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ユニフォーム・ガーデン

 トルキスが朝食にも誘ってくれたのでご馳走になって、午前中はサフォンの案内で学校の中を歩いた。

 サフォンは学校の制服を着てゲストハウスに迎えに来た。青いブレザーとプリーツスカートのツーピースに黒タイツ、ローファー。

 ブレザーの背中には翼のためのスリットが入っているのだが、人間用の制服もデザインは共通で、そちらは防寒のために蛇腹でスリットの内側が閉じてあるということだった。要はサフォンの制服は母の手直し品ではなくもともと天使用に造られたものなのだ。


 強制ではないもののルフトは高校程度までの教育機関に対して制服の採用を推奨していた。軍政ばかりを優先して公共機関や国民教育の充実を図らなかったエトルキア時代の反省を映した政策の一端で、就学年齢で学校に通っていない子供の割合は5%以下と言われる。

 各地の塔本体には旧文明のアーカイブデータが保存されており、学校教育用のカリキュラムに沿って映像を再生していくことで誰もが基礎的な読み書きや算数を学び、理科や社会の知識を知ることができた。塔の規格やデザインは地域によって多少異なるのだが、教育用データに関してはかなり統一されていた。エトルキアはそれを頼みの綱にしているのか、ろくに初等教育機関の整備を進めてこなかった。エトルキア文化省の調査によるとここ数年でも10歳以下の人口把握率が50%を割っているという。政府も問題を把握しているのものの、広大な国土に対して統治体制が貧弱すぎて対策できないのだ。国内パスポートの取得時や軍に入隊する時のID作成時に戸籍を登録するなんてことも珍しくないようで、「俺は0歳で兵士になった」なんてジョークも耳にしたことがあった。

 むろんそんな状態で国全体のイデオロギーなど生じうるのか、という疑問はあって然るべきで、エヴァレットがエトルキアの教育制度について話すとサフォンもその点に気づいた。


「エトルキアの人たちは学校で天使差別を教えられるわけではないのですか?

「音頭をとっているのは空軍と魔術院なんだよ。徴兵された人々は軍隊で、魔術を学ぶ人たちは魔術院で1から勉強するんだ。その中でエトルキアが重視しているのが歴史の授業なんだよ。そうして学んだ人々が配属で各地を巡り、やがて故郷に帰り、島の若者たちに語り聞かせる。そしてまた軍隊に送り出す。そうしてコミュニティの中で受け継がれていくんだ。軸のない歪んだ情報が世代を経るごとにどんどん傾いていくことになる。実態なんて何も知らないまま偏見を持つようになる。もちろんすべてのエトルキア人がそうだというんじゃない。信じやすい人間は偏見の塊になるだろうし、公平な人はそういったイデオロギーから距離を置くだろう。もちろん僻地には軍隊とも魔術院とも全然交流を持たない島だってある。そういった島にはわりに染まっていない(・・・・・・・)人々が暮らしているだろうね」


 ある意味ルフトはそういった「無垢な」島々の集まりだった。住民に対して何らサービスを提供しない国家が一方的に兵役や資源の提供を求めたところで反発は必至だろう。かつてエトルキアは全世界に約7万基と言われる塔のうち約4万基の支配を自称していた。ルフト連邦を名乗る島々の集まりがその東部に拠点を移し20年前に独立を宣言、1万基弱の塔を支配下に収めるに至った。この1万という数字は明確にエトルキアの支配から脱却した島々の合計であり、エトルキアの言う4万とは確度が違う。エトルキアとは違いルフトには明確な領域、「領土」が存在している。

 その領域を守ることもルフト政府の使命というか宿命だった。守るといっても必ずしも物理的に武装することだけが手段ではない。内的な意識も無視できない要素だ。

 統一教育を受けさせて国民としての自意識・団結を醸成しようというのがルフト政府の理念で、要は国民形成を意図的にやろうとしたわけだが、当然その「国民」の中には人間と天使が等しく含まれていなければならなかった。

 制服というのはその象徴のようなものだ。生まれや貧富の差、種の違いすら乗り越えていこうという意志がそこには込められていた。

 

