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地下10000m

 盗掘家は黒いキャンバスを少しだけ捲って井戸の上方に目を向けた。ついさっきまで話し声がしていたのだが、聞こえなくなっていた。ぼんやりとした幻聴のような響きだった。井戸の長さが伝声管のように作用していたのだろうか。

 彼はトンネルの一部が直接井戸の側面に露出しているポイントを知っていた。トンネルが井戸の内周の1/3に食い込む程度で、それだけ井戸のシールドにぶち当たったのだからレールごと断ち切られていた。彼が自力で基礎を再生してレールを敷き直したのだ。鉄道が使えれば長距離移動がずっと楽で安全になる。燃費もいい。

 追手がかかるのは予想がついた。古井戸も気にかけるに違いないと思った。開口にキャンバスを張ったのは当然目隠しのためだ。

 光源が近づいてきてキャンバスの目地に光が透けた時はさすがにもうだめかと思ったが、幸いそれ以上の手出しはなかった。たぶん天使たちもこんなに大きな開口があるとは思わなかったのだろう。カモフラージュが上手く行ったようだ。トンネルが下ってスタントンホールよりさらに20mほど深くなっているのもあるかもしれない。


 むろん立坑を出たからと言って直ちに諦めたとは判断できない。まだ近くにはいるだろう。

 盗掘家は機関銃のハンドルから手を離して静かに潜りの準備を始めた。追手の気配が通り過ぎたら始めようと思っていたのだ。

 盗掘家は車長用のキューポラを閉じて砲塔の中に潜り込み、車体の内部空間に食い込んだ砲塔バスケットの枠をすり抜けて兵員室に入った。「室」といっても、実際のところ左右のエンジンに挟まれた通路とその前方にある砲塔バスケットの旋回マージンからなるT字型の隙間に過ぎない。外に出るための装備を置いただけで足の踏み場がないくらいだった。どちらかといえば操縦手と無線手が並んで座る前方スペースの方が広そうだ。

 かつて乗員4人がこの中で寝泊まりしていたというのは本当だろうか。徹底的に荷物を減らして砲塔の中に1人分ハンモックをかければ不可能でもないかもしれないが……。

 盗掘家が駅から走らせてきた戦車は砲塔を後ろ向きにしてレールの上に乗っていた。

 車幅はもともとこの路線を走っていた列車よりやや大きいようで、履帯とスカートはそのままだとホームの縁に擦るから取り外し、転輪の間に車軸を挟んでレールの上を走れるように改造してあった。動力は起動輪にタイヤを当ててレールに伝える。履帯に比べればよほど抵抗が少ない。おかげで地上より少ない燃料でずっと長く走れる。

 何より、NBC兵器対策が完璧なのでハッチを閉め切れば車内ではマスクを外すことができた。空気の健康さで言えばシェルターより上かもしれない。

 

 彼は外に出て防護服を着込んだ。無蓋貨車に積んだ10km用の巨大なワイヤーリールからワイヤーを引き出し、戦車の車体についている牽引用のウィンチに通して先端のフックを腰のベルトに引っ掛けた。ハーネスもOK、頭が下になってもすっぽ抜ける心配はない。

 手元のコントローラーでウィンチの動作確認。上げ下げともきちんと回る。下りはともかく、帰りはこいつがないとおしまいだ。

 ちなみにウィンチのコントローラーはワイヤーに取り付けるスイッチ1つだけのもので、戦車本体の遠隔操作系とは全然無関係だ。

 転輪にチョークを噛ませ、ウィンチに巻き込まないよう目隠しのキャンバスを完全に取り払う。ワイヤーを砲身の中間に取り付けた滑車に通し、一度砲手席に上って砲塔旋回、砲身を空洞に突き出す。

 砲身を伝って滑車の位置でぶら下がり、ワイヤーを張ってゆっくりと体を浮かせる。完全に宙吊りだ。


 コントローラーのスイッチを下げ位置に押し込む。あとは触らなくても勝手にワイヤーを繰り出していく。

 最初こそ落下感にゾクッとするが、すぐに加速度がなくなって体が慣れてくる。

 朧月のように浮かんでいた丸い天蓋が次第に遠ざかっていく。その手前でワイヤーが小刻みに震える。ごく小さな動きでもこの角度では増幅されて見える。

 立坑の内壁にはシールドの刃が削った跡が残っている。もはや土ではなく完全に岩だ。


 この井戸を見つけたのは数年前。中にカメラを垂らして不発弾を見つけたのもその時だった。

 爆発が横に広がったらしく、シールドの残骸が空洞の側面に叩きつけられたように露出していた。掘削盤の部分を残してほぼ溶け落ちた状態だったが、それがシールドであることは疑いようがなかった。カプセル状の弾頭も確認した。

