第17話 魔王、襲撃される
牧場主は中年の男であった。
どうやらレイダーとは元々知り合いだったらしい。
事前に話をしていたのか、冒険者にしては貧弱なリリアのことを見ても、特に驚いた様子はなかった。
レイダーは牧場主と二三言葉を交わしたのち、勝手知ったる風に牧場へと入っていく。
左右をまばらに生えた木々に挟まれた牧場。
ぐるりと建てられた柵の中で、十頭余りの牛が草を食んでいた。
しかし、彼らはひっきりなしにモウモウと鳴く。
まるで何かに怯えるかのように。目を潤ませて。
歩きながらレイダーがポケットに手を入れ、漁る。
「そうだ。姫様、これを」
レイダーが無造作に何かを放り投げた。
リリアは危なげに両手で包み込むようにキャッチする。
手の平を広げ、目をぱちくりした。
指輪だ。
銀色の輪に、真っ赤な石が付いている。小さくも輝きは十分すぎるほど。
「ななななな」
指輪を凝視し、リリアは壊れたSCSのように繰り返しす。
彼女の頬は指輪の石に負けないほど赤くなる。
残念ながら(あるいは幸いなことに)レイダーは背を向けており、知る由もない。
リリアの肩が小刻みに震える。
土地神時代に貰った供え物は数え切れないが、俗にいうプレゼントというのは久方ぶりだ。
こんなときどういう顔をすればいいのかわからない。
笑うべきか、しおらしくするべきか、気付かない振りをするべきか。
「……おぬし、こういうものを人に渡す意味、分かっているのじゃろうな?」
「もちろん」
振り返りながらレイダーは頷き、
「姫様はすぐ依代無しで魔法を発動する。人は杖や発動体なくして魔法を使えない。だからその指輪は魔族とバレないようカモフラージュ用だ」
真面目腐った顔でそう言った。
裏の意味などないのだろう。
リリアは脱力した。
「おぬし……おぬしというやつは……はぁ」
ため息をつきつつ内心咆える。
――小娘のように頬を赤らめたのがバカみたいではないか!
「ありがたく受け取るわい」
リリアは不機嫌そうに吐き捨てる。
レイダーの背に向けて左手の中指を立てると、その指に指輪を通した。
その時不思議なことが起こった。
指輪のサイズはぴったりであった。
リリアはもう一度ため息をつくと、先を行くレイダーの背を追った。
朝露にブーツが濡れる。
レイダーはただっ広い牧場の真ん中までいくと、その場に腰を下ろした。
うんこを踏み潰すような愚は犯さない。
そして、ゆっくりと目を閉じる。
リリアは少し離れたところで座り込む。
尻が濡れないよう、重力制御魔法でやや身体を浮かせながら。
どれだけ時間が過ぎただろうか。
目を瞑ったままレイダーは座して動かない。
風よりも微かな呼吸音に合わせ、肩を上下させている。
リリアは近寄ってきた子牛の鼻を丈の長い草で撫で、遊んでいる。
ただ少々飽きが来ているらしい。
雑な動きに子牛は、迷惑そうにモウと鳴いた。
その時だった。
――気のせいか?
風が変わった。
レイダーは静かに目を開けた。
彼は不穏な気配を肌で感じ取ったのだ。
リリアもまた気が付いた。
草を捨てると子牛を追い払う。
そして、レイダーと同じく森へと視線を走らせた。
周囲から音が消えた。
「――来たか」
ザザッ!
下草を駆け抜ける音。
森から電撃的速度で飛び出してくる存在あり!
その速度は夜空を走る流れ星がごとき鈍色。
狼だ!
しかも10匹!
矢尻のような陣形を組んで、風上から牧場へと一直線に突撃してくる。
レイダーは一瞥するとやおら立ち上がった。
だが、立ち上がっただけで動かない。腰の剣に手を伸ばすこともない。
一方で、突撃してくる狼たちは1頭のアルファに率いられた群れだ。
群れは獰猛な唸り声を上げて迫る。
狙いは無論、牛。
しかし、立ち塞がる存在がいる。
群れはすぐさまレイダーを標的に切り替えた。
『AAAARRRR!』
身の毛もよだつ吠え声、そして牙を剥く。
だがレイダーは未だ動かぬ。
まさか恐怖に身をすくませているとでもいうのだろうか?
狼たちは獲物が動かないことをいいように、さらに速度を増した。
まるで鈍色の突風。
10匹同時に地面を蹴り上げ、10匹同時に飛び掛かる。
狙うは喉元。
だがレイダーは未だ動かない!
最早これまでかっ⁉
――マフラーが如く首に巻いたボロ布が、超自然的な光を放った。
否、見よ!
狼たちの動きが飛び掛かった姿勢のまま、空中で止まったではないか!
10匹全てが同じタイミングで。
すわ魔法か?
「違う」
レイダーは右手を払った。
途端に宙に浮いた狼たちが地面へと叩きつけられる。
『ギャウ!』
10匹同時に悲鳴を上げた。
魔法ではないとすれば、いったいどのような奇跡をレイダーは用いたというのか?
リリアは見た。
そして、どういった絡繰りなのかを、魔王的な洞察力ですぐさま見抜いた。
レイダーが首に巻く布から、彼の腕を通して伸びる魔力を纏った糸の存在を。
「むぅー……」
リリアは低く唸り、注意深く狼たちを見た。
糸が狼たちの鼻の頭から尾の先まで巻き付き、一切の身動きを封じているのだ。
リリアは実際、感嘆していた。
そして、冒険者ギルドで受けた説明を思い出していた。
「なるほど。ゆえに『捕縛』のスキルというわけか」
『捕縛』は相手を捕まえやすくするスキルだ。
レイダーは鍛えた『捕縛3』スキルにより、糸を自在に操り、相手を捕まえてみせたのだ。
「そう――糸自体はただの服飾用補修糸だ。一山いくらで買えるマジックアイテムよ。しかし、この超自然的な糸と俺のスキル、そして魔族としての高い魔力が結びつくことで、こうして一方的な戦いができる」
レイダーは誇るでもなく、淡々と述べる。
糸使い。寝物語の中にしか居ない架空の存在だ。
レイダーは己の弱スキルと魔族としての高ポテンシャルを合わせることで、現実のものとしたのだ。
狼たちは身じろぎすらできず地を舐める。
「捕縛のスキルと魔力により強化されたこの糸、たとえトロールであっても千切ることは不可能。そして――」
不意に言葉を切ると、レイダーは顔を横に向けた。
風下から迫る鋼色の影が一つ!
それは、牛ほどの大きさを誇る強大な狼――いや、狼がモンスター化した魔狼である。
この群れのアルファだ!




