目覚めた先、見知らぬ世界
闇の中に沈んだ意識。それが急に何かの衝撃で揺り起こされた。
ただしそれは決して気分の良い目覚めではなく、言うなればまるで悪夢から飛び起きるような不快感をともなうものだった。
とはいえ、意識を取り戻したというその厳然たる事実は、英弥にまだ自分が生きているのだという少なからぬ安心感をも同時に与えたのもまた事実である。
そう、であるはずなのだったのだが。
彼はどうやら横になってるらしき自分の体の上半身を気だるく起き上げると、それとともに、開いた両の目へ一瞬のうち、飛び込んできた新しい情報に急速な困惑を余儀なくされた。
目は覚めている。そう、意識が戻った以上、目は覚めている。それに間違いは無いはず。
なのに、英弥は大いに困惑せずにはいられなかった。
何故なら自分が自分の体ではなくなっていたからである。
いや、これだけでは説明不足だろう。
正確には、成人だったはずの自分の体がひどく若返っていたのだ。
手足は感覚も含めて実体も短く縮み、体も小さい。そして悲しいほど痩せこけていた。
服装も変わっている。
何故か胸元が大きく焼け焦げた粗末な上着に、これまた粗末なズボンと、破れた布製の靴。
加えて何より不思議だったのは、
「……気がつきましたか?」
そう言って、英弥の視界に顔を覗き込ませてくる少女の姿。
質の良さそうなローブに全身に包んでいるが、その程度では隠しきれない大きな乳房と、そこからちょこんと飛び出している首から上は灰色の髪が肩ほどへ伸び、まだあどけなさの残る、非常に可愛らしい顔のパーツの中心にある双眸は深い緑色。
明らかに日本人のものではない顔かたち。
それにまだ不思議なことがある。
彼女の言葉は明らかに日本語とは異なる、何か見知らぬ異国の言語であったのにも関わらず、英弥はその言葉の意味が何故か瞬時に理解できたのである。
「その様子だと、ひとまず大丈夫のようですね。とりあえず目は覚ましたようですし」
言いながら、改めて横になっている英弥の横に屈んでいた姿勢からゆっくり立ち上がる少女の言葉を、これまたどういった原理かも分からないが理解できる。
と、少し離れた場所から。
「まったく、レティシアさまはお優しすぎますよ。たかが行き倒れのガキ一匹、放っておけばよいものを、わざわざ助けてやるなんて」
条件反射のように声の方向へ英弥が目をやると、これもまた自分の傍らに立った少女とは違う少女が、明らかにトゲを含む声を投げかけてきていた。
女性として極めて魅力的に整った顔立ちに、明るい緋色でクセ毛のショートヘア。
濃い茶色の皮鎧を動きの邪魔にならない範囲で部分的に着込み、腕組みした状態で付近の樹へ寄りかかっているが、その組まれた腕で強調された大きな胸の谷間が、たまらなく男としての劣情を掻き立てる。
さらに腰の左右にはベルトで止められたホルスターの中に、大きなリボルバー拳銃が一丁ずつ。
そんな彼女は先に投げかけた言葉と同じく、非常に厳しい顔をしてやはりトゲのある視線を青い目から飛ばしてくる。
状況がまるきり飲み込めず、眉をひそめて、もしやまだ自分は夢でも見ているのか? と膨らむ疑問に、自分の頭をコツコツと拳で叩く英弥だったが、そんな彼の心情など無視し、レティシアと呼ばれたローブ姿の少女はもう一人の少女へ振り返って言う。
「そんなことを言うものではありませんよコラン。彼は間違いなく『奴隷狩り』の被害者です。それを見捨てるだなんてとんでもない」
そのような少女らのやり取りを見つつ、頭の中ではまるで別のこと……自分の今、置かれている状況を必死に考えていた英弥はふと、ひとつの仮説を導き出そうとしていた。
自分はどうやら海に落ちた際、そのまま溺れて死んでしまったのではなかろうか。
そして、何故かという原理まではよく分からないが、どこか自分のいた世界とは異なる世界の、見知らぬ少年の体に、自分の魂だけが入ってしまったのではないか、と。
