魔杖と機関銃
ヴィカはエレベーターに乗ってエリスヴィルの最下層よりさらに下を目指した。そこは塔そのものの基盤設備を集めた区画で、フラムスフィアのすぐ上の高度に位置するため住民が立ち入るような場所ではなかった。
最上層と同じくらい小さな甲板しかなく、それもほとんどプラントに占められているので広い空間もない。
眼下にはフラムの雲を渡る赤い雷が走り、風が吹くと雲そのものも甲板の裏側にぶつかるくらいまで上昇してきた。
2人は念のためガスマスクを携帯して甲板の縁に立った。
「魔術を扱ったことは?」ヴィカは訊いた。
「ないです。俺の島はそういうのとは無縁のところでしたよ。触媒なんて貴重品はまず入ってこなかった」カイは首を振って答えた。
ヴィカはホルダーから携杖を抜いてカイに持たせた。
「魔術の出力方式は基本的に熱、電気、光、振動、磁力、重力の6種類があって、多くの魔術はその複合だから単に使う分にはあまり気にする必要はないんだが、人によって向き不向きが出るのはこれが要因でね。いくつか典型的な術を試してみよう」
ヴィカは背負っていた長杖を抜いた。背丈ほどのアルミ合金の棒だが、矛状に広がった先端に出力魔素の結晶が嵌め込まれていた。ド=ジュアン工房製エール・サフィールというモデルらしい。
「オンハート(熱よ)」ヴィカがその杖を掲げて唱えると杖の先に陽炎が生じた。
そのまま杖の先を甲板に近づけるとだんだん表面が煤けて黒く変色してきた。
カイも同じように携杖を掲げ、同じように唱えた。
だがそれらしいものは何も現れなかった。手応えもなければ甲板に近づけてもまるで熱されている気配がない。
「オフス(止め)」ヴィカはそれで陽炎を止め、次に移った。
「ヘオフォンフュール(稲妻よ)」と唱えると甲板の手摺に向かって細い雷が落ちた。
「レート(光よ)」と唱えると杖の先に電球のような光源が浮かんだ。
「ビフィアン(振動よ)」と唱えて杖を手摺に当てるとビィィィンとハウリングのような音が響いた。
「テオン(引き寄せろ)」と唱えると杖が手摺にくっついた。
「ウィンド(風よ)」と唱えると杖の上から風が吹き出した。
カイは見よう見まねでそれぞれやってみたが、どれもモノにならなかった。
「強いて言えば……熱、かな。少しだけ出力魔素の反応を感じたよ」とヴィカは気休めのように評価した。
カイは愕然とした。あんな手応えのなさで可能性があると言えるのか?
「ま、いずれにしても血中魔素が慣れていないんだろう。いきなり使えるやつも時々いるんだが、時間をかけて覚えるしかないだろう」ヴィカはそう言ってサブマシンガンのケースを爪先で軽く蹴った。セローP590。これもエトルキア軍の制式装備だ。ブルパップタイプで、マガジンがストックの上にあり、銃口の下に丸いグリップがついていた。
ヴィカはそれをケースから取り出し、連射モードの切り替えや装填方法、手動コッキングの手順、構え方などを実演しながらカイに教え、それが一通り済むと実包入りのマガジンを差し込んで甲板の外に向かって3点バーストで一斉射した。
マズルフラッシュ。
発砲音の響き。
弾は雲の中へ静かに消えていった。
「撃ってみろ」
カイはヴィカから受け取ったP590のストックを肩に当て、下に見える赤い雷を狙って撃った。
「うん。いいだろう。銃の方がよほど様になってるよ」
ヴィカは剥離した甲板の舗装の破片をいくつか拾って30mほどの距離に並べ、それを狙うように言った。
「サブマシンガンとライフルの違いは弾だ。サブマシンガンは拳銃と同じ弾だから100メートルや200メートルの遠距離は狙わない。有効射程はせいぜいこれくらいだ。今回の作戦で撃つとなったらこれくらいの距離だろうからな」
カイは銃の上についた照門と照星を視界の中で重ねて破片に狙いをつけ、1回1回集中して何度も撃った。照準のつけ方と反動を体で覚えた。
「よし、私に向かって撃ってみろ」ヴィカは手を広げた。
「は?」
「私を撃て」
「死にますよ」
「バカを言うな。掠り傷のひとつでもつけられたら大したものだ」ヴィカはそう言って目の前に杖を立て、「キール・フォルヘオル・ベオルガン(固き盾よ吾を守れ)」と唱えた。
視覚的なエフェクトがなにも生じないのでカイはためらった。
「撃ちますよ、ほんとに」
「ああ。何をぐずぐずしている」
引き金。
3点バースト。
カイは目を瞑りたくなるのをこらえて弾の軌道がヴィカの体めがけて飛んでいくのを見届けた。
だが弾は杖の前で突然弾けて軌道を変え、カイの足元へ跳ね返ってきた。
