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カニバリズム

 俺はどうなったんだ?

 カイは意識の暗闇の中で記憶を辿った。

 そうだ、警報が聞こえた。中層の飛行場に向かってベレットに飛び乗り、アラートのアネモスが飛び立つのを待って滑走路に出た。いくらベレットがハイテクとはいえ、離陸前の点検はアネモスより短い。他のアネモスより先に離陸させてもらえたのはそれが理由だ。

 空は真っ暗だった。だがレース機なら夜間飛行の経験はあったし、それにベレットならHUDのガイド付きだ。やれないことはない。

 一度飛び立ってみれば要塞の至るところからサーチライトの光が発し、曳光弾が闇夜に走っていた。むしろ煌々とした雰囲気すらあった。

 さらにグリフォンの奇跡が要塞を切りつけ、その度にすさまじい発光で周辺一帯を夜明けのように照らしていた。薄雲の影が地表に映るほどだった。


 カイはその明るみの中にグリフォンの姿をしっかりと捉え、相手の視線に注意して自分が狙われているのかどうかをこまめに確かめた。

 すでに数機のアネモスが縦の動きで一撃離脱を繰り返していた。襲いかかる方向がわかりきっているのでグリフォンもさほど苦労せずに防御していた。

 カイは隙を見て背後に回り込み、できるだけ鋭い旋回で機首を向けた。

 だがグリフォンは気づいていないわけではなかった。

 撃とうとする度にくるりと振り返ってバリアを張ってきた。

 エンジン音を聞かれていたのか?

 何度やっても不意を突くことはできなかった。カイは攻めあぐねて上空を旋回していた。

「カイ、上層飛行場でクローディアと天使が戦っている。援護できるか」

 メルダースから無線が入ったのはその時だ。

 キアラの姿が見えた。白い羽は夜でも目立つ。


 そして2度目の攻撃の時、キアラはベレットに取りついた。

 何をされたのか知る間もなくカイは射出座席に打ち出された。小さく遠ざかっていくベレットの上面形が見え、その直後にはGにやられて気を失っていた。


 グリフォンは強い。攻撃も防御も戦闘機の比ではない。でもあのバリア――術式陣は真後ろには張れないようだ。でなければこちらのバックアタックに対して振り返る必要はなかったはずだ。

 同時に展開できる数にも制限があるかもしれない。多い時で5枚……くらいだっただろうか。

 それに1枚で自分の体の投影面積を覆う大きさもない。全方位からの飽和攻撃なら有効かもしれない。

 レーダー誘導ミサイルと赤外線誘導ミサイルは通用しないと言っていた。では画像シーカーはどうだろう。夜は使い物にならないが、昼間ならあの黒い体はくっきり映るはずだ。だいたい、誘導兵器が使えないなら無誘導のロケットでもいい。

 でもその程度の戦術をエトルキアは確立していなかったのだろうか?

 違う。そんなはずはない。ただ準備が間に合わなかったのだ。空軍組織は巨大だ。たった1日で作戦準備が整えられるなんてことはない。マグダが半日でやってこれたのはそれがあくまで個人的な動きだったからだ。

 強い組織は最初は負ける。前線に常備する戦力はその負けをできるだけ小さくするためのものに過ぎない。

 アネモスはあくまで制空戦闘機であって対グリフォン用の兵器ではない。ただネーブルハイムにはそれしかなかった。アネモスもネーブルハイムも不利な戦いを強いられたのだ。タロノ・ペタロがあったのはベイロンのために手配したものが余っていたからに過ぎない。本当に準備が整ってくるのはこれからだろう。


 カイは埃っぽい空気で目を覚ました。

 目を開けるとそこは格納庫だった。

 ネーブルハイムか? と思ったが、それにしては閑散としていた。人もいない。飛行機もない。

「目を覚ましたね」

「ここは?」カイは訊き返した。

「さあ、どこでしょう?」

「アイゼン、フォート・アイゼン」

「なーんだ、わかってたか」声の主――キアラは答えた。

 ぐぐぐっ……と近くで何か大きなものが動いた。

 カイは体を起こした。

 キアラはカイのすぐ傍でグリフォンの手当をしていた。グリフォンの身じろぎが床を震わせていたのだ。

 近くで見ると本当に大きい。羽根はゴワゴワしていて、嘴は戦闘機の機首よりも大きく、翼は家の屋根みたいだった。広大な格納庫もまるで巣穴みたいに小さく見えた。

 そしてその翼の付け根に大きな銃創があり、流れ出した血が羽根を伝って床にポタポタと垂れていた。

 キアラは躊躇なくその傷の中に右腕を突っ込んだ。

「えっ」カイはさすがに悲鳴を上げた。

「あーあ、ひどいや、こいつは榴弾だ」

 キアラは傷の中で手を動かして銃弾の破片を集めていた。でもグリフォンはまるで痛がる様子を見せなかった。

「不思議?」キアラは訊いた。「アナージェスって、鎮痛の奇跡をかけているんだよ」

 カイは頷いた。

「しかし、黒羽くろばねもやってくれるわ。これじゃあ1日は休ませてあげないと」

 黒羽?

