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不慣れな使者

 翌朝、ナイブスのエンジンの試運転をやった。燃料が死んでないか、グリスが固まっていないか、諸々の確認のためだ。プロペラのピッチもつけなかったし、車止めもしていたので機体はガレージの前から微動だにしなかった。油圧が通ってフラップと足の蓋が持ち上がっただけだ。

 30分くらい様子見するつもりだったのでその間カイはコクピットの中で無線機の制御盤にヘッドセットをつないでレース仲間が飛んでいないか確かめていた。

 モルによると、フォート・アイゼンが崩落して以来、東部辺境のレース機乗りたちはたむろする機会を失っているようだ。エトルキアの近場には他に手頃な廃墟がないのだ。

 モルによると、というのはつまり島の食堂に立ち寄る貨物機パイロットたちからの情報だ。貨物機とレース機が直接絡むことはないけど、近くを飛んでいればレーダーに映るから存在は認識できる。いるかいないかくらいは知っているわけだ。


 1人答えた。

〈よう若僧、生きてたか〉

「その声、ブレスだな」

 渾名だ。マイクの不具合なのか、それとも彼の喉の構造の不具合なのか、無線の頭とか途中に「ツスー」と息を吸う音が入るのでそう呼ばれていた。今もそうだった。

「どこにいる? アイゼンか」

〈アイゼン? アイゼンに集まっても仕方ないだろ。島がないんじゃレースのしようがない。エルドバーンだよ〉

「エルドバーン? あのエルドバーン? 240キロも離れてるじゃないか」

〈そうだよ。最近集まってんのはせいぜい4機だ。あとはみんなベイロンの衛星島に渡っちまったよ。せっかく回廊が通ったんだからってな。向こうの方が環境はいいし、何より渡るのも飛ぶのも合法だ〉

「ベイロンって、衛星島じゃ生活は良くならないだろ」

〈それがどうした。グランプリの本番コースで飛べるんだぞ〉

「良いことずくめみたいに聞こえるけど、だとしたらなんでお前は残ってる?」

〈俺か? 俺はな、他のバカどもよりまだ分別かあったってことさ〉

 要するに渡ったところで食い扶持がないのだ。衛星島の廃れ具合はカイも見てきた。


 昼過ぎ、双発のレシプロ機が下層に現れた。エンジンナセルがどんぐりみたいに太くて、反面、胴体は人間が乗れるギリギリの幅まで削がれていた。主翼は短く前後に長い低空・高速向きの設計。下面から側面が白で上面が藍色。

 滑走路の上をパス、何度か旋回、たぶん着陸に長さが足りるか確かめたのだろう、それから脚とフラップを下ろしてアプローチ。前脚の長い前輪式だ。

 1回目は表面効果に乗ったせいでタッチダウンが滑走路の真ん中くらいになって完全にオーバーラン。タッチアンドゴーで再上昇、今度は滑走路の端でフレアして失速、主脚のオレオが沈み切るくらいドスンと降りてそのまま突っ走り、反対の端まで走ってやっと止まった。お世辞にも上手い操縦とは言えない。

 機首の先端が甲板の縁を超えていた。プロペラをリバースピッチにしてバック。勢いがつきすぎてブレーキの時に機首が上がって尻餅をついた。尾輪代わりの橇がついているおかげで機体の方は大丈夫そうだけど、再び前脚をついた時に中の人間はかなり衝撃を食らったはずだ。


 コクピットから出てきたのはマグダだった。ベイロンのスタイリストのマグダだ。クローディアのバトルドレスを作ったマグダだ。

「ハロー、2人とも」とマグダ。片手で首を押さえていた。

「ドラグーンだ。なんでこんなもの」

「ドラグーン?」

「16時間耐久用のレギュレーション機だよ」

「え、ああ、知ってるわ。そう、ドラグーン。借りたの」

 マグダはコクピットの中のハンドルを引いて格納式のタラップを下ろした。

 白と水色の――ずいぶんボディラインの出るフライトスーツ――キャットスーツと言った方がいいかもしれない。ろくに与圧も暖房もないレース機で寒くなかったんだろうか。そんなことよりクイーンとしてのプライドの方が大事なのかな。確かに素晴らしい脚の長さだ。