こすり取られた弾丸の表面が黒いシミになって甲板の上に残っていた。
「どうだ。人を狙う感覚がわかったか?」
「少しは」
「銃を向けるということは、すなわち自分も銃を向けられているということだ。それもいいな?」
「はい」
そうか、やはり狙って跳弾させたのだ。
「こういうこともできる」ヴィカはそう言って「スティーエル・ビル・アティーヴェ(鋼の剣よ姿を現せ)」と唱えた。
すると杖の先端に大剣ほどの刃が出現した。どう見ても実体剣なのだが、ヴィカはステッキのように軽々とそれを振り回した。
カイは再び撃った。
ヴィカは何食わぬ剣捌きでまるで踊るようにその弾を全て弾き返した。
カイはだんだん何をやっても彼女には通用しないんじゃないかという気持ちになってきて、いささか安心しきってフルオートで撃った。
すると弾切れの手応えとほぼ同時に何か刃物で切られたような感触が左脚に走ったのを感じた。
見るとズボンに穴が開いて足首から出血していた。
深い傷じゃない。掠り傷だ。
「言っただろ。これは実弾なんだ。油断するんじゃない。遊んでるように見えるかもしれないが私だって真剣だぞ。気を抜いたら本当に死ぬからな」
カイは弾薬箱を開けてマガジンに弾を詰め直し、コッキングレバーで装填を終わらせた。
「いいぞ。かかってこい」ヴィカはそう言いつつ自分から近づいてきた。
カイは左手に走ってプラントの影に隠れ、そのブロックをぐるりと回ってヴィカの背後を突こうと考えた。
回り込むとヴィカは確かに背中を向けていたが、杖を後ろに振って弾を弾き、左手で携杖を抜いて「ハート・ナードル・スティンガン(熱き針よ貫け)」と唱えた。
「どうした。仲間を殺した相手だぞ。本気で来い。一発くらい食らわせみろ」
カイは脇腹に何かが掠るのを感じたが、とにかく物陰に隠れ、走って再び回り込みをかけた。
しかしヴィカはそれを先読みしたようにカイの目の前に現れ、左手でマシンガンのハンドガードを押さえて射線を反らし、杖の頭でカイの腹をどついた。
「この間合いなら拳銃の方が有利だろうな」
カイは一瞬剣の切っ先が腹に突き刺さったような気がしたが、杖の先に現れていた剣は消えていた。腹に刺さったのは魔素結晶のホルダー部分だった。
「なめるなぁっ」カイは後ろに倒れながら足をかけてヴィカを引き倒した。
ヴィカが歯を食いしばるのが見えた。
力ずくで体勢をひっくり返し、のしかかりながら膝蹴りを入れた。
妙に固い感触だったが、1発は1発だ。
そう思ったのも束の間、
「ベルスタン(爆ぜよ)」というヴィカの詠唱によってカイの体は浮き上がった。
吹き飛んだカイが起き上がるとヴィカは鳩尾をさすって咳き込んでいた。
「気が済んだか、少年」
「いや、結構辛そうですけど」
「大丈夫だ、問題ない」
「というかあなたがけしかけたんでしょう。気も済んだも何も」
「少しは生死がかかる感触を感じられただろう」
「まあ、少しは」
「だが私は君を本気で殺そうとしたわけではない。それは覚えておけ」
「悔しそうに言わないでくださいよ」
カイは自分の脇腹をさすった。さっき何か刺さった感触があったが、どうやら感触だけだったようだ。そういう演習向けの術もあるということか。
とりあえず座り直してその場で息を整えた。
「銃では魔術に太刀打ちできないんですか」
「いや、そんなことはないよ。プラスマ・ダルジェン程度の携杖では並みの兵士が使っても拳銃程度が限界だろう。私ならライフル程度は防げるが、対物ライフルや重機になると長杖でも連射は厳しいな。それ以上の口径になるとかなり微妙に角度を合わせないと無理だ。だいたい、そうでもなければこうして銃が普及していないだろう。戦闘機にしても、実体をもって現前する機械にはそれはそれで長所になる安定感があるんだよ」
「なるほど」
「その点、奇跡はいいよ。詠唱不要だからな。秒コンマ以下で矢継ぎ早に次の術を送り出せる。銃の連射以上の速さで盾を出していけば絶対に破れない。それをやってるのがギグリだよ。あの大天使がいる限りフェアチャイルドはほぼほぼ無敵だ」
「暴力は悪手だっていうのは――」
「そうさ。半分はあれのせいさ。とにかく、明日は頼むぞ、少年」ヴィカは長杖を背負ってカイを引っ張り上げた。
その時エレベーターの階数表示が動いた。
ヴィカは長杖を扉に向けたが、降りてきたのはシュナイダーだった。かなりまずった表情だった。
「悪い知らせですね」ヴィカは察しをつけた。
「ああ。カイ、操縦を頼めるか」
「何の操縦です?」
「レース機の。グライヴィッツが降りたんだ」




