第16話 魔王、闇営業に行く
日が昇ってから、いくばくも経っていない頃。
さすがのカヌレの街も、この時間は人通りが少ない。
SCS(精霊通信器)の水晶は沈黙し、朝を告げる教会の鐘の音がまだ耳に残る。
サバイバルカラーの旅人装束に身を包んだ男が1人、歩いていた。
足取りはしっかりしているが、どこか疲れたような表情を浮かべている。
スラム街の方からやって来た男は、人気のない大通りを抜ける。
やがて男の足が止まった。
そこは、このカヌレの街で最も騒々しい場所である冒険者ギルド――に併設された煮売り屋だ。
入口のドアには『CLOSE』の看板が掛けられている。
しかし、旅人装束の男は構わず扉を開けた。
暖簾をくぐるなり、男は顔をしかめた。
酒臭い。
ぐるりと店内を見渡す。
机や床を問わず、冒険者たちが死体めいて横たわっていた。
男は踏まないよう注意しながら進む。
ブーツが床を叩く音が響き、いくらもしないうちに止んだ。
とあるテーブルに前で、男は見下ろす。
少女がテーブルに突っ伏していた。
長い金髪の、小柄な少女だ。
男は眉根を寄せた。
規則的な寝息の音が聞こえる。
右手にフォーク。
左手にスプーン。
少し残った赤茄子ソースのパスタに、魔王が顔をうずめて眠っていた。
「姫様……行儀が悪いぞ」
レイダーは呆れ果て、しかしそのまま放置するわけにもいかずリリアの肩を揺らした。
「んあ……」
赤茄子ソースで鼻の頭が赤い。
リリアは眠気眼をこすりつつ、
「レイダーかや。おはよう」
「おはようございます。で、この惨状はいったいどういう状況かな?」
テーブルの上には空き皿や空き瓶の数々。
コップが床に落ち、琥珀色の中身を零している。
目が開けきらぬリリアは手探りで布巾を掴むと顔を拭く。
「Dランクから昇格した者がおってな。皆でここを貸し切って宴会していたんじゃ」
この魔王、すっかり冒険者ギルドに馴染んでいるのだ。
ちなみに昨日の稼ぎを全て突っ込んでしまったため、一文無しにほど近い。
なんと厳しい現実であることか。
レイダーはとうとう天を仰ぐ始末だ。
「……いい御身分だな」
「魔王じゃからな」
魔王には精一杯の皮肉など通用しないのだ。
「いやそうじゃなく。昨日、俺が姫様の住居探しにどれだけ奔走したかわかっているのか? 暗黒街の盗賊団と死闘を繰り広げるほど大変だったんだが」
「うむ。さすがは我が部下じゃ。ありがとう」
リリアは素直にお礼を言う。
200年前に世界を相手に戦った魔王その人の面影は微塵もない。
日銭を稼いで刹那を生きる冒険者となり果てていた。
それはレイダーの思惑とは正反対である。
「姫様、元の目的を忘れはいませんか?」
「冒険者ランクを上げて美味しい仕事を受ける」
「違う。魔族を探す」
「そういえばそうじゃったのう」
ツラい。
頭が痛くなってきた。
だが、この小娘が魔族の王であることは紛れもない事実。
そして、本気になれば街1つ容易く滅ぼすことができるほどの力を持っているのも事実。
腐りきった世界に緊張を与えるには、彼女を担ぎあげるしかないのだ。
「……とりあえず水場に行って顔を洗い、口をゆすいできてください」
「うむ。そうする」
リリアは欠伸をしながら煮売り屋から出て行く。
――ため息はつくまい。
レイダーは手近な椅子を引くと腰を下ろし、
「ん?」
立ち上がる。
そこには潰れた肉の欠片。
さすがのレイダーとて、うなだれるのであった。
◆◆◆
しばらくしてからリリアが戻ってきた。
赤茄子のソースや涎でガピガピになった跡など、きれいさっぱり消えていた。
「で、こんな朝早くに何の用じゃ?」
小さなバッグを背負うと、リリアは慣れた手つきでフードマントを羽織る。
村を追放された時とは大違いの、自信に満ちた顔つき。
いっちょ前の冒険者姿だ。
「ああ、仕事だ。ちょうどいいので姫様も来てほしい」
レイダーは手招きし、ドアを開ける。
まだ双子月が西の空にうっすらと見えている。
吹き入れる風が肌寒く、リリアは少し震えた。
人の行き交いはレイダーが1人歩いて来た時より活発になってきた。
工房や職場へ出勤する市民が、肩をすぼめて歩いている。
道の端では神官と思しき男がプラカードを掲げて何やら説いている。
プラカードには写実的な馬鈴薯の絵。
彼らは教会勢力の中でもワルドー派やカタリ派にならぶポテト派だ。
栄養的な面と耕作的な面より、馬鈴薯は主が地上に遣わした天使だと主張するアブナイ宗派だ。
目を合わさないようにしよう。
「仕事? まだギルドも開いておらんのにか?」
リリアは首を傾げた。
昨日のうちに受けた仕事なのだろうか?
「そうだ。なぜならギルドを通していない依頼だからな」
ギルドを通していない仕事。
冒険者として、これほど物騒極まりないワードもない。
ギルドが間に入っていないとなると、依頼料が支払われるという保証すらないのだ。
怪しい。
さすがのリリアとてレイダーの言動を訝しむ。
「闇営業かや?」
「言い方よ」
「すまんの。私的な依頼というやつじゃな?」
「そうだ。もちろん査定の足しにはならない」
つまり金目的ということか。
レイダーは、しかし首を横に振る。
「俺がどの程度の実力か。姫様にお披露目しようと思ってな」
2人は歩き、やがて衛兵の詰所と町の出口が見えてきた。
向かう先はどうやらカヌレの街の外らしい。
「お披露目か……自信があって結構。部下がトロールも倒せぬ三下では困るからの」
「おっと緊張感を覚えるな」
レイダーは苦笑する。
「で、ワシをどこへ連れて行くつもりじゃ?」
「この街に来る途中、牧場があったことを覚えているか?」
質問を質問で返す失礼に、リリアはムッとする。
それでも律義に記憶を掘り起こそうとはする。
牧場があったかどうか、記憶は霧がかかったように曖昧だ。
しかし、ミレットに奢らせたミルクの味は覚えている。
「あったの。ミルクが美味かった」
「それはよかった。お代わりをするくらいだしな。そして、その牧場が依頼先だ」
気付けば町の出口だ。
詰所から出てきた衛兵と二、三会話を交えた後、2人はさっさと街の外に出た。
石畳を蹴る音から土を踏む音へと変わり、緑の臭いがした。
「乳搾りかや?」
少し嫌そうにリリアは訊く。
家畜臭い中、一心不乱に乳を搾る自分の姿を想像したのかもしれない。
レイダーは、Dランク冒険者ならそっちの方が良かっただろうと前置きしてから、
「最近、牧場の周りをうろちょろする不届き者がいる」
リリアは気が付いた。
レイダーはいつものサバイバルカラーの旅人装束に加え、珍しく腰に剣をぶら下げている。
片手で扱うにはちょうどいいサイズの剣だ。
それはつまり使う予定があるということ。
「そいつらの排除だ」
「そいつら?」
レイダーが首に巻くボロ布の先が、チリチリと超自然的な光を発する。
「狼の群れだ」




