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ソアリング・ライク・フェザー

 マグダが部屋まで呼びに来て、自分に客だというので、一体誰が自分なんかに会いに来るのか、と思いながらエヴァレットは城の応接間に下りた。

 部屋に入ると客人はソファから立ち上がって深々と頭を下げた。彼女の翼から綿毛がひとつこぼれてぽわぽわと舞った。

「お久しぶりです。クリュスト様」

 当時の記憶がフラッシュバックしたのはまさにその時――彼女が顔を上げたその時だった。

「あの時僕に飛びついてきた……」エヴァレットは言った。

「ええ。憶えていてくれましたか」

 顔立ちは順当に大人びてきていたが、間違いない、あの時の少女だ。

「まあ、座って」

「憶えている、ということはあの一件のせいで何か問題が生じたとか……」少女は再び座りながら訊いた。

「いや、そんなことはない。ただ記憶に残っているだけだよ」

「ああ、よかった。ずっと申し訳ない気持ちだったんです」

「確か……8年か。いくつになった?」

「12です。先日、エアレース2戦目の日にちょうど。私、大人になりました?」

 少女は一度立ち上がって白いスカートの裾を広げてくるりと回り、翼を広げてほんの少しだけ羽ばたいた。大きな翼だが、天使としては標準的な大きさだろう。純白の翼、透き通った金髪、空色の目。典型的な天使の容姿だ。理想的な、といってもいいかもしれない。

「うん。立派になった」

 彼女はにこっとして翼を畳み、長い髪を肩の後ろに払って座り直した。

「たしかあの時僕は名前を言わなかったね。改めて、エヴァレット・クリュストだ」

「サフォンです」

サフォン(せっけん)。いい名だ」

 エヴァレットが手を差し出すと、サフォンは両手でそっとその手を握り、目を瞑った。

「この手が私たちを守ってくれたのですね。その節は本当にありがとうございました。母もあなたとフェアチャイルド様には深く感謝しています」

「そんなに感謝されるほどのことだったのだろうかな……」

「ええ。あの後は母は労働局のカリキュラムで教師の免許を取って学校に就職することができました。エンジェルですから、もともとサンバレノ軍で爆薬や雷管? を扱う仕事をしていて、化学の知識はあったんです」

「兵器を扱うのはエンジェルの仕事、か」

「ええ。奇跡を扱えないのでは生身で戦えませんから」

 サンバレノでは天使の身分は2つに大別される。奇跡を扱うことのできるアークエンジェルと、奇跡を扱えないエンジェルだ。もちろんアークエンジェルの方が高い身分にあり、軍に限らずエンジェルが花形の役割を務めることはまずない。

「以前は住所がなければ労働局に登録するのが難しかったからね。移民や難民はブローカーを頼るしかなくて、悪質なところに捕まると白キャバ(不届雇用店)送りだった。この数年でかなり改善されてはいたんだが」

 エヴァレットはソファの横に立てられた青いスーツケースに目を向けた。旅行の帰りがけというわけではないだろう。空港からわざわざ城に寄って家に帰る住民などいない。

「今はベイロンに住んでいるわけではないようだね」

「はい。おかげさまで貯金もできて、今はアルピナにいます」

「アルピナ、……アルピナゼー、ああ、南部の」

「はい」

「ベイロンに来たのは」

「クリュスト様に会うためです」

 お世辞だとしたら酷いものだ。エヴァレットは思わず笑いそうになったが、どうもサフォンが冗談を言っているようには思えなかった。


「風の噂ではあるんですけど、フェアチャイルド様が亡くなってからかつての側近の方々は何かと苦労というか、肩身の狭い思いをしていると聞いたんです。それで居ても立ってもいられなくて、私も何か力になれないかと思ったんです。私も母と同じエンジェルです。奇跡は使えません。ですから役に立てるかわかりませんけど……」

 エヴァレットは扉の方に目を向けた。

「見ての通り、この城はすでにシュナイダー政権が公邸として使っている。我々フェアチャイルド一派が私的に大勢の使用人を抱える余裕はない」

 サフォンは首を振った。

「仕事として、という意味ではないんです」

「……チャリティか」

 12歳といえば学校はいいのか? とも思ったが、そういえば今日は土曜日だった。

「まさか、1人で渡ってきたのか」

「はい」

「泊まる場所は」

「これから探します」

「政府の人間が言うのもどうかとは思うが、ベイロンは決して治安のいい島ではない。それにこの時期はエアレースのせいでホテルも空きが少ない」

「わかっています」

「なぜそこまで」

「だって、事件の日が誕生日だったんです。これを節目にして、これからは彼らの役に立ちなさい。まるでそう告げられているみたいでした」

 エヴァレットは頷いた。彼女の思いをふい(・・)にするのも申し訳ない気がしてきた。

「『偶然に根拠はない。しかし意味を見出すことはできる。善く生きなさい』」

「『翼の教え』か」

「あ、わかりますか」

「前に読んだことがある」

 エヴァレットがそう答えるとサフォンは微笑して髪を耳にかけた。耳たぶが少し赤くなっていた。

 サンバレノ聖書の正典には『説教録』という一巻があって、それをルフトの作家が口語訳して『翼の教え』という題で出版していた。教訓になるフレーズがたくさん収録されていて、啓発書としてはなかなかのベストセラーだ。

