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ワイバーンの遊び

「ワイバーンの餌やりはどうだった?」

「だめだった。逃げちゃったよ」

 キアラは母に答えた。カイエンと対面した翌朝だ。切る食材がない時は台所には入らない。テーブルに顎を乗せて寝起きの体に血が行き渡るのを待つ。

「座礼はした?」

「したよ」

「遥拝は」

「した。形じゃないと思う」

「少しでも見下しの心があったと思う?」

「ない」

「畏れは?」

「ない」

「畏れっていうのは恐怖じゃなくて尊敬だよ」

「うん。……あ、逆だ。ないとだめなんだ」


「そんなに自信があるならデモをやってみたら?」と母。スープ皿に出来合いのコーンスープ。

「デモ?」

「実力を示すの。見どころのあるやつだと思われればキアラの尊敬にも意味がついてくる。弱い天使にいくら尊敬されてもワイバーンは面白くないからね」

「ワイバーンにもわかる実力って」

「それを自分で考えるのよ」


 実力?

 他の天使とは違うってところを認めさせたいわけだから、そういうことなら、奇跡か。

 しかしカルテルスは戦闘奇跡だ。傷つけるわけにはいかないし、御前で剣舞というのもマヌケだ。誰かを連れて行って試合? 物騒だな。敵対行為と取られかねない。何か根本的に違う。そういう方向性ではない。

 次の餌やり、キアラはバスケットにリンゴをたくさん詰めていった。

 それでまず丸のままカイエンの前にリンゴを置いて、それから2つ目をカルテルスでもってぐるぐるっと剥き、きれいな剥きリンゴになったところで1つ目の横に置いた。

 カイエンはリンゴを目で追いはするものの体の方はピクリとも動かさない。つまらなそうだ。

 キアラは3つ目を12等分にして芯をくり抜き、皮を剥いて皿に並べた。それからイチョウ切りや賽の目切り、輪切りも試してみたけど反応はよくなかった。よくない、というかゼロだった。大きな目の表面に自分の動きが写るのがせめてもの慰めみたいな感じだった。

 こうなるともう飾り切りくらいしかない。皮をつけたままウサギからハクチョウから色々やってみた。で、透かし彫りまで来たところで途中で「これは違うな」と思った。

 やっぱり方向性が間違っている。こういうことじゃない。手を止める。カルテルスを仕舞う。醒め。モチベーションの限界だ。

 少し待ってみたけどカイエンはリンゴを食べなかった。


 いろんな形になったリンゴを持って帰ると母はすごく笑った。

「あのね、ワイバーンは奇跡を使わないでしょ。天使なら奇跡を使うものだって思ってるのよ。程度の違いはさほど意識してないの。それで見せびらかしたって、そういうものでしょ、くらいにしか思えないわよ」

 つまり、興味がないんだ。なんだよ、まるで恥ずかしい奴じゃないか。

 

 ワイバーンにもわかる凄さってなんだ?

 例えば足の速さだろうか。確かに天使の中では速い方だけど、それでもワイバーンには到底及ばないし、単純なトップスピードではグリフォンにも敵わない。

「いいんじゃない? それならワイバーンにもわかるし。一緒に飛んでそれを示せばいい。勝つ必要はないし、どだい無理な話よ。天使にしては速いな、で十分」

「でもワイバーンの基準で見るわけでしょ」

「そうね」

「言うほど簡単じゃないでしょ。多少の違いじゃワイバーンにはわからないだろうし」

「ほら、心がけがよくない。行動だけじゃワイバーンはついてこない」


 カイエンは2日か3日に一度、だいたい11時から14時、太陽の高い間に30分くらい日光浴に飛ぶ。

 キアラは塔のてっぺんにある農業プラントで時間を潰してその時を待った。

 窓の外にきらりと光るものが走った。

 漂流物かな。いや、だったらそんなに速く動かない。

 キアラは防寒用のジャケットに袖を通してエアロックの外に出た。

 下界は雨だった。雲海高度は2000mくらい。はるか眼下だ。雨雲は山の斜面を登らないので見分けられる。山々のピークが岩礁のようにぽつぽつと頭を出していた。

 カイエンは水平線より上だった。塔より高いところを飛んでいる。

 2頭の子供も一緒だ。どちらかといえばいいサインだ。子供に合わせて単独よりスピードを落として飛ぶし、飛び方にも変化をつけることが多い。天使でも追いつけるタイミングがあるかもしれない。

 問題は高度だ。キアラは桟橋から飛び出して翼を広げた。重力が消えて体が落ち始める。さほど風圧感じないのに落下が速い。もう桟橋の裏が見える。空気の厚みと重力の釣り合いが低空とは違う。

 体を立てて高度を上げる。高高度は翼が長い方が楽なんだけどな。キアラはどちらかといえば翼開長が短い方だった。

 上昇気流があてになる高度でもない。頑張って羽ばたく。息が凍って頬がぱりぱりしてくる。


 ワイバーンの親子は相変わらず頭上を旋回している。透けた宇宙の黒さに輪郭を溶かしながら鱗の上に剥き身の強烈な太陽光を映している。

 高速で飛ぶ時のワイバーンはあまり翼を動かさない。翼の向きを微妙に調節して体の周りに低圧で流れの速い空気を集めているようだ。このあたりのロジックは超音速流体の挙動に踏み込んでいてどうも感覚的には理解が及ばない。全体のスピードが音速以下でもワイバーンの体に押しのけられた空気は流速が上がって部分的に超音速で流れる。見かけほとんど翼を広げただけで加速していくから、それこそ飛行機みたいだ。エンジン音がしないのがだんだん不思議になってくる。

 子供の片方が左にロールした。やや翼をすぼめて緩降下。シルエットがぐぐっと回ってこちらに向かってくる。

 目をつけられた?

