タイニー・ヤード
ひとえに工業島といっても生産する物品によって様々なタイプがある。
鉄鋼や石油産業などは炉や煙突が剥き出しのスチームパンクな外観をしているし、家電やコンピューターを作る工場や、牧畜や野菜・果樹栽培をする島は外気を遮断するために巨大な箱型をしている。いずれも資材・製品の搬入出のため駐機場や倉庫区画を広く設けているが、飛行機工場やスクラップヤードの飛行場はその中でも特に広大な面積を誇る。住居島の最下層と同等の規模の甲板にほとんど構造物もなく平面が広がっているのだ。
タールベルグもそのスクラップヤードの1つで、飛行機やその他機械、甲板再建や街区の再開発で出た廃材を周辺一帯の島々から一手に引き受けていた。
中層の中心部には工場と煙突群が立ち並び、まるでウエディングケーキのように塔を取り囲んでいる。見かけは均整だが、中身は扱う原料によって全然違っていた。金属はインゴットやロールに、プラスチックやガラスはカレットにして再び産業の流れに戻すのがタールベルグの役割だ。
この工場群がタールベルグでほぼ唯一の職場であり、労働人口は約200人。それが部門ごとに分かれてプラントや重機のオペレーター、あるいは整備士・工事士として働いていた。
カイもまたその一員であり、基本的には混合材のヤードでショベルカーやローダーのオペレーターをやっていた。建設廃材をコンテナから下ろしたり、斫りハンマーのアタッチメントでコンクリートの塊を砕いて鉄筋の抜き出したりするのだ。
その姿は彼が飛行機に向き合っている時のいささかロマンチストな印象に比べれば信じられないくらい現実的だった。そしてそれはタールベルグの人々にとって当たり前の姿だった。
この10日あまりカイの生活をそばで見てきたことでやっとタールベルグの日常がわかってきた、とクローディアは感じていた。
エレベーターが中層に到着するとカイはまっすぐ工場の間に入って鉄骨の階段を上り、「管理室」とプレートのついたドアを開けて建物の中に入った。コンクリート製の5階建てのビルで、外観も内装も簡素で飾り気がなかった。中は事務所のようだけど誰もいない。みんな現場に出てしまったようだ。
「どこかにいると思うけど、仕事中に見つけ出して呼んでも話を聞いてもらえないかもしれないからさ、よほどのことでもない限り待ってた方がいいんだ。そのうち戻ってくるよ」
カイはそう言って戸棚からコップを2つ下ろし、コーヒーの粉を入れて給湯器でお湯を入れた。クローディアが渡されたコップは来客用のものらしい。カイのコップはデザインも違うし、縁が渋で汚れていた。彼の専用品なのだろう。
カイは窓枠に寄りかかって外を見た。広いヤードの様子がよく見えた。黄色やオレンジのローダーが山積みの瓦礫をバケットで掬い上げて工場の下のホッパーまで運んでいた。そこへトレーラーがやってきて飛行機から下ろしたコンテナを開いて中身の瓦礫をぶちまけていた。
ヤードの向こうには飛行場の格納庫があって、その横にエトルキア軍のアネモスが何機かとまっていた。ベイロンの一件以来エトルキア軍はタールベルグにも小部隊を派遣して駐屯させていた。
「仕事に行かなくていいの?」クローディアも窓枠に寄りかかって訊いた。サッシの下が20cmくらい手前に張り出していて、いい腰掛けになった。
「これも仕事さ。この島で働き手って言ったら工場の人間くらいだから、塔を守るのもみんなの務めなんだ」
「それはわからないでもないけど……」
「それに、お給金は働いた分だけだ。少なくていいなら短くていい」
「少なくていいの?」
「……う、うーん、どうかな。でもこの半年くらいナイブスを組み立てるために頑張ってたからね。オフ・シーズンってところ。使ったのはジャンクだけどさ、それでも工場に入れれば金になるものだから、欲しかったらきちんとお金を出さないといけないんだ」
外の作業の音も、吹きつける風も、窓が程よく遮断していた。事務所の中で聞こえるのは自動運転のヒーターが時折カチカチと立てる音だけだった。空間が密閉されている。その感触が眠気を誘った。
「来た。あれがボスだよ」カイが言った。
クローディアはドアが開く音で覚醒した。
ボスは四十絡みの男で、髪は黒く、長いというほどでもないかウェーブしていて、目は細く、鼻梁がカミソリのように薄かった。どちらかといえば地黒で、黒い作業着のジャンパーがよく似合っていた。
「カイか。何サボってる」ボスは言った。タバコかアルコールをよくやりそうな声だった。
「アルルのところの上水が出なくなりそうなんだ。見てもらえないかと思って」とカイ。
「今日は忙しいぞ。夕方でもいいか?」
「うん。べつに急ぎじゃない」
「べつに、か……。うん、水が出なくなるってのは、なかなか危急の問題だな」ボスは思い直したように少し顔を上向けた。「1軒だけの問題とも限らない。今は人がいないが、なんとか今日中に見よう」
「塔の中まで見てみたけど、同じ階の問題じゃなさそうだった」
「上から漏ってたか?」
「いや、乾燥してた」
