ノマド
盗掘家は12歳の時に故郷の島を失った。塔の種苗管理システムの不具合が原因で、ある日ぱったりと食料供給が途絶えた。誰もその予兆に気づかず、誰も自力で畑を耕す術を知らなかった。もともと独自の産品もなく自給的な生活で完結していた島には食料を輸入する元手もなかった。
500人あまりの島民たちは塔にあった遺物を切り売りして旅費に換え、離散して他の島に潜り込んだ。
彼もまた両親たちと遠く離れた都市に移り、家計を助けるために空軍の幼年学校に入った。軍は生まれを問わなかった。入隊時のID登録が戸籍代わりだった。
それからルフトの独立戦争が起きた。彼は陸戦隊(当時は海兵隊とも呼ばれていた)の一員として各地の島を制圧して回った。逆上陸に遭って散り散りに脱出したこともあった。
なぜ島の機能と生活をあえて自ら奪わなければならないのか、不可解だった。ルフトが提唱する社会保障の理念に共感しないでもなかった。それでも投降してルフト側に回らなかったのは家族のことを思ったからだ。置き去りにするわけにはいかなかった。
ところが復員した彼を待っているはずの家族は忽然と姿を消してしまっていた。消息も掴めなかった。ただその島ではルフト地域から流れ込んだ難民を巡って暴動が起き、少なからず死者を出したと耳にした。実際下層の街中はところどころ焼け焦げ、焼き出された人々と他の島から押し寄せた難民がごちゃまぜになって溢れていた。かつての生家もそうした人々に占拠されていた。
家族は見つからなかった。暴動に巻き込まれたとは思いたくなかった。ルフトに逃げたとも思いたくなかった。エトルキア側で戦った人間がルフト側でどのように扱われるのか、肝が凍るほど教え込まれていた。特に面と向かって人殺しをしてきた陸戦隊の所属だと知られればいい目に遭わないはずだった。
彼は軍に捜索願を出して予備役に退いた。その時後の妻に誘われていなければどこかの地方隊で閑職に就いていただろう。
会社がルフトとのパイプを持ったグレーな仕事をしていることは初めからわかっていた。だがそこがよかった。向こう側の正しい情報が入ってくる場所に身を置いていたかった。
だから黒羽に語った話は半分嘘だ。出来事の中身は事実だが、あらゆるターニングポイントが5年ほど前倒しになっている。相手が誰だろうと、それが彼の表向きの経歴だった。事実を語るのは自分は犯罪者だと自白するのと同じだ。
ルフトには逃げられない。ならば可能な限りエトルキアの奥地、西部に行くのがいいだろう。できるだけ裕福そうな身なりをして、旅人と偽って島を巡った。
それが盗掘との出会いだ。定住を捨てた生活には安定も安心もなかった。ただ、貧しくはなかった。決して運命を赦すつもりはない。でも悪くない人生だった。
彼は自分の喀血で目を覚ました。
防護服のバイザーがべっとりと粘性の高い血で汚れていた。
息をすると肺の奥がむずむずして、また同じくらいの血を吐き出した。何かしらの内臓がまるごと口から出てきたんじゃないかという量感だった。
何にせよやっと息ができる。
フラム用のマスクをつけて防護服を脱ぐ。
幸い線路の横に倒れたままだった。見つかっていないということだ。周りには誰もいない。体の横には核弾頭がずっしりと転がっている。
防護服の中に溜まっていた汗が流れ出して水溜りを広げつつあった。リモコンのスティックで砲塔をゆっくり回して弾頭を貨車に積み込み、湿った防護服もついでに放り込んだ。戦車の中に入って体を拭き、新しい服を着て、たくさん水を飲んだ。空調が効いて体が冷えてくる。
「ああ、ひどくキツかったよ。脳が茹で上がるかと思った。これだけ喋れるなら、まだ大丈夫みたいだ」
返事はない。
独り言が妙に反響した。
がらんとしている。狭い狭いと思っていたのに、不思議だ。
操縦席に移って左側のガスタービンエンジンに火を入れる。回転数が上がっていく音はピストンエンジンより電気モーターに近い。クラッチを繋ぐと車体がぶるぶる震え、わずかに空転の感触があって走り始めた。