 ぶつかればタダでは済まない。右に旋回して避ける準備。

 子ワイバーンはその旋回に食いつくみたいに外角から回ってきた。背後から白い巨体が迫ってくる。真っ黒い影が一瞬頭上を覆った。

 蹴り? いや、尻尾か。

 キアラは翼を畳んで体を捻った。背後を鞭のようなものが通り過ぎる。後流の吸い込みで強引に体が回された。復帰の間に子ワイバーンは上に抜けて、上方50mくらいのところで急減速した。

 ワイバーンの鱗は普段は立っているのでいかにも龍らしいトゲトゲゴツゴツした姿をしているけど、高速飛行時は空気抵抗を減らすために全部寝かせてぴったりと皮膚に沿わせる。全身つるっとぬるっとした感じになる。龍というよりヘビとかトカゲの質感だ。両方見比べるとわりと同じ種類の生き物と思えないような変身だ。

 減速で子ワイバーンの全身の鱗が開く。鱗の表面に付着していた氷が弾かれてダイヤモンドダストのように舞った。乱流に巻き込まれてリング状に渦を巻く。

 子ワイバーンは尻尾を打ちつけて反動でターン、逆落しに向かってくる。頭が前だ。遊んでいるのだ。本気で仕留めるつもりなら足を使っているはずだ。

 むろん、だから安心なんてことは一切ない。遊びでも他の生き物を弄んで殺すこともあるのがワイバーンだ。そのうえ子供は活発だし、体が小さい分敏捷だ。

 子ワイバーンはまた上から襲いかかってくる。スピードとエネルギーで負けている以上、小さい動きで躱すしかない。

 視界を塞ぐようなシルエットが眼前すれすれを飛び去る。

 再び開けた視界の真ん中にワイバーンの頭があった。カイエン? 違う。もう1頭の子供だ。

 キアラは相手の鼻先を押さえて自分から後方に飛び込んだ。翼同士が掠って羽根が散った。

 一瞬触れただけなのに手のひらが擦り剥けていた。

 子ワイバーンたちは複雑に――というかもはややけくそに翼を打って競うように向かってくる。

 このまま避け続けるのは不可能だ。キアラはたまらず急降下に入った。

 ダイブは得意だ。加速でもトップスピードでも他の天使にはそうそう負けない自信がある。

 が、子ワイバーンは軽々と追従してくる。追従、というかもはや追い抜くのを我慢している感じだ。ジグザグに飛んで代わる代わるまとわりついてくる。ロール、ロールで死角に潜り込む。2頭の間に挟まれたら跡形もなくヤスリがけされてしまうだろう。実際、避けようのない接触が無数の切り傷に変わっていった。

 雲海が近づいてくる。

 急減速でオーバーシュートさせて腹側にマイナスG旋回、少し雲に潜ってから顔を出した。

 逆に旋回したと思ったのだろう。子ワイバーンたちは200mくらい離れたところできょろきょろしていた。

 が、間もなく被発見。身を翻して向かってくる。リードを使って逃げ切れるか。キアラは塔を目指した。目算ぎりぎり。だめならもう一度雲の下に飛び込もう。

 にわかに雷鳴が響き渡る。ドーンという単発のやつだ。そんなに帯電した雲だったか?

 いや、違う。

 キアラは翼を半分閉じてロールで一瞬背面になった。

 真っ青な空から矢のようにまっすぐ降ってくるカイエンの姿が見えた。纏った衝撃波がうっすらした上層雲を円形に薙ぎ払う。

 カイエンは狙い澄まして2頭の子供の間を突き抜け、雲の上に降りるかのように翼のひと打ちで急減速。そこでまた衝撃音が聞こえた。さっきより高い。鞭を打った時の音だ。

 子ワイバーンは2頭とも煽られて体勢を崩した。立て直したけどフラフラしていて、なによりスピードがない。衝撃波が耳に来たのか。

 カイエンは2頭の進路を塞ぐように前に出て、足でもって首の後ろを掴んで逆方向に放り投げた。

 キアラは目についた桟橋に飛びついた。

 自分でもびっくりするくらい息が上がっていて、深呼吸しようとすると逆に喉が締まってえずいて胃の中のものが出てきそうだった。四つん這いでも辛い。楽になるわけでもないけど体を倒しておいた方がまだマシだった。

 目を上げると3頭のワイバーンが上昇気流に乗って舞い上がっていくのが遠くに見えた。磁器みたいな白さだ。

 雲が盛り上がってきてワイバーンも青空も覆い隠した。雨が桟橋に打ちつけ、髪も翼も濡らしていった。

 染みる。切り傷擦り傷まみれだ。惨めだ。でも雨で人目がなかったのはむしろ幸いか。


 ワイバーンは塔の下層には近づかないように叩き込まれている。街中で暴れると手のつけようがないからだ。それこそ雷などを操る天使が見張って実体験で覚えさせる。ワイバーンの方はたぶんそれが天使の仕業だとは思っていなくて、塔の下層に近づくと生じる自然現象だと認識している。神の仕業なら原因は排除できない。仕方ない。

 カイエンは十分教育されている世代だから、子供が打たれると危ないと思ったのだろう。天使を助けるためじゃない。もしそうならもう少し早いタイミングで仲裁に入ってくれてもくれてもよかったはずだ。

 それはわかってる。わかっちゃいるけど、カイエンがいて助かったと思わないわけにはいかなかった。

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