 『翼の教え』を引いてくるというだけでもサフォンがリベラルな天使だということがはっきりした。『翼の教え』は正典を重視する天使教会系のコミュニティから禁書扱いされているのだ。意訳が過ぎる、というのが理由らしい。


 マグダが入ってきてサフォンとエヴァレットの前に紅茶のカップを置き、2人の顔を見比べた。

「こういう仕事を代わりにやってくれるなら、私は大歓迎ですけど」

 サフォンは目をキラキラさせてマグダを見上げた。

 かつて城にいた使用人の少女たちはほとんどがそのまま新政府のお付きに移ってしまって、エヴァレットとギグリの専属に残っているのはマグダくらいのものだった。

「このメイド服、着たい?」マグダは腰に手を当て、長い脚を交差させてモデルのようにポーズをとった。

 サフォンはうんうんと頷いた。

「スカート超短いけど」

 サフォンはマグダの太腿に目を移して少し斜めに頷いた。心なしか翼が竦んで見えた。


 マグダが出ていったところでエヴァレットは小さく息をついた。

「わかった。君の言う通りにしよう。今夜は城に泊まればいい。案内しよう」

「ありがとうございます!」

 サフォンは立ち上がってソファの背凭れをぱしぱしと手で払った。赤いビロードに白い綿毛が斑模様のようにびっしりくっついていた。

「換羽期か」

「ごめんなさい。気をつけているんですけど、緊張のせいか、つい」サフォンは真っ赤になって

 エヴァレットはキャビネットの引き戸から毛玉取りを出してソファを上から下までざっと撫でた。純白の真珠のような光沢のある綿毛を丸めるとテニスボールくらいの大きさになった。

「ギグリ様もこの時期機嫌が悪くなるんだ。鬱陶しいのはよく理解できる。しかし、どうする?」

「捨てていいです」

 エヴァレットは屑籠の中に羽根の玉をぽこんと落とした。籠の中の暗がりに落とされた玉はまるで少し怯えているみたいに見えて、何となくかわいそうな感じがした。


 廊下に出るとグラインダーの音が響いていた。中庭で壁の補修をやっているのだ。

「大きな穴……。飛行機が突っ込んだって聞きましたけど」

「ああ、その通り、あそこがフェアチャイルドの部屋だ。領主の部屋と言ってもいいかな。見ての通り修理中なのでシュナイダーはまだ使っていない。いや、まだ通勤でやっているし、そもそも使う気がないのかもしれないが」

「どこで仕事をしてるんですか?」

「食堂の横に客間があってね。会議も食堂でやるので都合がいいみたいだ」

「じゃあ、会議をやっていたらごはんが食べられないですね」

「厨房で作ったものを部屋に持っていって食べているよ。一応みんなで集まってね。それでも不便には変わりないし、フェアチャイルドが死んだ以上、ここに残っていても権威主義者と思われるだけだろう。潔く身を引いてどこかに移れる家がないか探しているよ」

 エヴァレットは中庭から離れて上りのエレベーターを呼んだ。

「えっと、どこへ?」

「ギグリに会っておこう」

「クリュスト様は臨時政府に何か任されているのですか?」サフォンはケージに入ったところで訊いた。

「軍務局長という、ルフト軍やエトルキアの占領軍との窓口的な役割を。まあ、閑職だよ。我々はここを追い出されれば家をなくしてしまう。シュナイダーはそれをわかっていて憐れみをかけてくれているんだろう」

「でもギグリ様はエアレースには欠かせないアイドルじゃありませんか」

「もっとも。だが城に住んでいる必要もない」


 城の7階より上は塔に寄り添う柱のような造りになっていて、床面積は一辺20mもない。エヴァレットは8階で降りて目の前の無線室の扉を叩いた。

 返事はない。

 そっと扉を開くと、ギグリは窓辺に椅子を置いてヘッドフォンをつけ、口を大きく開けてあくびしているところだった。耳を塞いでいたせいでノックに気づかなかったらしい。かといって慌てる様子もなく、ゆったりヘッドフォンを外して「どうされたんです?」と丁寧に訊いた。相変わらず口調と態度が一致していない。