 構内には校舎が3棟あり、他に独立した体育館や図書館があった。宿舎は2棟に分かれていた。グラウンドも球技用やトラック用が別々になっていて、休日の子供たちが思い思いに使って遊んでいた。サフォン曰く実習用の畑などもあり、敷地はかなり広い。もちろんその分エトルキア時代に育ってきた林を切り開いているわけだが、「むしろその方が豊かかもしれないわね」というのがギグリの意見だった。

「完全な自然でもなく、完全な都市でもなく、人間が自給のために切り開いた田畑を頼りに生きる生き物が地上にはたくさんいたのよ」

「この景色はそれに近いですか」

「そう。成り立ちはいびつだけれど」

 アルピナに来てからエヴァレットは度々感じていたのだが、ギグリがこんなふうに何かに感心して目をキラキラさせている姿はベイロンでは滅多に見たことがなかった。そう、アルピナのギグリはキラキラしているのだ。心なしか当たり(・・・)も柔らかく感じられた。ギグリに敬語を使われるのはムズムズするが、だからといって見下されるのが好きなわけでもない。エヴァレットとしてもアルピナのギグリは好ましい傾向だった。


 グラウンドを巡っていると少数だが天使の姿も見えた。

「サフォンのクラスにも他に天使がいるのかい?」

「いいえ、私の学年には私だけです」

 サフォンはどうやら他の天使のことはあまり知らないようだった。もしかして浮いているのかな、と心配に思ったが、何人かすれ違ったクラスメイトらしき人間の子供たちとは元気に挨拶を交わしていたので大丈夫らしい。

 そういえば彼らは制服でもお揃いの体操服でもなくカラフルな私服で遊んでいた。休日でも学校の区画に入る時は制服を着なければならない、というルールがあるわけではないようだ。サフォンが制服なのはその姿を我々に見せたかったからだろうとエヴァレットは察した。


 学園全体で生徒数が200人だから、1学年は20人弱ということになる。教室も見せてもらったが、大都市の学校に比べれば机も小さく、部屋自体もどこかこぢんまりして見えた。建築としてはなかなか面白く、エントランスの吹き抜けが大きく、木々の樹形を象ったような有機的な柱が並び、茶色や緑色に塗られた窓から木漏れ日のような光が注いでいた。

 その景色はけれどなぜだか物悲しい感覚を胸の底に湧き起こした。明るい光に満ち、子供たちの声が聞こえる。なぜだろう。ここがかつての地上ならもっとたくさんの子供たちで溢れていたはずだから?

 かもしれない。

 なぜアルピナの建設は途中で放棄されてしまったのだろうか。それを考え始めるととても複雑な気持ちになった。

 もしアルピナが完全な島だったならもっと大勢の人々が生活を築くことができただろう。でもそうなればこの豊かな自然は存在していなかった。

 もし全ての人類に対して十分な島が用意されていたなら、貧しさに喘ぐ人もなく、地上への帰還を志す一握りの人々さえ現れなかっただろう。フラムに耐える薬の開発など誰も目を向けなかっただろう。

「クリュスト様、恐い顔をしていますね」

 エヴァレットが吹き抜けの欄干を頼りに考えているとサフォンが横に来ておっかなびっくり顔を覗き込んだ。

「何か気に入らないことでも……」

「いいや。よく言われるよ、ぼーっとしてる顔が恐いって」

「何か考えていたんですね」

「うん。もっと多くの子供たちがこういう場所で学ぶべきだと思うんだ。でもここに大勢が集まったらこの場所の良さはきっと奪われてしまう。それって難しい問題だなと思ったんだ」

「クリュスト様はお偉い(・・・)です」とサフォンは褒めてから、自分でも気に入らない表現だったのか眉間にしわを寄せた。

「……賢明です?」

「そう言ってもらえると嬉しいよ」エヴァレットはサフォンの頭を撫でた。ギグリよりさらに柔らかい髪だった。自分の髪が硬すぎるのだろうか。

「お世辞じゃないんです」

「わかってるよ」エヴァレットは腕時計を見た。「さ、そろそろお昼にしよう。もたもたしているとエアレースの開会を見逃してしまう」

 そう、せっかく実務を離れたバカンスなのだからテレビ越しにまったり見させてもらおう。この時はまだそう思っていた。

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