「前にネーブルハイムに来た時はベイロンのコミューターだった」とカイ。話――というより目を逸らした。

「そんなので来たらエトルキア軍に目をつけられるでしょ。今日はエトルキアの味方をしに来たってわけでもないし。だから、ほら、無線も使わなかった」

「なるほど……」

「いや、用件って?」とクローディア。そうだ、納得してる場合じゃない。

「カイ・エバート、リリス様が呼んでこいって」

「リリス?」

「ギグリ様のあとを継いでベイロンのレースを仕切ってるクイーン」

「なんで」

「名前を借りたいんだと思うけど」

「借りる?」

「その方が人気が出るからってことかな」

「構わないけど」

「じゃあ来てくれる?」

「えっ。行くのは名前だけを貸すってことになるのかな」

「どうだろう、受け取り方によるんじゃない?」

「また島を離れるの?」とクローディア。

「とりあえず休憩を入れたら。燃料は?」

「大丈夫、あと3000キロは飛べる」

 さすが16時間ぶっ続けで飛ぶ耐久機。タンクの容量が違う。というか逆によくそんな大量の燃料を抱えたままこの小さな滑走路に降りようと思えたものだ。


 でも、なぜこんなタイミングで? まだ島に戻って2日目だ。どこに網を張っていた?

 たぶん、無線を拾ったのだ。今朝の通信を傍受してカイ・エバートが島に戻ってきていると悟ったのだろう。

 マグダはそのあたりの事情は把握していないようだった。

「さあ、なんでかな。でも急だったことは急だったね。今日の朝だもの。顔が利くのは私だけだからって」

 ドラグーンの名前を意識していなかったのも、自分で選んだんじゃなく乗せられたからだ。言われたら詮索する前にとりあえず実行するタイプらしい。

 とりあえずドラグーンを甲板に係止してマグダを家に上げた。フライトのあとは喉が乾くものだ。


「行くつもりなら、アルルを連れていったら?」とクローディア。「ベイロンなら知れてるでしょ」

 クローディアの気持ちも理解できた。島を離れる度に不安な思いをさせるのももううんざりじゃないか。実際カイもそう思っていた。

「でも、行くなんて言わないよ」

「本当にそうか、聞いた方が早いわ」


 クローディアは診療所の昼休みに乗り込んでいってその質問を投げつけた。

 なんだかとんでもないバトルになりそうな気がして後ろからついていったわけだけど、答えは意外なものだった。

「少し考えさせて」アルルは一度俯いて、それから窓に目を向けた。「……うん、……いや、連れていって。できるだけ早く、私の気が変わる前に」

 クローディアが振り返った。彼女は一体何を察していたのだろう?

「カイ」とアルル。

「ん?」

「でも、できるだけ揺らさないで。特にマイナスGはやめて。それが条件」

「ああ、うん」

「何が必要?」

「食べ物も、着替えも、向こうで手に入る。エクスも使える。飛ぶ前にトイレには行っておいた方がいい。それだけ」なんだか理解が追いつかなくて当たり前のことを当たり前のように答えることしかできなかった。


 午後の診察は手伝いの軍医先生に任せてしまえばいい。確かに「今すぐ」は不可能ではない。

 本当にアルルがトイレに行っている間にカイはできるだけ機体を揺らさないフライトについて考えた。

 大気が一番落ち着くのは午後2時頃だ。晴れの日がいい。雲を避ければ即ち乱流を避けることになる。

 機体の方はどうか。スピードが遅いほど強烈なGはかからなくなる。反面、慣性が少ないと横風に煽られやすくなる。細く、重く、翼の小さい、つまり翼面荷重の大きなレシプロ機が適任だ。

