砂丘
イドラのカーゴベイはまるで木漏れ日が降り注ぐかのように明るくなっていた。しこたま砲撃を浴びたせいだ。飛行機が撃っていい口径の砲じゃない。
それでもこれだけ穴だらけでまともに前半分と後ろ半分が繋がっているのはイドラの頑丈さなのだろう。機内ではフラムマスクをつけた盗掘家たちが倒れた仲間を救助していた。
〈敵機直上〉機内放送だ。
そう、この時まで誰も敵が2機いたことに気づいていなかった。レーダーをアクティブにした瞬間に反撃を受けて潰されたせいだ。
直後、鈍い衝撃とともに足元がふわっと沈み込んだ。
体当たりか?
押し込まれて地面に擦ったのか大きく減速。カーライルもカーゴベイの前方に滑った。車内に閉じこもっていたエドワードとイーグレットも揺さぶられた。
その間に敵は兵士を機内に突入させてきた。装備はともかく配置についていなかった盗掘家たちは転げ落ちるようにしてカーゴベイに降りてきた。
イーグレットがキューポラの機銃を使おうと砲塔に登ってきたがエドワードは制止した。
後部ランプの開口に天使が姿を現した。
パッと見で型まではわからないが、とにかく対戦車ロケットを構えていた。的確に車体を狙ってきた。カーライルの装甲は正面から携行火器に抜かれるほどヤワじゃない。それでも衝撃で装甲の内面が剥離し、細かな金属片になって車内を跳ね回った。
エドワードは咄嗟にイーグレットの顔を守った。包帯をしている手なら怪我をするほどではない。
空気が叩かれて頭がクラクラする。が、とにかくこのままではいいように料理されるしかない。
「イーグレット、煙幕。同軸機銃で牽制」
エドワードは操縦手席に飛びついてアクセルを踏み込んだ。
イーグレットは砲手席でトリガーを握りながらスモークグレネードを撃ち出した。グレネードの筒状の弾子がイドラの内側で跳ね返りながら黒い煙を吐き出す。煙は風圧によって絶えず後方に吸い出されていく。カーライルは伸び切ったワイヤーを引きちぎり、ランプから飛び出す。
幸い高度は5mもなかった。カーライルはほぼ水平を保ったまま砂の上に着地した。
それでも腹打ちするほどサスペンションが沈み込み、吸収しきれなかった衝撃が車体を揺さぶった。首の骨が折れそうだった。
「大丈夫か?」
「はい、なんとか」
カーライルは快調に走り続けた。イドラの気配は後方に遠ざかっていく。銃声も遠ざかっていく。
「いずれこっちも熱探知される。急ぐぞ」
エドワードは多機能ディスプレイを地形図に切り替えて迂回ルートを決めた。
幸い30分以上猶予があった。兵器の墓場は見事な砂砂漠だった。軟らかな砂を積み上げたなだらかな丘が無限に連なっていた。風はあったが、砂を巻き上げるような乱流が起きないのか視界は1kmほどで安定していた。
「墓場? 何も見えませんよ」イーグレットは車長席のペリスコープで周囲をじっくりと見渡した。
「砂の下だ」
「埋まっているのですか」
「そう。だから上から見ただけじゃわからない。レーダーが届く深度もせいぜい数メートル。コンクリートと金属の見分けもつかない。地上から磁気探知でもやらなきゃ見つからない」
「あなたはどうやって」
「先にコントローラーを見つけていたんだ。たまたまこの場所でリンクを打ったら接続先のユニットに囲まれていることがわかった。その時で100以上あったはずだ」
「文字通りの発掘ですね。でも掘り出さなければ」
「浅いのは自力で抜け出せる。こいつもそうだった」
「どうやって燃料を……」
「旧文明のバッテリーはそんなにヤワじゃない。砂の熱からでもエネルギーを取り入れて蓄電してる」
「確かに、電気系統が生きていなければリンクに応えるはずがない」
「燃料は残ってても酸化してダメだろうが、セルが回れば十分だ」
「カーライルのリンク機能で操るのですね」
「ああ」
カーライルのレーダーが30km南西に機影を捉えた。たぶんイドラにのしかかってきたやつだ。見当違いの方角を捜索していたようだ。平野には逃げないと思ったのだろう。
「イーグレット、お前は行け」
「カーライルの操縦には少なくとも2人は」イーグレットは渋った。
「コントローラーがあれば両方やれる。最悪自律に任せてもいい」
「それなら外からでも操れます」
「距離には限度がある。電波を使うから位置も特定される。それならこの中の方が安全だ」
「それに、核弾頭を見届けてもらわなければ」
「お前に託して、それできちんと果たしてもらえたと思えればそれで十分だ。俺の本懐はやつら天使大隊だからな。絶好の機会じゃないか」
