インセパラブル・リレーション
ホテルの地下駐車場までつけてもらってタクシーを降り、エレベーターでロビーに上がった。できることならそのまま部屋まで上がりたかったが、部屋の番号を知らなかった。
マグダはエレベーターホールをよく見ていて、2人に気づくとソファから立ち上がって居場所を示した。背の高いメイド姿の彼女はよく目立った。彼女は人目を引かない程度に速足で歩いてきてケージに乗った。
「14階のスイートです」マグダはそう言ってからなぜか「フフッ」と笑った。「……そんなことより、ギグリ様、サフォンから電報が来ましたよ」
「なぜ私に言うのよ」
「お二人の連名ですけど、ギグリ様が前なので」マグダは電報用紙をギグリに渡した。「アルピナ市長が話をしたがっているから電話を、という用件ですね」
「市長……ふうん、なるほど。でも、そう、直接ここへ届いたわけじゃないわね」
「そうです。ブンドの天使がここに直接持ってきたんです。さすがにアルピナからじゃ私たちがどのホテルに泊まるかわからないですから。……いや、そうでもないか。なぜか他所からも何通も届いてるんですけど、それはフロントで預かってもらってます」
「ブンド?」
「ルフト天使同盟、と彼女は言ってましたね。リベラルなサンバレノの文化を守って生活している天使の集まりだそうで」
「ええ、それは知ってるわよ。圧力団体でしょう」
「そう……ですよね。ギグリ様も天使ですからね。すみません」マグダは苦笑いした。
「彼女たちがブンドと絡んでいたのがちょっと意外だったの。でも、まあ、そうね。たとえこの国でもコミュニティからの支援がある方が生きやすいに決まっているものね」
「その天使が言うには、ブンドでも新聞を出してるんで、取材の一環で私たちの居場所は調べていて、それでアルピナから伝言を頼まれた時にすぐ動けたと。下手なメディアより恐いですよ」
「マイノリティの同族の情報網ってそんなものよ。驚くことじゃないわ」
14階のスイートはなかなか豪華な部屋だった。リビングのど真ん中にベッドくらい大きなロココ調のソファが置いてあって、3人で脚を伸ばして座ってもケンカしないくらいの代物だった。
ギグリのあとでエヴァレットも電報を読んだが、電報としては異様に長いものだった。住所はどうやらブンド宛で、一行目にブンドに向けた伝言があり、次の行からが2人へのメッセージだった。
「市長がギグリ様に話をしたがっているのですけど、昨日のニュースで2人がアルピナに来ていたことを思い出して、いったいどこに訪問していたのか、と島中に連絡を取って私たちを探し当てたのです。私たちにも2人が今どこにいるのかはわかりません。でも私たちの名前ならきっと見ていただけると信じて託しました。市長がしたいのはきっとギグリ様の新しいエアレースにとっていいお話だと思います。もしよかったら20時に"アルピナ22012"にコレクトでかけてください。市長の家で私たちも一緒に待っています。――サフォン&トルキス」
きっと交換局まで直接メモを持ち込んだかメールで頼んだのだろう。それくらい確かな文章だった。
「マグダ」エヴァレットは呼んだ。「ホテルに届いたという他の電報、内容は確認したか?」
「小口の出資が半分、会場の誘致が半分ってところですね。匿名とか、ネガティブなやつはそれ以前にホテルが弾いてくれてると思いますけど」マグダは答えた。
「アルピナの市長の話というのも」
「誘致でしょう。渡りに船じゃありませんか。ギグリ様アルピナ気に入ってたし」
「アルピナではやりたくないわね」
「「え?」」エヴァレットとマグダは声を合わせた。
「あの島には1000人以上の観客を集められるだけのインフラがないわ。観光地化すればあの環境も失われてしまう。あの島は今のあの人口で微妙な均衡を保っているのよ。だいたい、毎日四六時中飛行機のエンジンがバリバリ響いているべき島でもないでしょう」