 それはナイブスじゃない。ドラグーンだ。最高速度は800km/h、巡航ならせいぜい600km/h

 しかしそうなるとナイブスをマグダに任せることになる。心配だ。

「2人で行ってくればいいのよ。私は呼ばれてないし、モルもいるから大丈夫。あのレース機なら3人くらい乗れるんじゃない?」


 アルルのために塔メインシャフトのエレベーターで最下層まで戻ってドラグーンのコクピットを確かめた。思ったとおりだ。基本的にタンデム2座だが、座席の足元に細い通路があって胴体内にもう1席隠されていた。耐久レースはパイロット2人が交代で操縦する。3つ目のシートは仮眠用だ。シートと言ってもリクライニングが効いていてベッドに近い。


 マグダはリビングのソファでうとうとしていた。

「もう決めたの?」

「悪いけどできるだけ早く飛びたいんだ。行くよ。帰りの操縦を任せてもらえるなら」

「全然、オーケーだよ。その方がありがたいくらい」

 マグダはフライト前の点検項目をあまりきちんと把握していなかった。初めて触る飛行機なのに自分の方が慣れているみたいに思えるくらいだった。いや、マグダだって初めて乗ったのかもしれないけど、それにしたって操縦できるにしては飛行機そのものに不慣れじゃないか。

 もしかすると、操縦スキルがないと採用しないとか、ベイロンのクイーンにはそういった条件があるのかもしれない。マグダは服飾の方ができるから操縦はギリギリのラインでも足切りに遭わなかったんだろうな。リリスという人はマグダの本当の技量を知らなかったんだ。うん、そういうことにしておこう。

 まるでお仕置きみたいにマグダを奥の席に押し込んで、タンデムの後席に座らせたアルルをベルトで固定した。なんだか誘拐犯みたいな気分だ。


 ドラグーンは快調だった。イグニッションシーケンスどおりで一発始動、機体を揺するほどのモーメントがかかってまず右エンジンが回り始め、バッテリーの容量が回復したところで左エンジンにも火を入れた。計器盤の各種赤い針が右に振れていく。ブースト計の目盛りが1000まであって目を疑った。単位が違うんじゃないか。いや、そんなことはない。フルパワーで片肺3000馬力近いんじゃないか。ナイブスとは比較にならないモンスターエンジンだ。

 クローディアが手を振っていた。見送りの言葉をくれたようだけどエンジンとプロペラの爆音にかき消されて何も聞こえなかった。

 キャノピーを閉め、滑走路の端から加速。浮き上がりもしないけど、甲板を抜けたからといって沈み込むわけでもなかった。離陸というより射出だ。

 風は落ち着いている。雲はひつじ雲がまばらに見えるだけ。邪魔にはならないけど、地上が丸見えだから高度を感じやすいコンディションと言える。

 旋回計で極端なGがかからないように注意しながら、緩上昇で島を巻くコースに入った。貨物機の発着の邪魔になるから中層甲板より上には上がれない。大きな甲板が蓋のように影を落としている。

「左を見てみな。目を瞑っていると酔いが早くなる」

 ミラーで後席の様子もわかる。アルルはガチガチの石化を解いて恐る恐る顔を上げた。

「これがタールベルグ?」

 たぶん学生の時は貨物機に相乗りしたから島の全景を見ていなかったのだ。旅客機と違ってコクピット以外全く窓がない機体もざらだ。

「思っていたより小さいのね」

「島なんてどこもこんなもんだよ」

「そう?」

「そう」

 カイは振り返ってきちんとアルルの様子を確かめた。高度そのものにはさほどの恐怖は感じていないようだった。怖いなら大地や空の高さから目を逸らすはずだ。

 塔の影が回り、機首の方から光が入ってきた。アルルはその日向の中で眩しそうに目を細めていた。

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