エンジンは右側にもう1基あるが、レールの上を走るのに全力は必要ない。燃料を持たせるために片肺で走る。エンジンの間の床にボコッと高くなった膨らみがあって、その下に恐ろしく太くて頑丈なリンクシャフトが通っている。片肺でも両側の動輪を回すことができる仕組みだった。
ペリスコープ越しに前方確認。ヘッドライトの果てまでまっすぐにトンネルが伸びていた。障害物なし、70km/h走行。オートクルーズのボタンを押して席を離れる。
車長席に移ってキューポラのペリスコープから後方確認。連結した貨車もきちんとついてきている。核弾頭の固縛も問題ない。
スタントンホールから東へ300kmあまり離れたところにベルビューという島がある。
かつて石灰岩の露天掘りで栄えた街の上に築かれた塔で、近代以降も良質の石灰を求めて時折採掘が行われていた。石灰はコンクリートの原料だ。とりわけ要塞の建設には高規格のコンクリートが重宝された。
ベルビューの根元に残った街の一角にサロン・ベルビューと呼ばれる建物がある。一辺1km、高さ200mにもなる巨大なガラス張りの建屋で、地上でありながらその中にはさながら温室のように色とりどりの植物が葉を茂らせていた。
内部に高空の清浄な空気を導いてフラムの影響を排除しているのだ。温室の中には旧文明時代の建物もそのまま残っていて、西部採掘家連盟本部とオークションハウスもその一分だった。ベルビューといえば、中央のイングレス、東部のレコール=ハウと並ぶ盗掘家たちの一大拠点だ。西部で見つかる珍しい遺物のほぼ全てがベルビューに集まる。温室の四方には大小20ものエアロックがあり、相当な大物でも運び込むことができた。
盗掘家が走ってきた地下鉄の沿線でベルビューに最も近いのはガーデンシティという駅だった。かつてはベルビューよりもはるかに大きな街だったようだが、風の具合で完全に砂山に飲み込まれていた。盗掘家たちの話の中に登場することはまずない。ほとんど誰も知らないのだ。彼も隣の駅を見つけたあとでベルビュー方面に辿ってやっと存在に気づいたくらいだった。掘り返して地上に出入り口を確保するのは半年がかりのとても大変な作業だった。
努力はオークションでは売れない。駅の場所は他の盗掘家には教えていないが、もしかすると同じような思考でこっそり使っている輩はいるのかもしれない。共用ではないがプライベートでもない。微妙な空間だった。
彼はポイントを切り替えて戦車を待避線に入れた。レールの先は砂山に埋もれていた。貨車を切り離してから砂に突っ込む。動輪が力任せに車体を押し込み、鉄道用の車輪が砂に埋もれ、腹下が完全に砂に乗り上げた。
そこで一度エンジンを止めた。クラッチはニュートラルへ。油圧が切れてサスペンションがフリーになる。ジャッキアップしたのとほぼ同じ状態だ。鉄輪の車軸の止め金を外して引き抜く。転輪の下4本、動輪1本。
フェンダーの上に積んでおいた履帯にチェーンをかけて後ろに引き出し、先端を持ち上げて動輪のギアに噛ませる。履帯は鋼鉄製の蛇腹構造で1コマが30kg以上ある。楽な作業ではない。
先端がかかったら今度は前方からチェーンを引いて履帯を前に送る。最前列の転輪で折り返し、下部転輪の下を通して再び後ろへ。逆の端が抜けないようにある程度行ったところでクラッチを入れておく。
わざわざ乗り込むのも面倒なのでこの操作はコントローラーだ。両手持ちで、車体と砲塔を動かすためのスティックが左右にあり、人差し指と中指を置く位置にボタンがたくさんついている。スティックの間は上下一組のディスプレイで、主砲照準、車長席カメラ、複合周囲モニター、データリンクマップ、各種設定画面の中から任意の2つを映すことができ、反射を防ぐためのフードがついていた。中に無線系統とバッテリーを収めているため、筐体は分厚くずっしりと重い。首にバンドをかけて臍の上に押さえて使うのが基本だが、今は作業と並行しているので踏んだりぶつけたりしないように砲塔側面のラックに引っ掛けておく。
