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セラフの資格

「あなたにはセラフの座につく資格がある。私に勝り、その資格を奪った。ジリファ、セラフになりなさい」セラフは言った。

 甲板の下で複雑に巻いた風が回り込んできた。ジリファは髪を押さえたがセラフは微動だにしなかった。

 まさか。

 ジリファは反射的に拒もうとする自分を押し留めた。

 セラフに挑み、セラフに勝ることが何を意味しているのか。

 革命だ。

 正常な代替わりのプロセスだ。

 代々のセラフが先代の座を奪う時にしてきたことと何も変わらない。目の前のセラフは突拍子もないことを言っているわけではない。

 それに、事実上武力でクーデターを企て、それが成功したのだから、サンバレノでなかろうが国家のあり方に照らして政権を執るのは必然だ。義務と言ってもいい。

 ただ、セラフはあえて訊いた。意思を問いかけた。

 ジリファ、おまえにとって意味があることなのか?

 もとよりオリンピアの軍備に挑むために始めたことだ。それだけならセラフの座まで狙ったものではない。

 しかしその根底には、もはや自覚的にならざるを得ないが、ギネイス時代のドクトリンへの執着というか、ギネイスそのものへの信奉があるわけだ。

 おまえが本当に咎めたいのはオルメトでの敗北をギネイス1人に転嫁して貶めたサンバレノ市民全体の心性だ。フォルテ・ジュードを倒した時に全くと言っていいほど良心の呵責がなかったのもそのせいだろう。

 単に恨むのではなく、その心性を変えたいと思うなら、セラフの地位は最高の手段になるはずだ。何より信仰を統べる立場にあるのだ。おまえが最高位の天使なら、ギネイスは神になれる。

 ギネイスに殉じると決めた以上、そのために茨の道を潜って傷つき、あるいは尊厳や精神が破壊されたとしても悔いはない。

 不安があるとすれば、自分が本当にセラフの器なのかどうか、それだけだ。

 キアラがどう思っているのか振り返りたくなったが、我慢した。他者に仰ぐくらいならそもそもなぜ反逆など企てた?


「2つ条件があります」ジリファは答えた。

 それが満たされなければ断る、というようなものではない。容れて然るべし。必然だ。そのくらいの優位はあるだろう。

「言って」

「1つ、龍の解放」

「障りない」セラフは頷いた。

「2つ、私の強さの証明」

「誰に対する証明?」

「全てサンバレノ市民に対して」

「全て? 枢密院の高位アークエンジェルも、市井のエンジェルも?」

「はい」

 セラフはまた少し固まった。

「わかった。そこまでは私がお膳立てしましょう。オリンピア、付き合って」

「はい」

 すでにセラフとの勝敗は決した。それが単に相性の問題ではないと示すためのもう一戦だ。いわば武神の立場にあるオリンピアを指名したのは至って妥当な選択だろう。セラフは私が示した条件の意味をよく理解しているとジリファは思った。

「ケルヴィムら、ここへ」

 セラフが呼びかけると枢密院の天使たちが続々と姿を現した。上の甲板から降りてくる者、空中に待機していた者、様々だ。

 10人目、最後にむしろ悠々とグライド・フレアでペトラルカが着地した。セラフの正面に道を開けるように対面に並ぶ。

「諸君、私を下した奇跡に刮目するといい」

 隊列が横に開く。オリンピアが極めて礼儀正しく一礼した。ジリファは倣わない。面接じゃない、王位の簒奪なのだ。

 一瞬ペトラルカと目が合った。何の含みもない視線だった。他の天使たちの目と同じだ。ペトラルカはただケルヴィムとして振る舞い、セラフに従おうとしている。むしろその反応で自分が正しいのだと思えた。