そうした仮説を立ててみると、この現状もなんとなくしっくりくる。
もちろん、そうなるとこの体に元居た少年自身の魂はどうなってしまったのか、などの疑問も浮かんでくるが、何故か今現在の時点ではこの考えが最も正しいような気がするのであった。
などと、英弥が思考を巡らし、一定の納得を果たしていたその途端。
「おい小僧、傷が治って意識が戻ったんなら、さっさとレティシアさまに礼のひとつも言え。この方が奇特にもお前の火傷を治療してくださっていなかったら、お前は今ごろ、間違い無くあの世へ行ってたはずなんだからな」
コランと呼ばれた少女に叱責され、はっと頭の中が切り替わった英弥は、へどもどしながらも一応、なんとか口を開いた。
「あ……ありがとうございま……す?」
自分で言いながら、やはり違和感を覚える。
今、発した言葉は自分の知る言葉ではない。
なのに自然と知らない異国の言葉が口から流れ出てくる。
その違和感に慣れる間も無く、ローブ姿の少女……レティシアは再度、自分に向かって屈みこみ、いきなり彼の頭を優しく撫でると、こちらの目を深い緑色の瞳で覗き込みながら、油断すると自動的に恋へ落ちてしまいそうな魅惑的な微笑みを浮かべて、言った。
「気にしなくても大丈夫ですよ。私は私がやるべきだと思ったことをやっただけのことですから。それにしても……お気の毒に。その様子から察すると、『奴隷狩り』にでも遭ったのでしょう。まことに嘆かわしい……」
「……奴隷狩り?」
「ええ。私のような魔導士たちが、自らの下僕を集めるために行われる奴隷狩り……あなたのように魔法を使えない人間はみな、その対象になる……なんとも恐ろしい蛮行です」
言われてまた英弥は少しばかり混乱した、が。
「『無魔力者』ってことだよ。お前みたいなガキと一緒にされたかないが、私もマナレスだ。この世界ではマナレスには基本的に人権なんて無い。いつ殺されようが、下僕にされようが、文句も言えない。言っておくがレティシアさまのように私らマナレスを擁護したり助けてくださる魔導士なんて、この国じゃあ希少種も希少種なんだからな?」
この段になってレティシアとコラン、二人の言葉を合わせ考えるに、ようやく英弥は自分の置かれた状況を理解し始められた。
つまり、自分は死んで異世界の見知らぬ少年の体に乗り移り、しかもその少年もまた現世の自分と同じく魔法なんて使えない平凡な存在だった。といったことなのだろう。
そう思い、英弥はようやく体を起こす気になってその場へすっと立ち上がる。
と、分かりやすく心配そうな顔をしたレティシアはというと。
「ちょっ、大丈夫ですか? まだ治療を終えたばかり……」
「平気ですよ。まあ……まだ慣れてない体のせいか、調子は五割くらいってえ感じなのは確かですけど」
「……慣れない体?」
「いいんです、気にしないでください。さて……そうなると、このあとはどうしたもんか……」
言って、自分の身を案じてくれる声をかけてくれたものだが、立ち上がって体全体のバランスを確認しつつ、それへ答えながら英弥はこの先、何をどうしたらいいものだろうかを考えていた。
すると。
「あ、そういえばまだお名前を聞いてませんでしたね。私はレティシア・レリア・レア。あそこでむくれているのはコラン・ピアットといって私の従者です。で、あなたのお名前はなんと?」
腕をグリグリと回して体の具合を確かめる英弥に向かい、レティシアが問う。
「あー……ウジョウ……ウジョウ・エイヤです」
そこに横からコランが眉根をしかめて口を挟む。
「ウジョウ……? またヘンテコな名前だな」
「いや、ウジョウってのは姓であって……ともかく、名前はエイヤです」
「エイヤですか、良い名前ですね。では、あなたの今後のことなんですが……」
そうレティシアが会話に入ってきたのと同時、樹々に包まれた周囲から数名の人の気配が、三人を取り囲んでいた