第1話 土地神、追放される
ここは新王国辺境にあるペニエの村。
どこにでもある小さな村だ。
村のはずれに、祭殿があることを除けば。
赤塗りの、こぢんまりとした祭殿だ。
村におわす土地神を祀った、村人にとって神聖不可侵な建物である。
村のしきたり? いや違う。
この祭殿には、実際に超自然的存在である土地神がいるのだ。
虫の声すら消えた夜々中。
ただならぬ剣呑な雰囲気に少女は目を覚ました。
彼女の名前はリリア。年の頃は17、18くらい。
痩せて小柄な美少女だ。身に着ける衣服は薄く、際どい。
彼女こそが、この辺境の村を治め、村人たちに祝福を与える土地神である。
「なんじゃ?」
金細工のような髪が顔に貼り付き、甘い吐息が漏れる。
外が騒々しい。
「収穫祭……にしては早すぎるのう。とゆーか夜中もいいところじゃ」
リリアは怪訝な顔をする。
土地神となって200年、初めて感じる不穏なオーラだ。
寝床から這うように進み、正面の引き戸を開けた。
「なんじゃ⁉」
リリアを出迎えたのは、なんと何十もの松明!
地獄の鬼火が如き炎の群々が、彼女を取り囲んでいるではないか。
「ま、待て! これはどうなっておる⁉」
リリアは瞠目した。これは現実かそれとも夢の続きか。
祭殿は、武装したならず者によって完全に包囲されているのだ!
リリアは立ち上がり、とっさに身構えるが、その行為に意味はない。
なぜなら彼女には実体がない。土地神として神のステータスを得た時に、物理的な肉体を失ってしまったからだ。
彼女は言わば幻影。祭りでもない限り、この祭殿から一歩でも踏み出せば土地神でなくなってしまう。
封印にも等しき恐ろしい制約が彼女を縛り付けているのだ。
「何が起こっておるのかや……?」
震える声でつぶやくリリア。
しかし、恐怖を越える現実が無慈悲にも彼女を襲う。
ならず者たちを見渡し、身を凍り付かせた。
彼らの中に見知った顔がいたからだ。
いや、少し違う。ならず者と思った輩たち全員が、なんと見知った顔なのだ。
手に手に鎌や鍬を持った、このペニエの村の村人たちである。
「おぬしら! いったいどういうつもりじゃ⁉」
リリアは血相を変えて叫ぶ。
混沌の眷属による洗脳魔法でも受けたのではないかと思ったからだ。
男が一人、前に出た。薄い頭髪に反比例するように生えた髭が印象に残る男だ。
リリアはこの男に見覚えがある。
最近の寄り合いで新たに決まった、ラングとかいう名の新人村長である。
「燃やします」
「エ⁉」
「お社様、祭殿を燃やさせていただきます」
「なぜじゃ⁉」
話の飛躍にリリアの頭は沸騰しそうになった。
この新人村長はいったいどういうつもりなのか、理解ができなかった。
燃やす?
土地神の祭殿を?
馬鹿な。
そんなことをすれば土地神の加護はなくなる。
村にとってメリットなど一切ないはずだ。
「我々は英断したのです。古い慣習を捨て、新たな道を進むことを」
リリアはたじろいだ。この村長からは混沌の力を感じない。自分たちの意思で燃やしに来ているのだ。
村長は松明の先をリリアに向ける。邪悪さの欠片もなく、極めて事務的な表情だ。
「祭事ごとや儀式やそういった非効率的で古い慣習を無くす。お社様の祭殿を廃し、そこに教会を立てるのだ」
「教会じゃと……愚か者どもめ!」
リリアが一喝する。
「この土地は元々痩せておるのじゃ! 祈りの言葉ごときで麦は育たぬぞ! ワシとワシの加護がないとすぐダメになるんじゃ!」
事実である。
ペニエの村の土は貧相だ。栄養も少なく、そのくせ水はけが良すぎる。近くのレーニア大休眠火山帯が原因だとリリアは考える。
それはさておき。
要するに、ペニエの村が麦畑や各種農作物を安定して育てられるのも、リリアの土地神としての加護ゆえだ。それがわからぬ村長ではないはず。
だが、村長は首を横に振る。
縦ではなく、横に振ったのだ!
「信仰に加えて、教会が提供する南の最新農法がある」
リリアは一瞬で見抜いた。
これは危険な誘いだ。
教会が古き神々を追い出し、その勢力を広げる欺瞞的やり口そのものである。
「愚か者め! ワシのおかげで肥沃な土地に――」
「うるせぇぇぇぇッ!」
突然の村長の剣幕に、ひっ!とリリアは息を呑んだ。思わず尻餅をついてしまう。
「何が肥沃な土地だ! たまに不作になるじゃねーか! 火ィつけるぞオラァ!」
威圧的な暴言がリリアに浴びせられる。
「そ、それは土地を休めるため……」
「困るんだよ! 俺たちは困るんだよ! そんなことされちゃ!」
「ひぃぃぃ……怖い!」
村長は今にも松明を投げ込みそうな雰囲気を醸し出す。
自分の意見を押し通すにはどうすればよいか?
声を荒げるのが一番なのだ!
「安定して大量に実らなきゃ意味ねーんだよ! わかるか? んんっ? お社様に、飯を食わねば生きていけない者の気持ちがわかるか⁉」
「ワ……ワシも200年前は生身の身体があったからわかるぞ……」
村長は祭殿の壁を蹴っ飛ばした。
「うるせぇぇぇ! 俺は今の話をしてるんだ!」
「ひぃぃぃ……」
リリアは半泣きで後退る。
人の悪意を受けるのは久方ぶりで、耐性ができていないのだ。
「困るからこそ教会と新しい農法! 土壌改良技術! 収穫が増え、安定し、金になる。村が富む! 祭殿をキャンプファイヤーすることでな!」
村長の後ろで若い村人たちが頷く。号令さえあればすぐさま松明を投げ込みかねない。
「しかし、お社様に助けていただいたのも事実」
一転、村長が落ち着いた声音で話し始めた。
「だから我々はお社様ごと火柱にするつもりはありません。火をかける前に、どうぞ祭殿からお出になってください」
グレートヘルムをこん棒で殴ったような衝撃が襲った。
リリアは土地を治める土地神なのに、追放を宣言されたのであった。