない。
群れを率いるアルファである魔狼がレイダーへ襲い掛かった。
『AAAARRRR!』
並みの冒険者であれば対処できなかっただろう。
そもそも魔狼の接近に気付くことすらなく、爪と牙により無残なミンチ肉になり果てていたに違いない。
風上から群れが仕掛けたのは囮のため。
ワザと風に臭いを乗せることで、彼女の風下からの奇襲を巧妙に偽装したのだ。
恐るべき戦術である。
だが――トロールの半身すら噛みちぎるほどの巨大な顎は、レイダーに届くことはなかった。
「たとえアルファでも、この通りだ」
彼女の戦術を察していたレイダーが左手を向けた。
瞬間、魔狼は態勢を崩して転がった。
魔狼ですら自分の身に何が起こったのかわからなかっただろう。
それを放った本人以外は。
魔狼の動きを封じたのはネットである。
狼たちの動きを封じた糸で編まれたネットが、魔狼を絡めとったのだ。
魔狼は脱しようと暴れるも、ネットは余計に身体へ食い込んでいく。
いくら爪を立てようが切れない。
脱せない!
「ふふっ。藻掻いても無駄だ。お前がそれを一番わかっているだろう?」
ようやくレイダーは動いた。
ゆっくりとした足取りで魔狼へと近寄る。
『グルルルッ……!』
殺気を放ち、威嚇する魔狼。ダメ押しとばかりに糸で縛られ、麾下の狼と同様に動けなくなる。
レイダーの右手が剣に伸びた。
レイダーが抜き放った名も無き魔剣、その両刃の剣身にはルーン文字がびっしりと刻まれている。
両手で持つには短すぎる片手剣を、レイダーは逆手に持った。
「俺は魔族だが、そこまで冷酷でも残忍でもない。しかし――」
そして、身動きが取れない魔狼の首筋へ、迷うことなく剣を突き立てる。
『キャゥン!』
甲高い鳴き声が響いた。
モンスターらしかぬ鳴き声だ。
レイダーは表情一つ変えず、捻りを入れて剣を抜いた。
夥しいほどの血が吹き出る。
頸動脈を断ち切ったのだ。
魔狼の鋼色の毛が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
急所を突かれた魔狼は死亡。
弛緩した巨体が牧草地に横たわる。
レイダーはそのまま狼たちへと向かう。
魔狼と同じように首筋に剣を突き立て、次々に息の根を止めていく。
一方的な殺戮だ。
冷酷で残忍な――
全ての狼にトドメを刺したレイダーは、血を払い、剣を納めた。
牧場を襲った狼の群れはこれで全滅、一人で依頼を達成したのだ。
彼を称するのに、多くの言葉は必要としないだろう。
だから、リリアはただ一言述べる。
「見事じゃ」
レイダーが初めに言った『実力を見せる』ということに限れば、上々だ。
一連の動きに一切の無駄はなく、非凡な腕前を感じさせる。
戦士としては予想以上。
少なくとも――リリアは思う。
大戦の末期、勇者と相対した自分を裏切り、逃走した使い魔よりはよっぽど使える。
あの愚かな使い魔よりも。
それに並大抵の魔族、人族、モンスターではレイダーには敵うまい。
だからこそ、同時に、魔王はもしもの時を考える。
この糸が自分に向かって伸ばされた時のことを。
魔王は嗤った。
簡単な事よ。同じことをすればよいだけだ。
糸と同様、高負荷重力により身動きを封じればよい。
弱敵なり!
魔王が故の思考。
土地神となり冒険者となり、しかし依然として彼女は魔王である証だ。
「俺がこの群れと相対するのは3回目だ」
レイダーのつぶやきがリリアを思考の海から引き戻す。
「うち2回は同じように糸で拘束した。そして森へと返した」
何が言いたいのだ?
リリアは無言で、レイダーの腹の内を探る。
「にもかかわらず、この群れは3回目の襲撃だ。主の顔も三度まで。だから今回は殺した。意味がわかるか?」
冷酷な眼差しでレイダーは真っすぐリリアを見据える。
「こいつらは判断を誤ったんだよ」
抑揚のない声であった。
リリアは甘んじて眼差しを受け、無言を貫く。
「姫様、貴女は間違えないでくれるな」
部下としては上々――ただ、レイダーのその心の内に抱える邪悪性や秘めた目論見は無視できない。
寝首を搔かれないよう、せいぜい気を付けなければならないだろう。
「ワシは魔王じゃ。言うまでもなかろう」
リリアはカカッと快活に笑った。
つられてレイダーも笑う。
一瞬の静寂。
そして、
「犬っころを駆除したくらいで粋がるでない、小僧」
リリアの口から魔力の瘴気が漏れ出た。
滅紫色のおどろおどろしい瘴気だ。
「おお、怖い怖い……」
口だけで怖がってみせると、レイダーは懐から乾燥薬草を取り出した。
しわくちゃの包みから1本だけ出した。
火をつけ、ふかす。
吐き出した白い煙は細く、空へと昇る。
「言うまでもない、か。そうだな。そうだよな」
くくっとレイダーは喉を鳴らした。
「だから、初めからそう言っている」