「じゃあセパレーターか。わかった。覚えておく」
ボスはそう言って流しで手を洗い始めた。石鹸を泡立ててかなり念入りに洗う。
「忙しいっていうのは?」カイが訊いた。
「今週は強風だろ。ヤードの原料が飛ぶかもしれない。軽いものは全部床下の格納庫に突っ込む。受け入れも今日の午前中までにして、あとは移動だ」
「あっ」
「今度は何だ?」
「俺の飛行機も入れてもらおうと思ったんだ」
「ハンドメイドの?」
「そう」
「それは構わないが」
「でも今飛べないからクレーン借りられないかなと思って」
ボスは溜息をついた。
「いいけどな、昼休みの間に済ませてくれよ」
「はい、ありがとうございます」
「わかったらさっさと仕事しろ仕事」
カイは「じゃあ」と挨拶してそそくさと管理室から出ていった。
「で」とボスはクローディアに目を向けた。
「クローディアです」
「天使という生き物が実在しているという話は本当だったか」
「黒い羽根の、じゃなくて?」
「いや、天使そのものを見たことがないんだ」
「いまさら?」
「俺は君を見るのは初めてだ」
部屋には机をいくつかくっつけた島が2つあって、それとは別に1台だけ単独で置かれているデスクがあった。ボスはその前に回り込んで立ったままマウスをかりかりと動かした。メールの確認だろうか。
「この島は何しろ田舎だし、俺も外へ出たことがないからな」
「この2週間、商店街をうろうろしたりしてたけど」
ボスは首を振った。
「外って他の島ってことよね?」
「ああ。まあな」
まあな、というのはつまり「俺は日中ほとんど工場の中にいるから島の中の出来事にも大して詳しくはない」という意味なのだろう。そんなニュアンスだった。
エトルキアにも天使がいないわけじゃない。でもきっととてもコソコソと生活しているのだ。だから人目には触れない。旧文明の人々にとってそうであったように、エトルキアの人々にとっても天使は物語の中の存在なのかもしれない。みっちりエトルキア式の教育を受けることもないこの島の人々は天使に対する偏見さえまだ持ち合わせていなかった。
ボスはメールのチェックを終えてカイと同じように自分のコーヒーを淹れ、窓の下の出っ張りに片尻を乗せた。カイとは比較にならないくらい強い油の匂いがした。口で息をしようかな、と考えるくらいの匂いだった。
ボスは窓の外に目を向けていた。ヤードではなく駐屯部隊の方を見ているようだ。
「あなたがこの工場で一番偉い人なの?」
「ああ、どうもそうらしい。外から来るメールはだいたい俺宛てだ。空軍の連中も俺のところに話を通しに来た」
「この島には行政機関がない」
「ああ」
「実質この島で一番偉いのがあなたってことでしょう?」
「ああ」
「工場は企業の傘下なの?」
「いや、タールベルグはタールベルグだ。よその島から依頼を受けて、廃材を受け入れて、素材にして売る。それだけだ」
「それならあなたが市長みたいなものってことね」
「そんな大層なものじゃないさ。行政的な権限は何一つない。統制もなければ、支援もない。そういう島だ。田舎だからな」ボスはそこで一口コーヒーを飲んだ。「だが、連中だ」
「空軍のこと?」
「ああ。長居しなければいいんだが」
「長居してほしくない?」
「事務所を置くなんてことになってみろ。兵隊やら出稼ぎの募集をされたらいい加減この工場も立ち行かなくなる。工場が止まれば塔の自給機能に依存するしかなくなる。それを維持したり修理したりするための金も入ってこない」
「統治から漏れていることがこの島を守っていると思うのね」
「扶助がないなら統治もなくて然るべきだと思っているだけさ」
ボスは戸棚に戻ってアラレの小袋を開けた。いくつか口に入れたあと、気づいたように差し出して「食うか?」と訊いた。
クローディアは首を振った。食べ物を口に入れたい気分ではなかった。代わりにコーヒーを飲み切った。流しの横に水切りカゴが置いてある。コップは適当に濯いで干しておけばいいだろう。
「ええと、このあと暇なのか?」ボスが訊いた。名前を言おうとして出てこなかったような感じだった。さっきの自己紹介はロクに聞いてもらえなかったみたいだ。
「クローディア」
「クローディア」
「ラウラの家に行くの」
「ラウラ……ああ、アルルの姉妹の気象士か」
「どこへ行ったか聞いてない?」
「いいや。家にいないのか?」
「うん。どこか他の島に行っちゃったみたい。カイがかなり気にしてるの」
「知らないな」
……そうか、知らなかったのか、とクローディアは思った。本当にボスと呼ばれるにふさわしい男なんだろうか?
「そのあと工場の食堂でお昼ご飯を食べようと思うんだけど、いい?」
「ああ。好きにするといい。別に俺の許可制じゃないんだ。食堂の人たちがいいと言えば構わない」
「モルに誘われてるから」
「ああ。なら大丈夫だ」
クローディアは事務所を出て階段の手摺をひょいと乗り越え、翼を開いて甲板に着地した。
ボスが上で心配そうに見下ろしていたが、振り返って手を振ると肩の力を抜いてほっとしていた。