履帯の端と端を合わせて固定ピンをねじ込み、ハンマーで打ちつける。ここまでの作業を左右1セット。重労働だ。エンジンをかけて履帯を回す。車輪が砂に沈まないので素直に車体が持ち上がって砂山を抜け出した。砂に埋まっていた鉄輪を掘り出して貨車に入れる。ドラム缶からホースを引いて給油口に差し込み、手動ポンプで灯油を送り込む。ここから先は地上を走る。満タンにしておかないとあとが怖い。
駅にはかなり広いシェルターが併設されていて、きちんとお湯の出るシャワーもあった。彼は汗を流して体を伸ばして眠り、もう一度シャワーを浴びて髭を剃った。襟のついたシャツを着るのは久しぶりだ。
地上への出口は待避線の先に用意してあった。自分たちで長いランプを掘って壁と天井を固めたものだ。強力なプランジャーで上に開くハッチもハンドメイドだ。
ランプの傾斜は塔の上の車でも荷物を載せて登れる程度に抑えてある。戦車なら何の問題もない。幅も十分。ハッチを開ける前に専用の潜望鏡で周囲を見渡した。人影なし。
あとはベルビューまで40kmの荒野だ。履帯が地面を蹴り、サスペンションが車体を揺する。枯れ川や段差を踏み越えるとさすがに跳ねた。砲塔を後ろに向けているのは砲身を地面に突き刺さないようにするためだ。
ベルビューの塔そのものはありふれた工業島で、鉱物資源の集積地の1つに過ぎない。
長く地上にいると空の一部を塔に覆われた景色にも慣れてくる。そういえばベルビューの近くは晴れていることが多い。初代のオークションマスターはそれを買ってベルビューにサロンを建てたのだろう。
サロンのエアロックに門番はない。入れるにしろ入れないにしろ、フラムの中で問答したって誰も幸せにならない。
巨大なミストシャワーと温風乾燥機が作動しフラムを完全に洗い流す。片側2枚組の扉がスライドして光に満ちた極彩色の世界が現れる。実は絵画なんじゃないかと毎度思っているが、確かに立体だった。
「ようこそ、サロン・ベルビューへ」
門番は建屋の中にいた。高校生くらいの女子2人で、2人ともカーキの半袖のジャケットとチェックのキュロットで軽装にまとめ、先端に結晶を嵌め込んだ長杖で武装していた。魔法を使うわけだ。
2人は操縦席のハッチから顔を出した盗掘家をじっと見ていた。
「エドワード・ガレン。オークションマスターに会いたい」彼は名乗った。
「お品物は?」
「これだ」彼は車体天板を軽く叩いた。
すると片方の女の子がポケットから携帯電話を取り出して耳に当てた。
直接本人に繋いだわけではないようだ。許可が出るまでにかなり間があった。
「エドワードだって」電話の子がマイクを指で押さえて可笑しそうに隣の子に言った。
「知らないの?」
「え、知らない」
「砂漠の狼って」
「さばくのおおかみ。やばい、かっこいい」
ここの人間たちは愛想がないわけじゃないがあまり真剣に仕事をしているようには見えない。2人はまた盗掘家にまじまじと視線を注いでいた。
「俺が自分で言ってるわけじゃない」
「あっはい、了解」電話の子が言った。ただ盗掘家に答えたわけじゃない。電話の相手だ。間が悪いな。「どうぞ、バックヤードへ」
「場所はわかる」
「いえ、ご案内するのがルールですので」
そう、ここの人間たちは仕事に真面目なわけじゃない。妙に丁寧な言葉遣いだった。
「門番は」
「近くに誰かいました?」
「いや」
彼は少し頭を引っ込めてからリモコンで砲塔を前に向けた。
「インターフェースには触るんじゃない」
「はーい、ありがとうございまーす」
2人は靴を脱いで靴下でフェンダーから砲塔に上り、車長席と砲手席のハッチを開いて中に足を差し込んだ。
彼は天板に立ってその様子を確認した。
「それでいい。手摺から手を離すな。動くだけで揺れるからな」
「はーい」
ベルビューのバックヤードはサロンの北側だった。南側から入ってしまったので距離がある。オークションハウスも回り込まなければならない。
まあ、女の子たちには距離が長い方が好都合だっただろう。姿は見えないがギアを切り替えたり旋回したりする度に砲塔の上から歓声が聞こえた。
やかましいとは思ったが、後悔はなかった。本当に楽しそうな声だった。