「それもそう……」
ギグリはサフォンからの電報に対してさほど意外さも喜びも感じていないようだった。アルピナは好きだがエアレースをやるべきではない。申し出をどう扱うか判断が難しいのだろう。
3人それぞれが考え、言葉のない静寂が訪れた。巨大なソファの上で脚を伸ばしているととても気持ちがよかった。連日の操縦で疲れが出たのか、エヴァレットはいつの間にか眠りに落ちていた。仮眠というにはいささか長い時間眠っている自覚があった。時の流れが感じられる浅い眠りだった。
だがひとつだけ短い夢を見た。ストーリーのないワンシーンだけの夢だった。それは記憶だった。8年前の記憶だ。
サフォンが走ってきて抱きつく。後ろを見ると黒服の男たちが追ってきている。サフォンは顔を上げて何かを言う。でも声は聞こえない。音のない夢なのだ。もう一度口が動く。唇の形を読む。「に・げ・て」そう、「逃げて」だ。エヴァレットはサフォンの手を引いて逃げようとする。でも動く前に意識が体から離れ、夢はそこで終わる。本当に短い夢だった。まるで瞼の裏に映った光景のようだった。
そして気づいた。夢の中のサフォンは幼女ではなかった。近々会ったばかりの12歳の姿だった。
それがどこか引っかかった。なぜ「逃げて」なのだろう。
目を覚ますと部屋の中はかなり暗くなっていた。窓から入る光が少なくなっていたのだ。たぶんソファに座った時になんとなく手に取ったのだろうけど、体の上にはサフォンのクッションがあって、きっとそれが夢の原因だった。ただそれ以上に何か予感めいたものを感じた。
「あ、起きましたね」マグダが言った。「そろそろディナーにしませんか?」
時計を見ると18時を回っていた。電話のことを考えるとあまりゆっくりしていられない。
しかしいくらホテルとはいえ私空間に他人を入れるのは不安だったので、ルームサービスではなく最上階のレストランに個室を取った。眺めがないのは残念だが奥まった個室の方が安心感がある。マグダもグレーのドレスに着替えて同席、各々シンプルなディナーセットを頼んだ。
スープは3分ほどで届いたが、注文の時と別のボーイだった。彼はややもたついた手つきで3人の前にスープを置いたあと、個室を出る前に扉を閉めた。
エヴァレットは警戒して椅子を引いた。
恰好こそ他のボーイと同じベストだったが、顎くらいの高さまで伸びた長い黒髪を全くまとめていないのは業務上不適に見えた。要はなんとなく怪しかったのだ。
彼はエヴァレットを手で制した。
「まあまあ。ベイロンの白百合は俺に話があるそうじゃないか」
ギグリは目を細めて彼を睨んだ。この状況でそんなセリフを言う人間は1人しかいない。ノイエ・ソレスで話をする約束をしていたのはあと1人――。
「ゼーバッハ?」ギグリは言った。
「その通り。一応スタッフの名誉のために言っておくが、いくら俺でもお客の迷惑だからと止めてくれたよ。俺も気持ちが逸って会いに来たものだから無理を通させてもらったが。いや、そっちはいいんだ。しかしエヴァレット・クリュスト、あんたは俺に見覚えがあるんじゃないか」
彼は袖を捲った。前腕の外側に10㎝ほどのケロイドが走っていた。その傷、8年前のベイロンでサフォンを追っていた黒服3人衆のうちの1人に間違いなかった。ベイロンの労働局が連邦警察に引き渡したあと服役刑になったはずだが、何かのコネを使って長居はしなかったのだろう。
「痛かったぜ、ああ。指が動くようになるまでたっぷり1年くらいはかかりやがったからね。今だって握力は左の半分くらいなんだ」
「なぜおまえがここにいる」エヴァレットは厳しい口調で言った。