 20mほどの距離で対峙する。セラフはあえて合図はしない。オリンピアが先手を取るのも趣旨に違う。タイミングはこちらに委ねられている。

 色々考えた。でも普段と違うやり方に賭ける気にはなれなかった。

 初手、ジリファは姿を消した。

 オリンピアはすかさず周囲の大気をプラズマ化させてジリファを檻に閉じ込めた。圧力の上昇とともに檻は縮小していく。

 体が溶けていく感覚。

 いや、違う。傷ついているのは身体であって存在そのものではない。現象とレフレクト体が重なっているに過ぎない。

 非実体化、そして顕現。檻の中からオリンピアの目前へ。

 肘を掴み、翼の付け根に手首を引き付けて極める。近接体術。

「なぜ武器を使わない」

「純粋に自分の奇跡を試したいのです」

「他人にはできない使い方ができるのも奇跡の性能だろうよ」

 オリンピアは捻られた手にプラズマを纏う。プラズマはオリンピアのローブごとジリファの手を侵食した。拘束が解かれる。

 ジリファは透明化して息をつく。

 他人にはできない武器の使い方、か。

 レフレクト体から肉体を実体化した時、衣服も一緒に実体化した。

 それと同じように任意のタイミングで得物も実体化してみせろということか。

 この修羅場で演出をやってくれる。

「手加減されては困ります」とジリファ。

 オリンピアは声の方向に手をかざして直線上の大気をプラズマ化した。ビームに近いが視覚的な迫力はほとんどない。

 思わず避けてしまった。甲板を踏んだせいでジャリッと砂塵が立つ。

「それに、見くびるなよ。私に対してハンデをつけるなど」

 別のレフレクト体を飛ばしてオリンピアの背後へ。実体化してナイフを突き立てる。

「……重い?」とオリンピア。

 実体とレフレクト体が矢継ぎ早に入れ替わる。オリンピアは認識が追いついていない。

 死角からの突き。

 が、凝縮した空気が刃先をピンポイントで受け止めた。反転、膨張。爆発的なプラズマが手元を包む。ナイフは一瞬で消滅した。やはり近接では決め手に欠く。

 ジリファはもう一方のレフレクト体がまだナイフを握っていることに気づいた。実体とレフレクト体を切り替える。ナイフも同時に実体化した。

 つまり、そういうことだ。この奇跡は武器を増やせるのだ。オリンピアの方がずっと早く気づいていた。

 間合いを取り、肉体に重ねたレフレクト体をわずかに先行させてその軌跡から0.5秒刻みにナイフだけを実体化、取り出す。

 あとは柄を掴んで連続で投げる。

 2本目までは厚いプラズマの壁が切っ先を防いだ。が3本目は勢いを保ったままオリンピアの首筋を掠った。血の霧が舞う。

 オリンピアはプラズマの壁を広げた。

 視線が遮られる。

 ジリファはオリンピアの足元から滑り込んでその喉元にナイフを突きつけた。

 首の傷がない。血の跡さえない。治癒ではなくセラフの奇跡による操作だ。

 つまりジャッジの介入。

 ジリファとオリンピアはそのまま静止した。オリンピアはゆっくりと左手を動かして自分の首に触れた。

「切られたのか……」

 それはどちらかといえばジリファの奇跡ではなくセラフの奇跡に対する驚きだった。

「双方、直れ」とセラフ。

 ジリファはナイフをホルダーに収めた。オリンピアも姿勢を正した。

「卿ら、よく聞け。名はジリファルカ、その奇跡はレフレクト、およびエスト。存在の奇跡。何者もその存在を否定することは叶わない。我が運命の奇跡すら彼女の存在には及ばなかった。私はジリファルカに敗れた。よって彼女を次のセラフとする。異はあるか」

 手を挙げる者はいない。必ずしもジリファの強さに圧倒されている感じではないのが不気味だった。全員がこの1分程度の取組みで強さを認めたということか。あるいは今のセラフの地位を守るよりもあとでジリファからセラフの地位を奪う方が容易いと思ったのか。

「異論というわけではないですが、下位の天使と同じ2枚羽というのはあまり体面がいいとは言えないのではありませんか」ペトラルカだ。

 実力主義の天使の位階だが、同じくらい格式にもこだわる。

 ペトラルカは2対目の翼を顕にした。他のケルヴィムもペトラルカに倣う。具象化の汎用奇跡による半透明の造形だ。下位のアークエンジェルで板状1枚、中位の天使でも立体を現すのは難しい。多少程度の差はあれ、さすがケルヴィムというべきか、いずれも鳥の翼を模しているとわかるレベルだ。汎用奇跡だからこそ巧拙で力量が如実に比べられる。

 セラフの象徴である6枚羽はそのうち1対が自前の翼で、残る2対は何らかの方法で追加した見せかけだ。磁器のような質感だが、汎用奇跡でも突き詰めればこの精度になるのだろうか。あるいは運命の奇跡には身体を作り変えるような使い道もあるのだろうか。

 いずれにしても真似できる自信はジリファにはなかった。自分なりにやるとすれば……。


 さっきナイフを複製した。複製したナイフには実体があったし、複製元の状態に関わらず、あたかもそれがオリジナルの存在であるかのように振る舞った。というより、今なお振る舞っている。継続して存在している。その応用をやればいい。

 しかし生体となると動かすには骨格と筋肉から再現することになる。全力で羽ばたくほどのパワーは必要ない。最低限開閉に支障ない強度、筋力。体の方に支点を決めて固定。自前の翼を第1対として、第2対を肩の後ろに、第3対を骨盤の上に顕現。レフレクトから、エスト。

 骨格と羽毛の重さが支点にのしかかる。

 重い。重圧といってもいい。

 ケルヴィムたちが翼に注目しているのはわかった。翼を広げるとその焦点は左右の翼端に分かれた。やはり翼の質で値踏みしているのだ。やっと感情らしい感情が見えた。

「見事です。新たなセラフ」ペトラルカが頭を下げて1歩引いた。


「では皆、龍の治療にあたれ」

 セラフが言うと天使たちは一斉に翼を広げてジリファの頭上を飛び越えた。

 ケルヴィムたちが龍を恐れる様子はない。翼や脚に取り付いて傷の再生にかかる。龍がなおイルバレノの根元に首をうずめたまま動かないとはいえ、自分の強さに確信がなければああいった立ち回りはできない。

