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天使と魔術師の契約

 ネーブルハイムの下層飛行場に到着したプープリエを待っていたのは除染作業だった。駐機場の隅に消防車が2両待ち構えていて、プープリエがその間に入るなりものすごい勢いで放水を開始した。

 おそらくスフェンダムの乗員の救助のためにフラムスフィアの高度まで下がったのだろう。機体に付着したフラム粒子は整備に関わる人間に悪影響を与える。エトルキア軍では大量の水で洗い流すのがセオリーらしい。

 除染が終わるまでは誰も外に出られない。窓の外はまるで滝だった。

 プープリエは全身から大量の水滴を滴らせながらタグカーに引かれて格納庫に入った。ドアを開ける時に縁に溜まった水がザパッと落ちてきて頭と肩がびしょびしょになってしまった。クローディアはタラップを降りた少し先で頭を振り、翼をバサバサして水気を払った。

 格納庫の中は負傷者の搬送で慌ただしかった。3人は邪魔にならないように壁際にキアラを寝かせてヴィカを待つことにした。

 先に現れたのはメルダースだった。

「無事でよかった。話はヴィカから聞いています。彼女――キアラを預かりましょう」

 彼は引き連れた憲兵たちに目配せした。憲兵たちは床に寝かされたキアラをあくまでもそっと持ち上げた。メルダースの目があるからだ。キアラは担架に寝かされた。

 一行はエレベーターに乗って中上層の営倉区画まで上った。手前の方はまだ普通の個室のような造りだったが、奥へ行って角を2つ曲がったあたりで鉄格子の部屋に変わった。

 憲兵たちはそこでキアラの首にチョーカーのようなものを巻きつけた。

「残念ながら我々には彼女の奇跡を防ぐ手立てがない。手元を固めたところで簡単に切られてしまうでしょう。あの首輪は神経系に電気を流して気絶させるためのものです。遠隔か、どこか1ヶ所でも切られれば作動します」

「本当に確保しておけるのね?」クローディアは訊いた。

 メルダースはしっかりと頷いた。「217個体のアークエンジェル以上の天使がエトルキアの管理下にあります。うち約半数がサンバレノ軍の捕虜ですが脱走はこの10年で一度も許していません」

「私は逃げたわ」

「それはガルドの作戦の一環だと聞いていますが?」

「あなたの奥さんもその217に含まれているの?」

「ええ」

「収容所にいるわけではないのよね」

「ええ。管理、と一口に言ってもむろん何種類かレベルがあります。彼女は当面最も厳重なレベルに置かれるでしょう」

「そう。あなたの口から聞けて安心したわ」


 後続のスフェンダムも到着したらしい。フライトスーツのままのヴィカが通路を歩いてくるのが見えた。ヴィカは鉄格子の前に立って一通り作業を眺め、襟のファスナーを首元まで下した。

 カイはそのタイミングで「ヴィカ、聞きたいことがある」と言った。

 ヴィカは頷いて1つ手前の角まで戻り、手近な個室に入って敷板だけのベッドに座った。立ち話も億劫だったのだろう。カイはデスクについた椅子に腰を下ろした。クローディアは部屋の中には入らずに戸口で2人の話を聞くことにした。少し遅れてモルも歩いてきてクローディアの横から部屋の中を覗き込んだ。