「なぜって、俺はあの後改心してまっとうな商売でここまで登り詰めたんじゃないか。それなのにベイロンは裏で妙な薬を使って人体実験していたわけだ。あのニュースを聞いた時、俺はとても屈辱的な気分になったよ」
「プガッティ……」ギグリが呟いた。
「いや――」
「そう、あいつは関係ない。白だ。だって、あんたと俺の因縁なんかあいつが知るわけないだろう。あの事件じゃ俺の顔は出なかったし、名前だって変えたからね。そこの繋がりを覚えているのはあんたらと警察くらいだ」
ゼーバッハはズボンのポケットに指を差し込んで背中で扉に寄りかかった。
「いくら欲しい? プガッティも額までは教えてくれなかった」彼は続けた。
「不経済の利害が絡む相手と金のやり取りをするつもりはないわ。食事の邪魔よ。早く失せなさい」ギグリはかなり険悪な表情をしていた。
「まあ、そう言うな。ソレスの界隈から干されたら一体どこで金集めをするんだ」
「そんなもの、いくらでも考えようがあるわよ」
「余裕のない反応だ」
とにかく、8年前のあの男とプガッティの紹介したゼーバッハという男が同一人物だとすればとても厄介な事態だ。8年前の男は自分に恨みを抱いていて、とても出資どころの話ではない。カネのアテがひとつ潰れたことになる。しかもそいつは自分に恨みを抱いていて、我々の動きを邪魔しようとしている。さらに悪いことにそいつはノイエ・ソレスの裏社会で権力を握っていて、下手に対立すれば他の出資者も集められなくなるおそれがある。
エヴァレットは状況を整理した。そして自分が苛立っているのを自覚した。ギグリが苛立っているのも明白だった。ただでさえ難しい問題を抱えていて、それがどうにかこうにかいい方向に滑り出そうとしている時にこれだ。本当にロクでもないタイミングだった。
エヴァレットは手を上げてギグリを制した。「話だけでも聞かせてもらう。ゼーバッハ、おまえは出資の見返りだけが目当てなのか?」
「いい着眼点だ」
「それで?」
「もちろん違う。400万でも500万でも集めてやろう。だが条件がある」
エヴァレットは黙ってゼーバッハの次の言葉を待った。
「エヴァレット・クリュスト、あんたファイトクラブに出てくれよ。剣も魔術もなし、体一つでな。俺はあんたがボコボコにされる姿をぜひとも見てみたいんだよ」
エヴァレットは少し笑った。「おまえは僕の無様を500万で買うのか?」
「俺は最近どうも自分がここまでやってきたのはあんたに借りた屈辱を返すためだったんじゃないかと思えて仕方がないんだ」
「馬鹿馬鹿しい」
「いいじゃないか。人間の動機なんて根本は往々にして馬鹿馬鹿しい代物なのさ」
「確認だ。おまえは僕のファイトを500万で買うんだな? ボコボコになるとも、無様とも約束はできない」エヴァレットは言った。
「いや、必ずボコボコにする。八百長をやられても面白くない。渾身足掻いて、そして絶望的にやられてみせろ」
「その金が大会に使われても見返りは求めない。そういうわけだな?」
「ああ。その代わり今回限りだ」
「いいだろう」
「取り合う必要はないわ」ギグリが言った。珍しく心配してくれているようだ。
「いや、だめだ。ここで退かせてもこいつは僕たちを見逃しはしない。けじめをつけなければ。――いや、つけさせていただきたい。これは僕が呼び込んだ問題だ」
「あのね、今夜はだめよ。先約があるんだから」
「いや、今夜だ。もうセッティングしてあるんでね。必ず連れていく。そいつは決定事項だ」ゼーバッハが答えた。
「マグダ、悪いけど私も同行するわ。放っておけない」
ギグリが言うとマグダはしっかりと頷いた。ゼーバッハに聞かせたくないので詳細は言わなかったのだろうが、マグダはサフォンとの電話のことだとしっかり理解していた。