エドワードはマスクをつけて砲塔バスケットを登り、キューポラを開いた。前方からの風が吹き込んでくる。
「まだこの距離なら人の大きさは捉えられない。行け、早く」
イーグレットは砲塔の上に出て翼を広げた。風に乗って浮き上がったが、手を掴んで体を引き戻した。
「残念です。最後まで一緒にいられなくて」
「やっぱり物好きなやつだな」
イーグレットは指先に口づけして手を離した。翼の揚力に任せて勢いよく上昇していく。
エドワードはキューポラをきつく閉じてからカーライルの中を底盤まで転げ落ちた。体に力が入らなくなってきていた。イーグレットをを押し出すだけで精一杯だった。
脇腹を床に打ちつけたせいでどっと噎せ返った。ベトッとした血が口から出てきた。肺の組織まで混ざってるんじゃないか。
エドワードは一番ゆったり座れる無線手席に体を引っ張り上げてベルトで腰を固定した。
両手でしっかりとコントローラーを握る。駆動系の操作に呼応して隣の操縦手席でハンドルやペダルが動いた。大丈夫、直接操作しなくてもカーライルは動かせる。
………………
イドラの中にいたのは全て人間だった。天使はいなかった。最後に1人だけ操縦室に残して生かしたまま捕まえた。スピカの体術は見事だった。イドラというのはその盗掘家に吐かせた呼び方で、やはり大隊の誰も知らない乗り物だった。
カーライルは戦闘の最中に逃げた。その持ち主の盗掘家がイドラに乗っていたことも供述から確認できた。
スピカはイドラの掌握をB中隊に任せてすぐにカーライルを追った。
次に捉えたのはイドラの着地地点から北に30kmほどのところだった。エンジンの排熱が手がかりになった。
「アルバトロスは3機残ってるね」スピカは確認した。
「はい。高度2000まで下がってますが」
「カーライルのFCSなら確実に捉えてくるだろう。それでも主砲の装填速度より速い間隔で突っ込ませれば当たるかもしれない。どうせ飛ばしたんだ。3方向から同時に、迎撃を遅らせるように地形追従で突入させる」
終端誘導はノワからやはりレーザーで行った。操縦室の赤外線モニターが戦闘の一部始終を俯瞰で映し出した。
照準されていることに気づいたのだろう。カーライルは砲塔を回し、砂靄の中を飛んでいくアルバトロスのうち南側の1機に狙いを定めた。主砲から閃光が飛び出し、わずかに蛇行するアルバトロスの鼻っ面を的確に撃ち抜いた。弾頭が砕け、誘爆の火炎が飛び散る破片を包み込む。
ただこの時すでに他の2機はカーライルの背後から残り1kmまで近づいていた。到達まで3秒。いくらカーライルでも装填が間に合わない。あとは装甲が耐えるかどうかに思われた。
が、2機のアルバトロスは次の砂丘を超えたところでほぼ同時に撃墜された。
機銃の火線が砂の中に走った。射点はカーライルではない。
「AA(対空砲)です。カーライルから北北東800メートル。砲身加熱を感知」
「陣地?」
「いや、自走砲です」
「エンジンもレーダーも休ませていたわけだ。なるほど、他にもお仲間がいたか」スピカは腕を組んだ。「クローディア、今我々にはカーライルの射程外から一方的に攻撃する手段がない。エクリプスなら狙える?」
「狙えても、この砂靄の濃さじゃ拡散と減衰で大した威力にならない」
「アウトレンジから安全にやるのは無理だね」
ちょっと演劇じみた会話だった。奇跡でなんとでもなるんじゃないかと思っている隊員を納得させておかなければならないからだ。
ノワは砂丘の陰に着陸してA中隊を降ろした。ノワの中には指揮用のトラックの他、ノーズレスが6機積み込まれていた。スタントンホールで使った荷役用の4足歩行ロボットだ。
ただ今回は背中に対戦車ミサイルを4発積んだものが3機、重機関銃とその弾倉を積んだものが3機の編成だった。ミサイルも重機も天使のキャパシティでは運べない。仮に運べてもまともに動けない。天使は機動力はあるけど重い荷物は運べない。火力支援を任せるのだ。
〈アルファ、ブラボー、チャーリーは6時のポイントへ、デルタ、エコーは3時のポイントへ進め〉
A中隊は十字砲火になるように南側と東側に分かれて相手に近づく。アルファがカーライルを正面から、デルタが側面から対空砲を叩く作戦だ。
天使たちは砂丘で姿が隠れるように地面スレスレを飛ぶ。ノーズレスがその後を追って全力で駆ける。持ち前のスピードとペイロードを活かした使い方だ。先を行く天使がリモコンを持っていて、それがマーカーになっているのだ。スピカ直轄のアルファチームはトラックで後を追った。クローディアもアルファに同行した。