 シールドは本来長さ50mほどの機械で、前方から掘削盤、弾頭を収めるケーシング、動力用の原子炉とタービンといったモジュールで構成されている。それを専用のトレーラーで弾道ミサイルのようにおっ立てて始動するのだ。自立すればあとは放置だから、いくら近づいても咎められることはない。まだ地面に潜る前のシールドを間近で見たことがあった。

 掘削盤は途中で刃を換えられないから、掘削盤自体が何枚も重なった構造になっていて、刃が鈍る度に先頭の掘削盤がピザのように開いてシールドの側面に後退するようになっている。

 パーツの中で最も硬く比熱が高いのが掘削盤と弾頭の外殻だ。溶け残るとすればどちらかだろう。

 話によると弾頭1個の重さは100kgに満たないという。伸ばすワイヤーの重さを考慮してもウィンチで十分上げられる。

 ただその時はサルベージしようという気は起こさなかった。吊り上げるには自分で井戸の底に降りて作業しなければならないし、そこまでする価値を核弾頭に見い出せなかった。地上で見つかる兵器は、それが遺物であれ現代のものであれ、現代技術で再現可能なレベルのものである限り「足がつかない」程度の付加価値しかない。核兵器だって例外ではない。競りに出したところで十中八九武器調達屋としてテロリストに目をつけられる分だけ損だ。本気で調達屋になるつもりでもないなら、発掘兵器を集める目的は、自分で使うか、他人に使われないようにするか、どちらかだ。


 ラジオチェッカーのブザーが聞こえた。新しい井戸の真上と同等のレベルだ。

 盗掘家はひどく長い時間無心に下降を続けていたことに気づいた。

 暑い。それに喉が渇いた。飲料タンクに繋いだチューブに吸い付く。

 水を飲み込むと耳の奥で急に「ごぼッ」と音がして鋭い耳鳴りに変わった。

 耳抜きだ。山に登れば必要なのだから、当然潜る時にも必要だ。気圧が上がっている。暑いのも単に服の中が蒸れているからじゃない。外側にある空気そのものの温度が上がっているのだ。

 地下に潜ると地表に降り注ぐ太陽熱を避けられる分、200m程度までは気温が下がっていく。しかしそこから先は地熱によって逆に少しずつ熱くなっていく。井戸はそもそもあえて地熱の高いところを選んで掘るものだ。熱くないわけがない。

 

 高度計は-9000を超える。天蓋はもう存在すら感じられない。空気の歪みによって光が直進できないのだろうか。 

 -1000mで10℃に満たなかった気温はすでに60℃近くになっていた。防護服の内側が蒸しているわけではない。外気温が、だ。あくまで外側から加熱されているのだ。息をしているだけで全身がじわじわと汗ばんでくる。曲げた肘の内側が濡れてくる。

 こんな環境で動けるのか?

 地下作業の経験くらいいくらでもあるが、そもそも深度4桁というのが初めてだった。


 目の前にあった岩盤の壁が遠ざかって闇の中に消えた。空洞だ。

 ライトを下に向ける。丸い光芒が見えた。底だ。

 井戸の底は壺型に膨らんだ空洞になっていた。核爆発は周囲の岩盤を必ずしも粉砕するわけではない。超高温によって蒸発させるのだ。底に崩れた岩が溜まっているのは、蒸発範囲の外にあって衝撃波と爆風で剥離したか、支えを失ってあとから崩落したものか、どちらかだ。まっすぐ掘れなかった不安定な井戸は次第に埋まっていく。

 ウィンチを止め、ライトを水平に回す。

 シールドの残骸が見当たらない。見つけたのは1年以上前のことだ。その間に壁や天井が崩れて埋もれたのかもしれない。下は岩がゴロゴロしていて平坦ではない。クレバスのように切れ落ちたところもある。大きな岩の下敷きになっていたら取り出しようがない。重機が使えるわけじゃない。

 盗掘家は岩の隙間に光を絞った。確か空洞の東側だったはずだ。

 ええい、だめだ、体が回って光が安定しない。

 ワイヤーを緩めて下の岩に足をかける。

 何かが光った。

 シールドの一部か?