「あのスフェンダムを落としたのはキアラなのか」カイは訊いた。

「いや、それは違う」

「レーザー砲の流れ弾」

「それも違う。遠くなった。もう1人天使が出てきたんだ。塔の上に、だ。あの距離をタイムラグなしに攻撃できるんだから、相当な上位の天使だろう」

「キアラを助けに?」

「いや、私は別にそいつから力ずくであの天使を毟り取ったわけじゃない。残されてたんだ。グリフォンはいなくなっていたが、そのあたりの事情はよくわからん」

「俺が撃っていなくてもその天使はスフェンダムをやっただろうか」

 ヴィカは何度かぱちくりと瞬きをした。

「そうか、第3射を迎撃したのはやはり君だったか。システムが生きていて勝手にやったわけではないんだな」

 カイは頷いた。

「だが、それはわからないな。第3射で仕留めていても、腹いせに仕返しされていたかもしれない。やっていたかもしれないし、やっていなかったかもしれない」

「被害は」

「乗員38名、うち24名が回収できなかった。たとえ生きて着地してももうフラムにやられているだろう」

「そんなふうに言わなくたっていいでしょ」モルが噛みついた。

 ヴィカは手で制した。

「向き合うと自分で言っているんだ。存分に向き合わせてやるのが筋というものだ。――カイ、あの天使を救うために撃ったのか?」

「それもあったと思う」

「なるほど、我々は24の命と引き換えに天使を捕らえることができたわけだ。君は敵と味方の命を天秤にかけたんだよ」

 カイは頷いた。

「だが君にそんな判断を強いたのは私の過ちでもある。頼まれたとはいえ、民間人という微妙な立場のまま巻き込んだのは私だ。軍人なら、指揮官でもなければそんなことについて悩む必要はない。兵士は命令に従えばいいのだからな」

「たとえ兵士でも自分の引き金には責任を持たなければいけないはずだ」

「そうだよ。たとえ自分の決定でなくても責任を持って引き金を引く覚悟をした人間が兵士だ。それが条件だ。自分の選択を後悔するような人間に兵士を語る資格はないぞ」

 カイは虚ろな目でヴィカを見返していた。

「それはおまえの弱さだ、と指摘しておこう。だが実際に君の判断が味方を殺したのかどうか、という因果の問題は全然別物だ。戦闘で将兵が死ぬとすれば、それは作戦がまずいからだ。スフェンダムを前に出しすぎたのかもしれないし、レールガンは不要だったのかもしれない。兵士の責任ではなく、指揮官の責任だ。兵士ですらない君がそれを背負おうとするのは自惚れだ。わかったか?」

「……はい」

 カイは少し間を置いてから深く溜息をついた。気が済んだようだ。


 たとえ無謀なエアレースの真似事で仲間の死を身近に体験してきたカイでも、自分が殺しの主体になることには慣れていない。敵を殺して悔やみ、敵を殺さず味方を死に追いやったと悔やむ。それは仕方のないことなのだろう。生まれてからずっとそれを強いられて生きてきた私と心の構造が違うのは当然のことなのだ、とクローディアは理解した。それは決して悪い気分ではなかった。

 今まで1人きりで生きてきて心の構造を他者と比べたことなんてなかったけれど、カイやモルと知り合ったことでこの終わりゆく世界にもまだ鮮やかな心性を持った人々が残っているのだと、死を避け続けることだけが人生ではないのだと思うことができた。それは十分彼らとともに歩む理由になるのではないか。