20km地点から砂丘の陰を辿って5kmまで距離を詰めた。砂のせいで目視はできないが赤外線スコープはカーライルをはっきりと捉えていた。
「こっちに正面を向けてるね。横を向かせる?」スピカは稜線に腹ばいになってスコープを覗いていた。
「いい、このまま。それ外しておいた方がいいよ。センサーが焼けると思う」
クローディアは右目だけスコープを通して、両目で交互に見て慎重に狙いをつけた。
こんなやり方できちんと当たるんだろうか。
ホーンは周辺の光源、特に太陽の光を屈折させて任意の焦点に収束させる環境依存の奇跡だ。自分の根源を使って光線を撃ち出すパルスとは異なる。ホーンに関しては弾道とか射線はあまり重要ではない。問題は焦点だ。距離が狂うと全然威力が出ない。もちろんパルスでは戦車に対して完全に威力不足だ。
赤外線スコープは基本的にパッシブで使うので距離は測れない。一応発信器もついているのでアクティブでも使えるが、相手がその手のレシーバーを装備していればこちらの位置を知らせることになる。カーライルならまず間違いなく装備している。レシーバーのついていなさそうな足回りを狙って何度かアクティブに切り替え、どうにか反射波を拾った。
5221m
あまり感覚的な数字じゃない。
最初少し奥に落として赤外線の陰を見よう。焦点を手前に動かして影がなくなればその時点で命中しているということだ。照射時間が限られているわけじゃない。
クローディアは目が焼けないようにスコープを少し離した。
「いくよ?」
「妙に動きがない。こっちを待っているのかもしれない。総員、気を抜くな」
「3、2、1」クローディアは自分でカウントをとった。
頭上の靄がパッと点滅、真っ白く光った。
スコープの暗い背景の中に白く浮き上がるように見えていたカーライルのシルエットだったが、明暗がまるっきり反転して黒く沈み込んだ。
焦点を手前に。画面全体が白くなり、装甲の表面で跳ね返った光が水のように辺りにほとばしった。
エネルギーの奔流を浴びて砲塔正面の分厚い鋼鉄が沸き立ち、急速な熱膨張によって破裂した。小規模な破裂と溶解が同時に進み、砲塔は鉄板に置かれたチョコレートのように形を失っていった。支えを失った砲身が折れて飴細工のように車体のフロントにしなだれかかった。
「カーライル、スプラッシュ」
アルファの観測手はなお両目で赤外線スコープを覗いていた。何重にも重ねた黒いフィルターがガムテープで留めてあった。
〈AAスプラッシュ〉
デルタも対空砲を仕留めたようだ。
「地表震動、前方、多数」と聴音手。
「震動?」
「エンジン音? いや、履帯の駆動音」
「しぶといなぁ……」
〈ホーテルよりアルファ・リード。上からたくさんの砂煙が見える。砂に潜っていたみたいだね〉上空を旋回するノワからの報告だ。
アルファチームの背後でももぞもぞと砂がうごめき、履帯の上から柔らかい砂を吐き出しながら、まるで浮上する潜水艦のように1両の自走対空砲が姿を現した。戦車の車体にやや背の高い砲塔、その両側に腕のように取り付けられた機関砲。早速その砲身が旋回してこちらに向かってくる。
クローディアはホーンを構えたが、その時にはすでに対空砲の砲塔が横ざまから射抜かれていた。着弾点がわずかに発光し、対して突き抜けた貫通孔からは盛大に炎が噴き出した。そういえばスピカは対戦車ロケットを担いでいた。それだ。対空砲は砂からほとんど砲塔だけ出した状態で沈黙していた。
「こっちいい、本隊をやれ」スピカは指示を飛ばした。
クローディアは飛び上がった。報告の通り、他にもあらゆる種類の戦闘車両が砂の中から姿を現しつつあった。砂靄の上に出て手当たり次第にホーンで攻撃する。
〈ホーテル、こちらが囲まれないように指示を出せ〉スピカの声がインカムから聞こえた。
〈アルファ他、そのままでいい。デルタ、エコー、南東に400メートル。進路に1両出てくる〉
〈それ、今仕留めたやつのこと?〉
〈オーケー、見えた。400は400〉
〈各員、無事だろうね。相手は砂の中から出てくる。よそから乗り込んできたんじゃない。幸い数の想定はできてる。――クローディア、あまり深追いしなくていい。機動戦になったらその奇跡は使いづらいと思って先に行かせただけだから〉
スピカの声はすでに落ち着いていた。どうやら窮地ではないようだ。焦っていたんじゃなく急いでいただけなんだ。だからさっきはああいう言い方になった。そう思うと眼下の敵もさほど脅威ではないように思えてくるから不思議だった。