 そうか、その銃創はクローディアがやったのか。カイは把握した。

 でも……。

「1発だけか」カイは訊いた。

「何が?」

「グリフォンのケガ」

「ネロっていうんだよ。羽根が黒いからネロ」

「ネロ」

「そうだよ、被弾は1発だけ」

 1発? あの砲撃の雨の中で1発だけか。それも要塞からの砲撃やアネモスの攻撃ではなくクローディアが食らわせたものらしい。カイが気絶するまでクローディアはキアラにかかりきりだったはずだから、そのあとにやったということなのだろう。

 キアラは掴んだ破片を傷口から引き抜いて辺りにぶちまけ、取りこぼしがないかもう一度手を突っ込んで確かめた。最後に外から手をかざすと、傷が塞がり、血が止まった。それもまた奇跡だ。

 キアラはふっと一息つき、壁際の流しで腕についた血を洗い流した。

 彼女はぴったりしたエナメルの服のままだった。服というよりも水着といった方がいいかもしれない。下はローライズで膝上まで、上は首から胸の下まで。肩は鎖骨がほぼほぼ見えるくらい、靴はショートブーツで、とにかく全部黒だった。その恰好が天使らしい体の線の細さを強調していた。


「でも、ボクも運がよかったね」

 キアラはカイのことを「ボク」と呼んだ。

「なぜ?」

「気絶していたからさ。もし暴れていたら腕でも脚でも切り落としていただろうね」

 キアラは流しの上に渡した物干し用のロープから干し肉を取ってカイの前に翳した。

「食べなよ、お腹空いてるでしょ」

 カイは視界から色彩が消えて灰色になるのを感じた。

 心臓の鼓動が遅くなり、腹の底がツーンと冷たくなった。

 ミルドの肉だ。

「いらないの? そう、人間って共食いしないのね」

 食えるわけない。共食いは共食いでも、食いだ。

 キアラがミルドを殺したわけじゃない。でもそれ以上の汚辱のように思えてならなかった。

 キアラがどんなふうに干し肉を作ったのか、想像すべきではないとわかっていても想像してしまった。

 カイは目を瞑った。

 ここで暴れてもキアラには勝てない。彼女が言ったとおり、手足をもがれるだけだ。

 じっと堪えるしかない。

 受け入れろ、カイ。それは「死」なのだ。それ以上でも以下でもない。キアラによる汚辱はミルドの体に対するものであって、ミルドに対するものじゃない。彼が生きている間に行われたことじゃない。


「それはここで作ったのか」カイは訊いた。

「そうだよ」キアラはあっけらかんと答えた。

「そいつは俺の友達だったんだ。小さい時からずっと一緒だった」

「ならどうしてあんなところに放っておいたりしたのよ?」

 カイは歯をくいしばった。

「そうだな。それもそうだ」

「ボクが食べないなら私が食べよう。おいしく食べてあげた方がこの子のためにもいいよ」

 キアラはそう言ってカイの顔色を確かめたあと、胸の上に手を当てた。いや、正確にいえば、親指と中指を横に、人差し指と小指を縦に開いて胸に当てた。十字を切るサインの変種といえるだろうか。

「主よ不浄なる肉に浄化をお与えください。聖餐《聖餐》に感謝します。アーメン」キアラは呟いた。

 キアラは肉の硬さに目を細めながらよく咀嚼した。

 カイは飲み込まれていく干し肉を絶望的に眺めていた。

 ネロが「ヒョロロ!」と鳴いた。猛禽類と同じ高い声だが音量は殺人的だった。

「ネロ、だめだよ。この子は黒羽をおびき寄せるのに生かしておかなきゃいけないからね」

 ネロは涎を啜るように嘴を細かくこすり合わせ、顎を引いて恨めしそうに何度か瞬きした。その度に大きな瞬膜が目を覆った。大きな両目はじっとカイを見つめていた。

「天使は平気で人間を食うのか?」カイは訊いた。

「他に何もなければね。あえて食べるようなものじゃないけど」キアラは答えた。

 いろいろ言いたいことはあったが、カイはそれ以上何も訊かなかった。

 彼女たちにとってはそれが常識なのだ。彼女たちにとっては天使と人間はまったく別種の生き物なのだ。人間を食べるのだって、人間が鶏や魚を食べるのとさほど変わらない気持ちなのかもしれない。いや、あえて食べるようなものじゃない、ということは、虫とかトカゲくらいの扱いだろうか。

 いずれにしてもクローディアから感じられる人間観とは全然次元が違う。サンバレノという国、文化のおそろしさの片鱗を目の当たりにした気がした。


 カイは立ち上がって格納庫の外へ出た。シャッターは開けっ放しになっていた。

「ボク、わかってると思うけど逃げられないよ」キアラは後ろから声をかけた。

「いや、ここが本当にアイゼンなのか確認したいだけさ」カイは声を張って答えた。

 格納庫の開口はどうやら東向きだった。ほぼ正面と右手の遠くに塔のシルエットが見えた。アイゼンから見えるルフト方面、つまり東側の景色と同じだった。キアラは嘘はついていないようだ。

 東向きということは上層飛行場だろう。アイゼンの上層飛行場は塔の東寄りについている。肌寒さから察した通りだった。

 キアラがアイゼンを拠点としていることはクローディアもエトルキア空軍も把握している。もっとルフト側に入って隠れればエトルキアは手を出しにくくなるはずだ。そうすればクローディアだけをおびき出すことができるだろう。なぜそうしない? とカイは思った。

 でも理由はすぐにわかった。ネロのケガだ。アイゼンまでだってかなり無理をして飛んできたのかもしれない。1日は休ませようとキアラも言っていた。

 人質に取られたのは自分のヘマだ。でもまだ相手に完全な有利を取られたわけじゃない。カイは思った。

「ボク、食べ物を探しに行こう」キアラが呼んだ。「探してたんだけど、先に君の友達を見つけて満足しちゃったんだ」

 カイは凍えながら格納庫の中へ戻った。ネロの体温がかなり助けになっていたことに気づいた。

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