 カイは額に手を当ててこめかみを指でぐりぐりと押さえた。

「ずっと上層の格納庫にいたのか?」ヴィカが訊いた。

「はい」

「与圧も効いていないだろ。慣れない高度、それも5000メーターなんて、半日もいれば十分高山病になる」

「高山病?」

「飛行機で高空に上がる時は酸素マスクをつけるだろう。まあ、気力が抜けて色々一気に効いてきたんだな」ヴィカはそう言って立ち上がろうとした。

 クローディアは部屋の中に入ってヴィカを止めた。

「モル、頼めない?」

 クローディアが振り返ると、モルは頷いた。察しをつけてくれたようだ。

「憲兵に言って連れて行ってもらえ。士官エリアの医務室ならまだ手が空いてるはずだ」

 カイがモルの付き添いで出ていくのを見送ってクローディアは椅子に座った。今までカイが座っていた椅子だ。少し温かかった。

「あなた、いい指揮官なのね」

「何を言っている。戦死・行方不明24人だ。ブラックマーダーもアネモスの半分を失った。ジェルミはあと10キロは下げておくべきだった」

「それを認められない人も少なくないでしょう?」

「褒めてくれるなよ」ヴィカは座り直した。「それで、何の話だ」

「何を、ということはないの。ただ、あなたがどれくらい信用できる人間なのか、改めて確かめてみたくなっただけ」

「そういえばサシで話すのは初めてか」

落ち着いて(・・・・・)話すのは、ね。私たちがベイロンにいる間もあなたは忙しそうだったし」

「一応、作戦の指揮官だったのでね。事後処理やら内政官への引継ぎやら」

「状況が状況だったからエリスヴィルで見た時は気づかなかったけど、私とあなたはあれが初対面ではなかったのね」

「ほう?」

「私がレコール=ハウの競りに出された時、フェアチャイルドの入札を妨害しにきた軍人がいたわ。あれはあなただった。制服だったし、髪も帽子に入れていた。でも、あなただ」

「なんだ、気づいてないのかと思ったよ」

「作戦と言ったけど、誰の立案だったの?」

「君は勘がいいね、まったく。そう、私だよ」

「自分で作戦を立てて、指揮をして、最前線にも出る。飛行機も操るし、魔術も使う。おまけにブラックマーダーやレールガンを引っ張ってくる権限もある。あなた、何者?」

「ヴィクトリア・ケンプフェル、エトルキア空軍中佐さ。ブラックマーダーとレールガンは軍令部が決めたことで、私は報告を上げただけだ」

「なら今回の作戦に関しては中央から司令官を派遣してくるのが筋でしょう。でも実際にはメルダースとあなただけで仕切っていた」

 ヴィカはちょっと表情を変えた。はぐらかすのはやめたようだ。

「ガルド、というのは聞いたことがあるか」

「いいえ」

「よかった。我が軍の機密保持もまだかろうじて機能しているようだな」

「それで」

独立越境空挺師団(G  A  L  D)。軍令部直轄の、いわゆる特殊部隊だ。君は頭が切れる。余計な詮索をされるくらいなら言ってしまった方がいいだろう」

「中佐の権限じゃなさそうね」

「将官が前線をウロチョロするのは味方にとっても目障りだからな」

「あなたは天使の担当なの?」

「今はな。ベイロンの時は確かにベイロンだったんだ。君を捕えたのも単にベイロンのためだ。それは嘘じゃない。問題はパールヴェーラーだ。魔術院があの研究に興味を持ったようで、活きのいい天使のサンプルが欲しいと言い出した」

「あの天使はただの捕虜ではない、というわけ」

「そうだな」

「つまり、私のことも調べたいと思っているのね」

「手荒な真似をするつもりはない。幸い君とはコネ(・・)がある」

「適度に傷つけば治療と称して検査なりサンプルを抜くなり好きにできる」

「場合によっては、な」ヴィカは腕を組んだ。

「いいわよ。調べさせてあげても」

「ふうん?」

「私が奇跡を取り戻すのにあなたたちの知恵が役立つかもしれない。私があなたたちの役に立つなら、それくらいの対価を要求しても文句は言わないでしょう?」

「うん。それは面白い」

「それともう1つ。今すぐレゼに行く、なんて言わないわよ。一度タールベルグに帰らせてもらうわ。今の私には奇跡もないし、この翼じゃまともに飛べない。何のアドバンテージもなしにエトルキアの人間たちの中に放り込まれるのはごめんだから」

「私もアイゼンの処理に少し時間が欲しい。それは一向に構わない」

「それに、そう簡単に用ナシになるのも危険だもの。そうでしょう? あの天使との戦いであなたたちはカイの安否をあまり気にしていなかった。ベイロンの一件より明らかに雑だったわ。それはベイロンで彼が利用価値を使い切ってしまったから」

「そういう言い方は非人道的だな。エトルキア国民を守るのが軍の使命だ。たとえガルドでもそれは変わらない」

「とにかく、私が言いたいのは――」

「当面エトルキアを味方につけておきたいということだろう? いいよ。私とメルダースが責任を持って魔術院の狂人たちからきちんと守ってやる」

 ヴィカはフライトスーツのグローブを外して手を差し出した。クローディアは握手に応じた。

「これは信頼ではないわ。あくまで契約だと思って」

「私としてもそのつもりさ」ヴィカは不敵な笑みを浮かべてクローディアの手を強く握った。

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