「やはりここにいた。よほど彼女たちが心配らしいですね」

「彼女?」

「ネーブルハイムの件」

「ネーブルハイムからアイゼン。戦闘なら昨日のうちに終わっていますよ」

「昨日?」

「ええ、ただあの2人の安否まではわからないから、マグダには話さないであげてください」

「エトルキアの情報が入ってくるんですか?」サフォンが訊いた。

「それが暗号解析機なの」ギグリは部屋の隅を示した。

 近衛隊のジャヒアルを借りてマグダをネーブルハイムに送り込んだわけだが、もちろんそれだけが目的ではなかった。エトルキア軍の無線通信を傍受して最新の暗号パターンを解析したかったのだ。ベイロンにはエトルキアの占領軍が事務所を置いているが、当然なんでもかんでもあけっぴろげに教えてもらえるわけではない。

「でも私がここにいるのは傍受のためじゃないわ。エアレース参加チームの本拠地と連絡を取り合っているの。明日第4戦でしょう?」

 サフォンは頷いて姿勢を正した。

「彼女はサフォン。8年前――」

「憶えていますよ。あなた様が手助けして、民営連とのゴタゴタを引き起こした」

「それを言っちゃだめですよ」

「あら、なぜです?」

「やっぱり面倒事に……?」サフォンが心配そうに振り返った。

「いや、決してそんなことはない」

「それで」とギグリはヘッドフォンに手をかけたまま訊いた。エヴァレットの動揺などまるで眼中にないようだった。

「はい。その時の恩返しといいますか、こんなご時世ですから、私にも何かできないかと」

 ギグリはサフォンとエヴァレットを交互に見た。

「もう話はついているわけね。――それなら私には異存はありません」

 ギグリがそう言うとサフォンは安心して大きく息をついた。全身が膨らむみたいな大きな息だった。


 無線室は狭い部屋だ。一方の壁面は送信機と受信機が埋め尽くし、床面は幅1m、奥行き4mほどしかない。奥の細い窓から光が差し込み、ふわふわと漂う無数の綿毛を黄色や橙色に照らしていた。サフォンはギグリが抱いているクッションに目をつけた。一辺が袋のように開き、中に綿毛が詰まっているのが見えた。

「綿毛でクッションを?」

「そうよ。他に使い道もないでしょう」ギグリはそう言ってヘッドフォンの横に置いてあった魚用の手網をとり、目の前を舞っていた綿毛をいくつか捕まえた。彼女はネックスリングの白いドレスを着ていた。

「おお……」サフォンは感心した。

「こういう使い道は知らなかった?」

「はい」

 窓の外に何か影が走った。

 ギグリが振り返り、窓枠に寄りかかって外を見た。

「コウノトリね」

 エヴァレットはその景色をよく知っていた。8階にも来ると城の屋根の上が見渡せるのだが、棟の上にシュバシコウの巣がたくさんあるのだ。

 ギグリは椅子をカウンターの下に押し込んで脇に避け、サフォンのために窓の前を空けた。

「すごい。いい眺めですね」

「コウノトリの巣がそこら中に見えるでしょう」

 サフォンは頷いた。

「人間たちが地上で暮らしていた頃もああして屋根の上に巣をかけていたの。ここの方が4000mも高くて、気圧も気温も低い。でもああやって同じように暮らしている。それは感心すべき適応だと思うわね」

「コウノトリも地上には下りられないのですよね?」

「そう。大地を失っても、塔を伝って渡りを続けているのよ」


 エヴァレットはサフォンのスーツケースを持って階段で階下へ下りた。7階だ。

「この並びが我々の部屋になっている。高くて広さもあまりないから、使い勝手が悪いのだろう。ここが僕の部屋、ギグリ、マグダ。手前が空いているから、使っていい」

 エヴァレットは扉を開けた。中は無線室と同じくらいの広さだ。少し埃っぽいがベッドも照明もある。

 サフォンは中に入って荷物を置いた。

 しかしギグリは平静だったな、とエヴァレットは思った。フェアチャイルドがクローディアを連れ込んだ時の嫉妬もなく、サフォンをけなすこともしなかった。エヴァレットは内心それを危惧していたのだ。

 安堵すると同時に、やはり自分はフェアチャイルドとは違うのだ、と改めて感じなければならなかった。

「クリュスト様」

 エヴァレットはサフォンに目を向けた。

「私の仕事ですけど」

「今晩シュナイダーと話をするので、そこでひとまずさっきマグダが言っていたお茶出しをやってもらおうか」

「それまでにやっておくこととか」

「お茶出し自体は10分もあれば十分覚えられる。先に色々、といってもマグダは渋りそうだな……」

「教える人手がないんですね」サフォンは苦笑いした。

「僕は午後から引越し先の目星をつけに行くつもりだったが、ついてくるか? 歩きながら話せる」

「はい、もちろんです!」

 サフォンの表情が晴れた。厚い雲から太陽が顔を出して空が急に明るくなることがあるけど、まさにそんな感じだった。

「あれ、でも、それって公務じゃないですよね」

 エヴァレットは肩を竦めた。

「やらなければならないことはあるんだが、ほとんど人選なんだ。部屋に籠もっていても埒が明かない。かといって中庭で寝転がっていても白い目で見られそうだからね」

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