第10話 魔王、復帰する
バチバチと空気が焼ける音が鳴り止まぬ。
「もう一度言う。貴様らは踏んではならぬ尾を踏んだのじゃ。魔王の恐ろしさ、しかとその目に焼き付けて――」
リリアは不敵に笑った。
「死ぬがよい」
重力球が砲弾めいて発射された。
魔法陣を潜り抜けるたび、重力球は速度を増す!
ベアクロウは泡を食って逃げ出そうとするも、
「体が動かない⁉」
まるで体が何倍にも重くなったかのように、身動きが取れないのだ!
「ま、待て!」
「待たぬ」
重力球は宙に浮いたままの矢を微塵に粉砕。
そして、勢いを殺すこと無くそのまま着弾!
文字通りベアクロウを消し飛ばした。
◆◆◆
轟――と、重力球着弾の余波が村に吹き荒れた。
燃え盛る炎は全て消え、建物は崩壊した。
付近にいた盗賊たちは衝撃波を受けて消滅していた。
燻る煙の臭いが僅かに漂う。
更地になった村の中心で、リリアは1人佇んでいた。
彼女の側頭部に角はもうない。
マフラーめいたボロ布を口元まで上げたレイダーが、いつの間にか傍に立っている。
「姫様、いささかやりすぎでは?」
「やりすぎ? どこがじゃ?」
「村ごと吹き飛ばす必要は……」
レイダーは口を噤んだ。
村人たちの亡骸が一切の損壊無く、元の場所に寝かされていたからだ。
「お主が言う通り、人は愚かな生き物かもしれんな」
隠し切れない寂しさが覗えた。
「……姫様。だから初めからそう言っているだろう?」
「うむ。レイダーよ。ワシは少しだけじゃが気が変わった。村長や、あ奴らを見ていると、少しだけ気が変わった」
「お聞かせ願えますか?」
「ワシは別に人間が嫌いだから大戦を引き起こしたわけではない。ただ、ワシが魔族じゃったから魔族を率いたまでじゃ。この世は碌な輩がおらん。それは200年経っても変わらんようじゃの。変えることはできんのだろうな。となると、力ある者が失われた秩序を世界に再定義してやらねばならん」
リリアは地獄めいた笑みを見せた。三下ならば気を失うほどの。
「レイダー、おぬしの力を貸せ」
短いながらも力強い命令であった。
――上々だ。
首を垂れるレイダーは、その下で笑みを浮かべた。
混沌の神々に祝福された邪悪な笑みだった。
ペニエの村は良くやってくれた。
そして、ヘルタイガー盗賊団も良くやってくれた。
よくぞこの小娘から魔王を引き出してくれた。
「仰せの通りに」
リリアは満足そうに数度頷いた。
「カカッ! 魔王の復活じゃ。魔王軍を再建し、腐った者どもを葬り、200年前はできなんだ世界の再定義をしようではないか」
ニヤリと口端を吊り上げ、
「なぁに、この時代は勇者がおらぬ。此度は上手くやれるさ」
レイダーは再び頭を垂れると、言う。
「仰せの通りに」
俯く彼の表情は、とてもじゃないが忠臣のそれとは言い難いものであった。
◆◆◆
「それはそうと――」
リリアはゆっくりと振り返る。
レイダーもまた、つられて後ろを向いた。
そこに、置いてきたはずなのに、ミレットの姿があった。
へたり込み、目を泳がせている。顔色は青を通り越して真っ白だ。
「待っておれと言うたのに」
リリアはため息混じりに言う。
彼女は村人たちが心配になり、居ても立ってもいられなかったのだ。
そのせいで目を背けたくなる現実を見る羽目になったのだが。
「あああああの!」
恐怖のあまりミレットは呂律が回らない!
「なんじゃ?」
「ひっ!」
まるで会話にならない。
なまじ友人のエルフから話を聞いていたせいか。
昔話の、世界を相手に戦った魔王その人を前に、冷静になれと言うほうが無理な話だ。
リリアは自分の側頭部を名残惜しそうに撫でると、
「見られてしまったのなら仕方がない。改めて――ワシの名前はリリアーヌ。魔王リリアーヌじゃ。リリアと呼ぶがよい」
無論、呼べるわけがない。気が狂いそうになる。
ミレットは過呼吸気味になりながら何度か立ち上がろうと試みる。
しかし腰が抜けているせいで、その度に腰を落とす。
「さっき……お、王家の傍流だって……はっ!」
ミレットは自分で口に出し、初めて気付いたのかして息を呑む。
傍流ではないが、王家には違いない。ただし、人ではなく魔族だが。
レイダーは音もなくミレットに近づき、
「な? 初めからそう言っている」
――多少は黙っていたこともあるが。
項垂れるミレットの肩を叩いて慰めにもならないことを言う。
人はこれを追い打ちと言う。
「のうミレットよ。ワシの正体も知ってしまったようだし、これも何かの縁とは思わんか?」
ねっとりと絡みつくような口調だった。
ミレットの肩が跳ね上がった。
「そそそそれはどういうことでしょうか?」
目の端には溢れんばかりに涙が浮かんでいる。
歯をガチガチと鳴らし、震えは一向に収まる気配を見せない。
そろそろ精神が限界に近づいている。
「なに。ワシはこれから200年ぶりの人の世で生きるんじゃ」
リリアがにんまりと笑みを向けた。
「これからよろしく頼むぞ」
限界だった。
「はぅっ!」
極度の緊張により気絶するミレット。
可哀そうに、口から泡を吹いている。
リリアは納得がいかないといった様子で、口を尖らせる。
それから「むぅ」と小さく唸った。
「ところでレイダーよ」
リリアは訝し気に話を切り出した。
様子からしてミレットの処遇とは一切関係なさそうだ。
「魔王軍再組織にあたって訊かねばならんことがある」
「何なりと」
「おぬし以外の他の魔族はどこにおる?」
その時――不自然な沈黙が生まれた。
「…………」
レイダーは答えない。それどころか顔を背けた。
「おい。どういうことじゃ?なぜ目を反らす」
返事はない。聞こえていないわけではない。
となると――
リリアの目がすぅーっと細くなる。
「まさか……」
「姫様、それこそ冒険者をするのが良いでしょう」
レイダーはかぶせるように言う。彼の額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「おい」
「奇怪な噂あるところ、魔王軍残党の影あり。古より伝えられている故事です」
「おい」
「冒険者として各地を巡り、同胞を集めるのが最善かと。そしてこのミレットは冒険者ギルドの受付嬢。しかもカヌレの街。僥倖です。有益な情報をもたらしてくれるに違いない」
「おい」
「……」
「いや、もうよい。わかった。そなたの案に乗ろう」
リリアはため息混じりに言った。
「では魔王としておぬしに命じる」
「何なりと」
空に蠢いていた灰色の雲が流れ、隙間から光が差し込んだ。
その光はまるでスポットライトのようにリリアを照らす。
リリアは腕まくりをした。
「まずはこの者たちを。村人たちを埋葬する。力を貸せ」
「仰せの通りに」