 岩の間に流れ込んだ礫の中だ。周りの岩の中にも結晶鉱石はちらほら見えたが、光り方が違う。盗掘家はさらにワイヤーを伸ばして近寄った。確かに人工物らしい。何か尖ったものが角のように突き出していた。

 シールドの刃だ。エッジがないのは爆発の熱で溶かされたからだと気づいた。

 弾頭が掘り返せるところにあるとしたらこの下だ。岩の間に流れ込んだ礫は1つ5kgから10kgといったところ。それが100単位。使えるものなら重機を使いたいが、そんなものを下ろす手段はない。人力だ。

 ほんの10個や20個放り投げただけでひどく息が上がり汗が噴き出してくる。それでいて脈拍は妙に落ち着いていた。

 高圧環境では心拍数が落ちて窒素中毒にかかりやすくなるという。気圧計は2060hPa。およそ2気圧。それか。

 喉も乾く。水は残っているがぬるくて体が冷える気がしない。朦朧としてきた。

 意識して踏ん張っているのに左右の岩に寄りかかっていないと体が傾いてくる。


 やがて掘削盤に手が届くところまできた。ライトを差し込んで下を覗き込む。

 弾頭の丸っこいカプセルが光を返した。

 あった。間違いない。

 足元を掘り込めば取り出せそうだったが、左右の岩の下にまた大きな岩が挟まっていて動かせそうにない。掘削盤を浮かせる方がよさそうだ。掘削盤の断片は一辺約5m。上に乗っているのは幸い比較的小さな礫だけだ。

 礫をすべて取り払って、弾頭と反対側の辺を余分に掘り込み、それから掘削盤と弾頭のケーシングを固定するブレースを電動カッターで切断した。

 すでにかなり狭苦しい空間だった。ここから先は防護服が――特にバックパックが邪魔だ。

 盗掘家はマスクをつけて防護服を脱いだ。焼くような空気の熱さだった。まだ蒸されていた方がマシだったかもしれない。

 掘削盤の端に手をかけて隙間に体をねじ込み、肩と背中で掘削盤の重さを受けた。岩を削るための鋼鉄の塊だ。この断片だけで軽く数トンはあるだろう。そいつをテコで上げるために後ろを掘り込んだのだ。

 酷使した腕はすでに力が入らなくなってきていたが、まだ足腰がある。

 盗掘家は屈んだまましばらく息を整えてから一気に踏ん張った。

 持ち上げるどころか押し潰すような重さがのしかかってくる。

 今まで黙っていたはずの心臓がひどく高鳴り、信じられないほど汗が溢れてきた。バイザーの顎のところに深い水溜りができていった。

 掘削盤は動いた。少しずつ滑って弾頭から離れていった。

 暑さと酸欠で余計に意識が曇ってくる。力を抜いたせいで頭の中がふわっとした。一種のブラックアウトだ。


 なんだったか……。

 そうだ、弾頭だ。

 それは足の間にあった。石ころに囲われてはいたが、難なく引っ張り出せる程度だった。

 抱え上げて鳥肌が立った。弾頭はかすかに温かかった。まだ生きている。そんな感じがした。

 カプセルのハードポイントにワイヤーを通してハーネスに結びつけ、ウィンチを巻き上げる。

 そこでやっと違和感に気づいた。

 自分の体が浮かない。危うく弾頭だけ上に送るところだった。

 慌ててスイッチを止め、防護服とハーネスをつけ直す。改めて巻き上げると弾頭の重さが肩と腰にきちんと食い込んだ。

 ワイヤーの捻じれが回転に変わり、回転が弾頭の揺れに変わる。まるで振り子だ。抱えておいた方がいいだろう。


 高度が上がるにつれて体が冷えてさらに頭から血が引いていく。

 腕から力が抜けて何度も弾頭を落としかけた。

 その度に肩にかかる重さで目を覚ました。

 いつの間にか頭上の明かりが見えるようになっていた。

 それが少しずつ大きくなっていく。

 意識は明晰になり、代わりに安堵で眠気が大きくなっていく。

 

 気づくと盗掘家は砲身の真下に吊られていた。核弾頭は体の下でぶらぶらしていた。

 スイッチを押し込んだままだったらウィンチに巻き込まれていただろう。無意識のうちにどこかで手動に落としたようだ。全く記憶がなかった。

 盗掘家は弾頭を引き上げ、体を振って線路の土台の上に飛び乗った。

 足の踏ん張りが効かない。その場に倒れ込む。横になったことで体があらゆる圧力から解放され、呼吸と血行が急に楽になった。

 耐圧服の中に溜まっていた汗が襟口から流れ出す。

 冷たくて、湿っていて、気持ちが悪かった。しかしそれも体の楽さに比べれば大した問題ではなかった。盗掘家は鳴り続けていたラジオチェッカーを最後の力で外して井戸の中に放り投げ、気を失った。

 

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