「枢密院から広めてもらうのですか」ジリファはセラフに訊いた。

「伝聞では証明とは言えないよ。少なくとも首都の天使には直接見てもらう。今なら大勢が龍の行き先に注目している。龍の化粧直しはそのために必要なんだ」

 気づくと足元に水の入ったバケツとウエスが置いてあった。龍の頭についた煤を拭うためのものだ。

 龍は覚醒していた。疲れてじっとしているだけのようだ。額の上に降りると筋肉の振動が足の裏を叩いた。

「大丈夫、まだそのままでいい」ジリファは龍をなだめた。

 セラフも龍のクリーニングに加わる。サイコキネシスというより本来そこにある腕を翼に見せかけているだけなのだろうか。一見ウエスがひとりでに動いているようだが、よく見ると掴んでいるようなシワが入る、

 やがて龍は白さを取り戻した。裂けた飛膜も癒合した。

「動けそう?」

 ジリファが訊くと龍は口を開けた。もう十分休んだ。遊びたい。そんな具合だ。

「登れるところまで塔の上層へ登って」

 龍は桟橋のあった甲板に前足をかけ、後ろ足で立ち上がって中層までもう一方の前足を伸ばして主塔を掴む。尻尾のまだ太いところを地面に残して後ろ足を甲板に乗せ、体重をかける。慎重だ。塔を破壊したいわけではないというニュアンスが伝わっている。

 甲板を支えるアーチが軋み、塔が傾く。しかし塔の構造を破壊するところまではいかない。いくら大きいと言っても龍は飛翔体だ。見かけほどの重量はない。

 

 龍の額の傾斜がきつくなってきたのでジリファは実体を消した。セラフは浮遊でついてくる。

「セラフの座から退いて、そのあとはどうするつもりです」ジリファは訊いた。

「私が望むより先にあなたに決定権があるでしょう」

「……そういうことなら訊きますが」

「ええ」

「ギネイスの名誉を回復しなかったのは再軍備の口実として必要だったからだと理解しています。ただ、そもそもオルメトの敗戦が避けられないものだったのか、あなたの奇跡なら結果を変えられたのではないですか。確か、セラフの代替わりがあったのが8年前か9年前。オルメト戦役の時にはすでにその座についていた」

 セラフは目を瞑った。

「人は現実が最悪の結果だと思いたがる。」

「変えることはできた。でも、そうすればもっと悪い結果になっていた、ですか」

「変えられるといっても、幅がある。大きく飛べば、それだけ手前の状況から切り替わる。私の存在で操作が及ぶのはそこまでだった。オルメトの核を避ければ、オルメトだけの戦火、軍だけの被害では済まなかった」

「一番抑えて、核……」

「犠牲を強いた決断を責めるのはわかる。もっともな責めだ。こと犠牲にされた立場から言うのだから、その言葉は重い。証拠を見せられない以上言い逃れと誹られるのも致し方ないが、それは、何と言うか、やるせないな」

 沈黙。

「代替わりの時、先代のセラフはどうしたのですか」ジリファは訊いた。

 セラフは目を開いた。

「私を指名して地位を譲った。奪われる前に押しつけたのよ。だから私には先代のその後に関与する筋合いはなかった。どこへ行ったのかもわからない」

「力で優劣を決したわけではなかったのですか」

「そうなれば自分の存在を消されかねないと、私の奇跡の本質に気づいたのでしょうね。だから私の障壁となるような立ち回りを避けた。それ以上に権威欲が希薄だったと思わなくはないけれど」

「セラフの地位ってもっと熾烈というか、泥沼の奪い合いのイメージでした」

「単に生まれつきの、政治と無関係な能力で選別されるのだから、人間の国と比べて意欲のない首班の割合が大きくなるのは必然でしょう」

「仮に私が自由を与えたら」ジリファは訊いた。

「それはつまり、私が邪魔ではないということになる。あまりあなたから離れない方がいいだろうという気がするの。私は残るわ。私の力が必要になる時もあるでしょう」

「離れない方がいい?」

「私たちの力は遠く離れても響き合う、ということ。でもそれでいいの?」

「予想と違いましたか?」

「ギネイスのカドで裁く気はあるだろうと思ったけれど」

「そんなにさっぱりした性格じゃないんです。ただ好きにしろと渡されても蟠りが残ります。それなら手伝ってもらった方がいい。自分の治世で築いたものをひっくり返す過程を」

「それをもって贖えということね」

 枢密院は認めた。しかしまだほとんどの天使は知らない。セラフの地位が受け渡される間、一時的に両方の手の上にそれがある間、2人は対等だった。

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